サンシャイン通信

サンシャイン・ステート(フロリダ州)発のニュースレター

バンクーバー・オリンピック閉幕

2010-03-02 20:37:31 | スポーツ
バンクーバー・オリンピックが週末(日本時間では週明けですね)閉幕しました。
毎回思うことですが、アメリカのオリンピック熱は日本とは比べものになりません。
(日本の方がはるかにすごいと言う意味です)
それがテレビ放送にも反映されるわけですよ。
アメリカ3大ネットワークのひとつ、NBCが独占放映権を持っているのですが
ウイークデーの放送は午後8時からの4時間というのがほとんどでした。
一日たったの4時間ですよ!!
放送の仕方も超こま切れ。
例えばフィギュアスケートのひとりの選手の演技が終了したら突然、他の競技に画面が切り替わる。
その競技をしばらく放送するかと思いきや、10分、いや短い時は5分程度で
また別の競技に切り替わったこともしばしば。
私が見た中で唯一、こま切れでなかったのは女子フィギュアのフリーの最終グループ。
なので鈴木明子選手の演技を見ることが出来ませんでした。
真央ちゃんのエキシビションも然り。
その真央ちゃん、金メダルに手が届かず残念でした。
でも3回のトリプルアクセルを成功させ、銀メダルを取り大健闘だったと思います。
銅メダルのカナダのロシェット選手。
お母さんの急死という苦境にもかかわらず、素晴らしい演技でした。
ショートプログラムを見ながら号泣してしまったですよ、私。
メダル獲得後、ロシェット選手のインタビューを見たのですが、流暢な英語で答えていました。
確か彼女はフランス語圏の出身だったはず・・・
と思っていたら、放送の最後でインタビュアーがいいました。
“とっても英語が上手だけれど、あなたにとって英語はセカンド・ランゲージのはず。
どうやって英語を学んだの?”
彼女の英語習得にはお母さんの影響があることがわかりました。
お母さんは満足行く教育(特にセカンド・ランゲージを習うチャンス)に恵まれず、
フランス語しか話せなかったので、それを娘に託したそうです。
小さい頃から英語でテレビ番組を見せたり、
夏休みにオンタリオ(英語圏)でのサマープログラムに通わせたり。
“母の後押しがなかったら、今、こうして英語で話していなかったわ。”
と言うロシェット選手、印象的でした。

そ・し・て・・・
今回娘と一生懸命応援したのが、ショートトラックのアポロ・オーノ選手です。
娘も私も
アポロ・オーノ、キュートだよね~。
ってことで、趣味が一致。テレビの前で応援してました。
(まったく、母娘揃ってなにやってんだか・・・)
ご存知、オーノ選手は今回、8個のメダルを獲得。
ですから、もちろん私も娘もアスリートとして尊敬しています!
お父さん(日本人)が観客席で応援している姿、印象的でした。
時々インタビューされたりして、それを見るのも楽しみでした。
小さい頃、両親が離婚し、父親に育てられたオーノ選手。
やはりお父さんの影響は大きく、それを取り上げるメディアも多かったです。
オリンピック放送枠内でもオーノ親子についてのビデオが放送されたのですが、
それによると、オーノ選手、とっても反抗的な子供で親子喧嘩が絶えなかったとか。
長野オリンピック選考会では最下位(当時15歳)。
これにお父さんは激しく立腹。
最下位だったからではなく、レース途中で投げ出し全力を尽くさなかったことに怒り狂ったそうです。
その後、今後の身の振り方について冷静に考えさせるため、お父さんはオーノ選手を
人里離れた海沿いのキャビンに置き去りにしたのです。
そして8日目。オーノ選手はスケートを続けることを決意。
そこから、父と息子の二人三脚がスタートしたのでした。
(そのビデオをご覧になるにはここをクリック!

お父さんのサポートあっての8個のメダル獲得と言っていいでしょうね。
このビデオが流れた後、ビデオ内のインタビュアーが
“首にカメラを2台ぶら下げてアメリカにやって来た日本人が
将来、オリンピックの表彰台に何度も立つアスリートの
誇り高い父親になるなんて夢にも思わなかっただろうね。
僕はアポロのbig fan (大ファン) だけど、
ユキ(お父さん)のbigger fan (大々ファン)であることを白状するよ。”
と言っていました。

テレビ放送体制に対する不満を挙げたらきりがないオリンピックでしたが、
やっぱりアスリートからたくさんの感動をもらった17日間でした。
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