サンシャイン通信

サンシャイン・ステート(フロリダ州)発のニュースレター

叔母 & 従妹 in フロリダ

2024-11-04 08:57:15 | Weblog
ハリケーンや私事で、なかなか更新出来なかった夏のお楽しみイベントレポ再開です。
前回のレポ記事はこちら。

叔父のバースデーパーティー - サンシャイン通信

ボードウォークで夜遊びを楽しんだ翌日はシェリルの家で叔父の80歳のバースデーパーティー。たくさんのゲストがお祝いに来てくれました。そのほとんどが趣味のピックルボー...

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叔父の80歳の誕生日を祝うためにニュージャージー入りした私達。
数日間、叔父の家に滞在した後、バージニアの息子の家に戻り、その翌日に
私は叔母と従妹とフロリダに戻りました。(従妹にとっては初フロリダ!)
諸事情で叔父や息子の所に出かけられなかった夫は叔母達がやって来るのを
心待ちにしていました。
タイトなスケジュールで数日間しか滞在出来なかったのが残念。
本当はディズニーワールドをはじめ、いろんな所に遊びに行きたかったんですけど、
それは次回のお楽しみ。
(前回、叔母が遊びに来た時はフットボールの試合観戦に出かけたっけ・・・)

叔母は長年、障がい者をサポートする仕事をしていました。
退職してからも昔から携わって来た非営利団体で障がい者のサポートを続けていて
従妹のSちゃんはその非営利団体のグループホームで仕事をしています。
アメリカにいる間、障がい者をサポートする人達に会って話を聞きたいというリクエストがあり
まず出かけたのが障がい者が働くカフェ。
タイミングよく混まない時間帯に行ったので、叔母達もスタッフの仕事やスタッフを指示する“コーチ”を
じっくり見学することが出来ました。
このカフェがオープンして2年程経ちますが、私もこの日初めて行きました。
噂に聞いていた通り、スタッフもきちんと仕事をこなしていました。
居心地の良いカフェでリピ決定!
お店では様々なグッズが売られていて、叔母と従妹は東京のグループホームの皆さんへの
おみやげをここで調達。
Tシャツ、帽子、バッグ等、爆買いする叔母達を“コーチ”の女性が驚いて見ていました。
あんなに大量にグッズを買ったお客さんは初めてだったんじゃないかな。
事情を話すと「はるばる日本から来てくれて本当に嬉しいわ!」とハグしてくれました。
カフェで見聞きしたことが、日本に帰って役に立ったら光栄とも言ってくれました。

次に出かけたのが元同僚、スーザンが経営するスリフトショップ(寄付で集めた中古品を売るお店)。
スーザンは特別支援の教師。10年前まで同じ小学校で働いていました。
その後、彼女は中学校の特別支援教師として教鞭を執り、5年前に教職を離れ、
障がい者をサポートする非営利団体を立ち上げました。
長年、特別支援の教師として働いてきたスーザン。
ストアで働くのは障がい者。中にはかつての教え子もいます。
自立を目指してスーザンから職業訓練を受けながら働いています。
私も久しぶりにスーザンと再会。いろいろな話を聞くことが出来て勉強になりました。

カフェとスーザンのお店で撮った写真です。

左‐カフェの壁には大きな世界地図が。出身地にピンを刺すことが出来ます。
早速、東京にピンを刺した叔母&従妹
右‐カフェのコーチとスタッフと記念撮影、そしてカフェの前、スーザンのお店の前で。

この日の夜はニュージャージーの叔父の家から私達より一足早くフロリダに戻った娘と
ボーイフレンドのS君と2日振りに再会。
皆でメキシコ料理のレストランでディナーをいただきました。
従妹のSちゃん、メキシコ料理は食べたことがあるけど、メキシカンレストランは初めてとのこと。
お料理も美味しかったし、お店の雰囲気も良かったと喜んでもらえて私も嬉しかったです。


翌日は娘が職場を案内したいと言うので、皆でお邪魔しました。
(娘はアートディレクターとして広告会社で働いています。)

左上‐ロビーにて 右上‐娘のデスク
ホールウエイには社員がデザインした広告が(もちろん娘の物も)展示されています。
私も久しぶりに娘の職場を訪れて、同僚の方達と再会、お喋りができて嬉しかった。

娘の職場を訪問した後は近くの川沿いの公園を散策。
実はここ、以前叔母が遊びに来た時に娘と訪れた思い出の公園。
当時、娘は大学生。社会人になった娘と再度訪れ、思い出話に花が咲きました。
この後、近くのカフェでちょっと遅めのランチ。
この日はダウンタウンでショッピングも楽しみました。

数日間のフロリダ滞在でしたが、中身の濃い、充実した時間を過ごすことが出来ました。

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1 コメント

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ADA (LimeGreen)
2024-11-05 20:04:35
私が生まれて初めてアメリカに行った(いった、です、当時は)のは、89年で、まだADAが法になる前のことです。すでにカリフォルニアでは公共の建物にはバリアフリーが進んでいて、医療系の仕事を目指していたものとして、日本の遅れをひしひしと実感した旅でした。あとあの時は言語のバリアにも優しく対応してくれる人がすごく多かった(障がいではないけど、同じような捉え方なんじゃないかな、と学校の先生たちと話しあいました)。

アメリカのADAは建物や交通機関などのアクセスだけではなくて、教育や雇用など多岐にわたった重要な法律です。パパ・ブッシュは私はあまり好きではなかった大統領だけど、これに関してはものすごく評価しています。
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