市内の公立校が夏休みに入って3週間が経ちました。
子供達が心待ちにしていた夏休みでしたが、その前に私はチューターをしていたESOLの生徒とお別れしなければなりませんでした。
春学期に取ったクラス、TESOL Methods & Curriculum (通称:ティーソル2)は地元の小学校で英語が母国語でない生徒のチューターリングが義務付けられています。
私は3年生の女の子、Cを担当しました。
2005年8月にベネズエラから越して来たと聞いたのでスペイン語が母語と思いきや、お母さんがフランス人なのでフランス語も話すとのこと。
3年前にフロリダに越して来た以外にわかっているのは・・・・
お母さんが休暇でベネズエラを訪れた時にお父さんと知り合い、Cが生まれた。
Cはフランスで学校に通い始め、学力不足で進級出来ず1年生に2年在籍。
その後、ベネズエラ経由でフロリダに越して来て2年生になるが、ここでも進級できずリピート。
なので落第していなければ5年生を終了していることになります。
現在の家族構成は母、兄、弟の4人家族。Cの話によると父はベネズエラ在住で、フランスには“スペイン語を話せない兄と姉(母が父と知り合う前に生まれた子供達)”が住んでいるとのこと。
同居している兄は既に成人していて、母の連れ子なのかどうかは不明。フロリダに越して来た理由も不明。
Cはとっても人なつっこい女の子。とても楽しい時間を過ごすことが出来ました。
どの科目も遅れを取っているのですが、私がチューターに行く時間帯に算数の授業をやっていることが多いので、担任の先生と相談して算数を重点的に教えることに決定。
1月にチューターを始めた時、2つの数の大小を比べることも出来なかったC。
従ってベーシックなたし算、ひき算もおぼつかない状態でした。
そして2月下旬にESOLと特殊教育の先生方がCをテストしたところ、知的障害があることが判明。
私がこのままチューターを続けることが彼女にとってプラスになるのかどうか悩みましたが、“ESOLのストラテジーはどんな生徒にも通用する”という教授の言葉を信じて私なりに頑張りました。
Cも頑張っていて、まず簡単なたし算、ひき算をマスター。4月上旬には2桁のたし算、かけ算に挑戦していました。
4月の最終週に春学期のTESOLの授業終了に伴い、チューターリングも終了。
でもチューターリングが終了する前の週にCが言ったのです。
“来週、チューターとさよならしなければならないとミス・H(担任の先生)が言ってたわ。でも、また私に会いに来てね。待ってるから。
夏休みが終わったら、私は4年生の教室にいるから間違わないでね。
5年生の教室、どこにあるか知ってる?知らないの?だったら学校のオフィスにいるおばさんに聞いて。”
今、3年生なのに5年生になっても私に勉強をみてもらうつもりでいるCが本当に可愛くて、ますますさよならを言うのがつらくなってしまいました。
そして翌週、チューターリング最後の日。私はCからプレゼントをもらいました。
ジャーナル・ノートブック、わり算のフラッシュカード、チョコレート、そしてサンキュー・カード。
チューターをしている時、私はレポート作成のためノートをとっていたのですが、これからもチューターをする時に使えるようにとジャーナル・ノートブックを。
Cにはたし算、ひき算、かけ算を教えていたので、今度、チューターに来る時はわり算を教えてもらいたいからとわり算のフラッシュカードを。
チョコレートは私の大好きなハーシーズ。私はすっかり忘れていたのですが、2月のバレンタインの時期に大好きなチョコレートの話をしてハーシーズのチョコレートが好きだと言ったのを彼女はちゃんと覚えていたのでした。(感激!)
そしてサンキュー・カード。
教授にこのことを話したら“ジャーナルやフラッシュカード等、これから使えるものや、大好きなチョコレートを覚えていてプレゼントにするなんてCはとっても頭の良い子ね。”と言いました。私も同感。
私が何気なく言った言葉や日頃のチューターリングを、彼女はよく観察していたんですね。
カードのメッセージはスペルもグラマーも間違いがたくさんありますが、彼女の言わんとしていることは一目瞭然。
一生懸命書いてくれたカードを見て思わず涙が出てしまいました。
“ミス・Pは最高の先生。また学校に来て私を教えてね。
このカードでハッピーになってね。私のことを忘れないで。
電話してね。(自宅と携帯の番号)
私があげたプレゼントでハッピーになってね。
絶対、絶対、絶対にまた学校に来てね。”
こんなスイートなメッセージをもらったら、さよならは言えません。
担任の先生にお願いして、学年末までチューターを続けさせてもらうことにしました。
Cもとっても喜んで、それまで以上に頑張りました。
でも学年末でチューターリングが終了することがわかっていたので、毎回“夏休みになったら私の家で勉強を教えて。”と言っていたのです。
立場上、学校以外でチューターをしたり、生徒と個人的に連絡を取ることは出来ません。でも、それをCに言うことも出来ませんでした。
学年末の本当に本当に最後のチューターリングの日は、さよならするのがとてもつらかったです。
“今日で最後なのよ。”と言った時のCの悲しそうな顔。忘れられません。
新学期が始まったらボランティアとしてチューターを再開することも考えましたが、秋学期はインターンシップなのでスケジュール上、他の学校でボランティアをするのは無理(と言うより基本的に禁止)。
新年度も担任、ESOL、特殊教育の先生方がCのために尽力してくださるのはわかっていますが、彼女の今後がとっても気になる今日この頃なのです。
もうすぐCのお誕生日。何度も“バースデー・パーティーに来てね。”と念を押されていたのですが、学校以外で生徒とコンタクトを取るのはご法度なので遠くからお祝いしたいと思います。
子供達が心待ちにしていた夏休みでしたが、その前に私はチューターをしていたESOLの生徒とお別れしなければなりませんでした。
春学期に取ったクラス、TESOL Methods & Curriculum (通称:ティーソル2)は地元の小学校で英語が母国語でない生徒のチューターリングが義務付けられています。
私は3年生の女の子、Cを担当しました。
2005年8月にベネズエラから越して来たと聞いたのでスペイン語が母語と思いきや、お母さんがフランス人なのでフランス語も話すとのこと。
3年前にフロリダに越して来た以外にわかっているのは・・・・
お母さんが休暇でベネズエラを訪れた時にお父さんと知り合い、Cが生まれた。
Cはフランスで学校に通い始め、学力不足で進級出来ず1年生に2年在籍。
その後、ベネズエラ経由でフロリダに越して来て2年生になるが、ここでも進級できずリピート。
なので落第していなければ5年生を終了していることになります。
現在の家族構成は母、兄、弟の4人家族。Cの話によると父はベネズエラ在住で、フランスには“スペイン語を話せない兄と姉(母が父と知り合う前に生まれた子供達)”が住んでいるとのこと。
同居している兄は既に成人していて、母の連れ子なのかどうかは不明。フロリダに越して来た理由も不明。
Cはとっても人なつっこい女の子。とても楽しい時間を過ごすことが出来ました。
どの科目も遅れを取っているのですが、私がチューターに行く時間帯に算数の授業をやっていることが多いので、担任の先生と相談して算数を重点的に教えることに決定。
1月にチューターを始めた時、2つの数の大小を比べることも出来なかったC。
従ってベーシックなたし算、ひき算もおぼつかない状態でした。
そして2月下旬にESOLと特殊教育の先生方がCをテストしたところ、知的障害があることが判明。
私がこのままチューターを続けることが彼女にとってプラスになるのかどうか悩みましたが、“ESOLのストラテジーはどんな生徒にも通用する”という教授の言葉を信じて私なりに頑張りました。
Cも頑張っていて、まず簡単なたし算、ひき算をマスター。4月上旬には2桁のたし算、かけ算に挑戦していました。
4月の最終週に春学期のTESOLの授業終了に伴い、チューターリングも終了。
でもチューターリングが終了する前の週にCが言ったのです。
“来週、チューターとさよならしなければならないとミス・H(担任の先生)が言ってたわ。でも、また私に会いに来てね。待ってるから。
夏休みが終わったら、私は4年生の教室にいるから間違わないでね。
5年生の教室、どこにあるか知ってる?知らないの?だったら学校のオフィスにいるおばさんに聞いて。”
今、3年生なのに5年生になっても私に勉強をみてもらうつもりでいるCが本当に可愛くて、ますますさよならを言うのがつらくなってしまいました。
そして翌週、チューターリング最後の日。私はCからプレゼントをもらいました。
ジャーナル・ノートブック、わり算のフラッシュカード、チョコレート、そしてサンキュー・カード。
チューターをしている時、私はレポート作成のためノートをとっていたのですが、これからもチューターをする時に使えるようにとジャーナル・ノートブックを。
Cにはたし算、ひき算、かけ算を教えていたので、今度、チューターに来る時はわり算を教えてもらいたいからとわり算のフラッシュカードを。
チョコレートは私の大好きなハーシーズ。私はすっかり忘れていたのですが、2月のバレンタインの時期に大好きなチョコレートの話をしてハーシーズのチョコレートが好きだと言ったのを彼女はちゃんと覚えていたのでした。(感激!)
そしてサンキュー・カード。
教授にこのことを話したら“ジャーナルやフラッシュカード等、これから使えるものや、大好きなチョコレートを覚えていてプレゼントにするなんてCはとっても頭の良い子ね。”と言いました。私も同感。
私が何気なく言った言葉や日頃のチューターリングを、彼女はよく観察していたんですね。
カードのメッセージはスペルもグラマーも間違いがたくさんありますが、彼女の言わんとしていることは一目瞭然。
一生懸命書いてくれたカードを見て思わず涙が出てしまいました。
“ミス・Pは最高の先生。また学校に来て私を教えてね。
このカードでハッピーになってね。私のことを忘れないで。
電話してね。(自宅と携帯の番号)
私があげたプレゼントでハッピーになってね。
絶対、絶対、絶対にまた学校に来てね。”
こんなスイートなメッセージをもらったら、さよならは言えません。
担任の先生にお願いして、学年末までチューターを続けさせてもらうことにしました。
Cもとっても喜んで、それまで以上に頑張りました。
でも学年末でチューターリングが終了することがわかっていたので、毎回“夏休みになったら私の家で勉強を教えて。”と言っていたのです。
立場上、学校以外でチューターをしたり、生徒と個人的に連絡を取ることは出来ません。でも、それをCに言うことも出来ませんでした。
学年末の本当に本当に最後のチューターリングの日は、さよならするのがとてもつらかったです。
“今日で最後なのよ。”と言った時のCの悲しそうな顔。忘れられません。
新学期が始まったらボランティアとしてチューターを再開することも考えましたが、秋学期はインターンシップなのでスケジュール上、他の学校でボランティアをするのは無理(と言うより基本的に禁止)。
新年度も担任、ESOL、特殊教育の先生方がCのために尽力してくださるのはわかっていますが、彼女の今後がとっても気になる今日この頃なのです。
もうすぐCのお誕生日。何度も“バースデー・パーティーに来てね。”と念を押されていたのですが、学校以外で生徒とコンタクトを取るのはご法度なので遠くからお祝いしたいと思います。
こないだ学部に入ったばかりのような気がしてたのに。
2年ってあっという間。
コキちゃんってホントに先生になるためにこの世にいるって言うか、
全てにおいて先生向きなんだよねぇ。
ワタシみたいな下心無し。
それを考えるとワタシは学校で仕事するのは生徒や親御さんたちに悪いんではないかといつも思ってしまう。
そんな時隣の学校でワタシの狙ってたポジションに空きがでた。
パラプロなんだけどね。
行ったことない学校だし、どうしようか悩んでる。
お金が欲しいってだけではいけないよね・・・
別れの時の辛さはよくわかります。私も就職が決まってしばらくESL Tutorをお休みすることにしたとき、その旨難民女性たちに伝えたときの反応には胸が痛みました。特に彼女たちの場合、Tutorは恐らく自分しかいないという状況なので尚更ですわ・・・。でも今後もCoquinaさん目指してどうにかこうにか頑張ります!
パラプロ、いいんじゃない?仕事をやっていくうちにやりがいを見つけられるかも知れないし。実は私、娘がプリスクールに通い出した時(日本にいた時)、家計の足しにと始めた仕事が児童英語講師だったわけで。スーパーのレジやファミレスのウエイトレスとか、いろんな職種の面接受けたんだけど全滅。唯一、雇ってくれたのが英語教室だったのよ。子供を教える仕事なんてとんでもないと思ってたから、やっぱり生徒や親御さんに申し訳なかったわ。でも、教える仕事がだんだんおもしろくなってきて、いつかカレッジレベルで教育学を勉強したいと思ったのよ。
忙しくてブログにアップし損ねたんだけど、私、大学の春学期終了直後、サブデビューしたんだよ。いろんな学年を教えることが出来ておもしろかったわ~。
ポリ子さんは、生徒さんの英語力だけでなく、精神面のサポートにも気遣っているので素晴らしい教育者になれますとも!応援しています!