http://<wbr></wbr>www.057<wbr></wbr>0.jp/(店舗風景トップをクリスマス演出に変更!)
おかげさまで私のラッキー番号「77777」をイレーヌさんに奇跡騒動がらみで踏んで頂きました。
「7」の漢字の「七」は、切腹を意味する漢字で一瞬縁起が悪そうに感じるかもしれませんが、武士にとっての腹切りは、決して悪い意味でなく、自腹を切って本懐を遂げる最も神聖さを持った意味なのです。
私のヨーロッパでのニックネームは、「ミスター腹切り」でした。
多分、どれほど大きな商談でも即断で決断していくことが多かったところからと、苗字が「片桐」で「カタギリ」と「ハラキリ」が引っかかりやすかっ
たようで、ローマのアルタモーダのいわゆるローマオートクチュールの副会長をやっていたステファノ氏が最初に呼び出したことが始まりで、ローマのファショ
ン業界の知人から「ミスター腹切り」と呼ばれるようになりました。
しかし、私はこのハラキリと呼ばれることが好きでした。
私にとって「腹切り」は、本当の意味での「ラッキーセブン」の意味があるという意味を示していたからです。
切腹をするとは、命をかけてやり遂げるべきことを知っている男という意味を持っていたからであり、そのニックネームを読んでくれたイタリア人達にもその意味を誇りのように説明してあったからでもあった。
そんなきっかけから、フランスのデザイナー達からも「ミスター腹切り」と呼ばれることが多くなって行ったのであった。
武士道において、自身で身を捨ててまでもやり遂げることがあるということは、最も大切な花道です。
また「七」の漢字は、「ヒ」であり、「シ」の意味でもあり、
どちらも共通している意味は、創造の原点としての女性性器も現してはいますが、
その本質的意味解釈の発展から、
最もぴったりハマるべき所にはまる意味を示しているそうです。
「シチ」の「チ」は、血液も示していますが、本質は、はじまる場所であり、尚且つ、戻るべき場所を示しているようです。
「シチ」の両方がつながる意味では、然るべきして始まり、然るところに戻る意味になるようです。
よく、半端な4と3で割り切れない意味から「切る」と「七」を直接的に解釈しやすいようですが、それでは奇数は、全て同じ解釈をしなければならなくなり、その辞書解釈では、的確性が問われるという考えを示す人もいるようです。
そもそも「切」るとは、刀がぴったりとハマるという意味で、刃がぴったりとハマっているからこそ、結果として切れているか鞘にハマっているのであると言う解釈説明の方がしっくり来るようです。
そのようなことからハンドルネームが「ミスター腹切り」でも良いようなものですが、新人スタッフが付けてくれた「グローバル顧問」も、今ではとても気にいっていますのでよろしくお願いします。
私のことや私が経営している店を紹介してくれているブログがとても多くなったらしく、
スタッフから一部を私のプロフィールで紹介して欲しいとの要望が上がり、
こんな内容がリストアップされてきました。
私がやっている店を知って頂く参考になれば嬉しいです。
紹介頂いているブログから‥
macaroni Drop 〈マカロニ ドロップ〉
http://<wbr></wbr>ameblo.<wbr></wbr>jp/maca<wbr></wbr>roni-dr<wbr></wbr>op/entr<wbr></wbr>y-10289<wbr></wbr>909515.<wbr></wbr>html
★ナルミママのブログ
http://<wbr></wbr>ameblo.<wbr></wbr>jp/okan<wbr></wbr>aru828/<wbr></wbr>entry-1<wbr></wbr>0515749<wbr></wbr>869.htm<wbr></wbr>l
アメリカ館「USA」巨大サインなど
http://<wbr></wbr>expoaft<wbr></wbr>er.web.<wbr></wbr>fc2.com<wbr></wbr>/expoaf<wbr></wbr>ter2-16<wbr></wbr>.html
YouTube - 物々交換・コレコーレ
http://<wbr></wbr>www.you<wbr></wbr>tube.co<wbr></wbr>m/watch<wbr></wbr>?v=HFrj<wbr></wbr>2mgIkXM
会社のスタッフから自分の氏名が検索のキーワードでトップになっているキーワードがあることを教えられました。
なんとも大げさなキーワードですが、
「世界の片桐健二」や
「片桐健二の世界」で
検索にトップヒットしているのです。理由はNHKの全国放送や海外への放送に私が取り上げられたことがきっかけだったようですが、今だけの旬の奇跡のようです。
ただ、今度は、170カ国に翻訳されて私の経営する物々交換の店が放映されることが決まったとのことで、どのように取材内容が編集されなおして放 映されるのか見てみたいものだが‥いつ放映されるかはそれぞれの都合任せでまったく分からないということですが、その意味ではもう少しだけ検索上位が維持
されそうです。
万一、偶然に海外で私の名前をテレビで見たという方は、ご連絡くれたら喜びます。
私が経営している店の名前は、コレコーレと言う名前でコアコレクションの略を造語させた店名で、いろいろな顔を持っている店です。
やはり、検索でもいろいろなキーワードでコレコーレがトップにヒットしてきます。
「日本で物々交換できる店」
「愛・地球博の物を物々交換できる店」
「日本でひとつしかない店」
「名古屋のすごい雑貨店」
「名古屋の骨董品の物々交換店」
「名古屋でお洒落な洋服を物々交換できる店」
「名古屋で最もお洒落な店」
「名古屋で最もお洒落なリサイクル店」
「名古屋の裕福層専門のリサイクル店
「名古屋でもっともお洒落な骨董屋」
「名古屋でもっとも有名人が集まるリサイクル店」
「名古屋でもっとも有名人の中古品と物々交換できる店」
どれも実際のところは、結果は大きくかけ離れているのが実状です。それでもかろうじて検索ヒットが現状に近いと感じられるかは、是非、ご来店して自身の目で確認下されば嬉しいです。いつかどれかに対して胸が張れる日を目標にがんばって生きますので‥
遺書日記の始まり
先の命の保障は、誰にもなく、明日にでも途絶えている可能性があるわけですが、私自身の命に終止符を打たねばならない不測の事態になったときに、何か意味が生まれる可能性があるブログを、自身で書いてみようと思い立つあるきっかけがありました。
その時から私は、ミクシーブログの書き方や交流の仕方の方針転換をしました。
私の会社は、磐石な業績の内容を作り上げていたのに、あえて儲かりようのない物々交換と言う業務に関わり物事の逆転発想を養う目的で業態を正反対に方針転換しました。
これから本当に日本が大変革をするだろうという予測の中で、逆転発想の切り口から世界を見て行くこと、そして、いかなる変化にも進化適合できる力とは何かを学ぶ目標を持ち出しました。
ただ今、その目標に向けて努力の渦中にいりところです。
やり方や、道は違えども同じように考える人は、とても多くなりつつあるように感じはじめてもいますが、私の会社も、私たちにとっては、非常に大きな実験を物々交換という業態の中に生み出し続けています。
そして、遺書のつもりで様々な実験的な試みに挑戦する仲間たちのことを、この日記に書き記して行くことでそれぞれに感じていくこと、真剣に立ち向
かうからこそ学べて行くこと、課題や試練を超えるごとに、変化していくであろう考え方の変遷などを残せないだろうかと、考え始めたのでした。
また、ミクシーと言うネットシステムが生み出す出会いの可能性、学びの可能性は、信じ難いほど素晴らしい可能性を持ていることを確認できました。
世界で、それぞれに活躍するミクシーの方々との出会いを、マイミクという方法で次々と知の輪を広げていく可能性と、確かな学びを連鎖させていく出会いという具体的な力を示されていくことに、私は、非常に驚きました。
最初は、近隣の方々との出会いが広がっていくリアルな可能性をイメージしていましたが、実際にはまったく違いました。ミクシーが国境を越えた知の遭遇の扉となるものであったことに驚いたのです。
その奇跡的な「知の遭遇の機会」のチャンスから多くの学びを得続けるようになってきて、そのれらの知恵の力を介在できるブログや、様々に起きる日
々の諸問題にどのような考え方で捉えたり、深めていく人がいるのかを私自身のブログからも伝えるひとつになれたら、さらに面白いし、きっと私の死後も何ら
かに役立つのでは、考えるようになりました。
そのように考えるようになった大きなきっかけのひとつに、ある日記との出会いも重要でした。
それは、私に運命的なほどの衝撃を与えられました。
私の個人的な人生において、私の心のもっとも深い奥に打ち込まれ、 私が私の肉体から離れ「魂」だけの存在となったときにまでも、 いつまでも記憶されるだろう思い知らされるような日記でした。
その日記の内容は、私をテーマにした日記でした。 その日記は、私に喜びと驚きと際限の無い後悔と、
自戒と、希望と勇気と、私の死後の未来創造に対して、大きな力を与えてくれた衝撃の日記でもありました。
私が、今、なぜNHKさんから注目されインタビューされるのか?
実際のところ、インタビューされるに相応しい人生など私には‥何も存在してはいない。
あるのは、何かを錯覚させるようなアピールの強い舞台の上で生きてたきた人生だったとは思う。
あるときは、孤児院の中の私。
あるときは、ファションの頂点を極めた人たちから突然用意された、世界中の有名人から仕掛けられたサプライズ誕生パーティーの中での私。
あるときは、左足切断を拒んだ私に、右足に病魔が転移し、片足切断の危機だけではなく、両足切断を判断しなければならないと言う医師からの告知から、絶望の淵での生死を分けた暴走のシーンの中での私。.
あるときは、700名を超える従業員の経営陣として、巨大企業のNTT社長から、じきじきに、表彰状を受け取っている私。
死を覚悟した私の心と肉体を救うために、教師資格を問われかねないリスクで、私を救ってくれた恩師との交流と、奇跡的な復活を生み出すことができた私。
どのキャッチフレーズもその舞台からの様々な展開を、勝手に想像たくましく、憶測してくれるに相応しい舞台かもしれない、
しかし、その舞台にいた私自身が、その舞台の渦中の苦しみや悲しみや、激変環境に順応できないで、 それぞれに、喜怒哀楽の両極端な中で信じ難い翻弄の暴走を繰り返した人生であり、 何一つとして丁寧な心で物事に接することができないままで生きてきた人生であったと悔いだけが残る人生でもあるのです。
親との親密でもっとも丁寧な時間の流れを、 幼少の記憶に持てずにいた私の人生は、 私に関わるすべての人に、 そして、 自身のもっとも大切であった人々に、 私の幼少のトラウマを焼印のように押し付けてしまう言動の連続というのが、私の人生が本質でした。
最近、私の周りで起き始めていることは、 何らかのヒントを、私自身への人生の晩年のあり方に、一石として、投じてくれているように感じられてもいます。
私のマイミクの古代文字書道家「まりまり天遊さん」へのコメントに、
「言う」という言葉の語源からの解釈について、古代文字の専門分野での意味深い解釈に触発されて
私が書いたコメントの中に、 「イウ」は、決意し、言葉にしたものが、わが身に再び戻ってくる。
「言われることは、実は自身が言わしたそのもののことである。」という内容のコメントを字の成り立ちから紐解いて書いています。
現在、わが身に起きている「イウ」により戻ってきている様々ことを振り返ってみると、今のうちに、後継者の参考となる遺書作りの必要性を感じ始めたのです。
死して美田を残さずをモットーする私にとって遺書に書き残すことは、原理原則をいかにして得るべきなのか?
私の愚かさを引き金にした波乱万丈な人生で学び続きえてきた事や、これからも生涯続ける学びの場で会得していくことを遺書として書いていこうと考えました。
そして、遺書とする理由は、丁寧な生き方をさがす旅にでる目的もあります。
丁寧である必要性は、考え方を自身でさらに掘り下げていく目的もあります。
自身の「イウ」からはじまる掘り下げ方を通じて、私の後継者への何らかの足がかりを残したいという思いもあります。
そのために、私の日記は遺書としての目的を果たせたと、自身が感じられるようになったという時期まで
下記のルールでブログを続けようと考えました。
1、 私の日記へのコメントは、ご遠慮頂く協力をお願いすることにしました。
(*自身の日記には、自身でコメントし続けたいという考えがあります。 )
今後、かなりの短期間で自身の日記を振り帰り続け、自身の考え方の変化を自身で書いて啓発培養させたい考えがあるからです。
2、これからの日記は、おそらく本当の丁寧さを手に入れるために、一定期間は、レス返しするときにも、非常に鋭角的で本質的なレスを返すことになるだろうと考えているからです。
その理由は、映画の「美しき諍い女」の本質課題に近い意味での理由があるのですが、詳しくは後日の日記にあげる予定です。
あと3つほどのルールを考えていますが、
必要なときに必要な方だけにお知らせしようと考えています。
不測のことでしたがミクシーで3年半の沈黙後に再会した途端に、次々と私に投げかけられる様々な警鐘や希望へのヒントとの出会いも破天荒で波乱万丈に生きた私に必要不可欠な必然な学びであり、行わなければならない課題であると考えています。
今まで、大切なコメントで、私を励ましてくれた皆様には、心より感謝します。
再び、ブログ上での交流を行えるときは、本当の意味での丁寧な交流ができる自分となることを目標に日々起こる日常の中のヒントを遺書という視点で書いてみたいと思います。
わたしにこのような決心をさせて頂きました。皆様の造詣の深い日記との交流から多くのヒントを頂きました、心より感謝申し上げます。
<グローバル顧問の紹介>
初めまして片桐健二です、よろしくお願いします。
私は、自身及び人の未知を楽しむ求道者でありたいと願っています。
グローバル顧問と言うのは、新卒で入社してきた元アルバイトから付けられたハンドルネームです。
万博で、古代紫の染色を復活させたファションショーを私がプロデュースしたことから、万博との関わりが深くなって、今では,全国でもっとも万博関連品の貴重品が手に入る不思議な店としてもニュースに乗るようになってしまいました。
物々交換店のコレコーレ本店は、名古屋市名東区の星ヶ丘三越デパートから5分ほど下った名東本通り5丁目の交差点にあります。
(コレコーレの店名は=core
collectionの略字で、「core colle]でコレコーレと名称しています。)
コレコーレHP http://<wbr></wbr>www.057<wbr></wbr>0.jp/
HPアドレスが「0570」の理由は、当店の告知番号が0570のナビの電話番号を、
メインにしているからです。当店は通信会社でした。
その実績の名残で、とても覚えて頂きやすい、
どちらから読んでも同じ番号になる0570-00-0750を各種媒体などに露出していたことがあり、
その番号が物々交換でも使用されるようになってきたからです。
あまりに良い番号過ぎたのか、大手企業さんとの間違い電話が異常に多い番号です。
どちらにしても、機会があったら、気軽に是非御立ち寄りください。
そして、声をかけて頂ければ嬉しいです。
海外や多くのマスコミの取材が当店に殺到し続けているのは、全国で唯一リアルで物々交換の店を存続させ続けてきているということや、経済界、通信
業界でも注目され続けてきた株式会社ジャパンフィールドネットワークという優良企業が、あえて、その優良企業業務内容の活動を自ら停止して、物々交換とい
う儲かりようの無い業務にチャレンジしているからだそうです。
また、今回の「愛・地球博」でのファンションショーや、閉会後においてもさまざまな関わりをしてきたも興味も持たれ続けたようです。
特に、アメリカ館、カナダ館、オーストラリア舘、ポーランド舘、クロアチア舘との関わりが深く、トップページの画像のUSA巨大看板は、アメリカ館から受け入れた物です。
それは、余りに大きくて、店の前にドカーンとそびえています。
頻繁に万博会場の名称となる各グローバルコモンへ出向いていたことと、コレコーレの運営会社で愛称のように「顧問」と呼ばれていることから、「グローバル顧問」というハンドルネームになったようです。
物々交換屋の発想は、通信業の異常な実績で浮ついていた時期に、会社の業績が営業力一辺倒でオリジナリティーがないという重大な課題が明らかになるチャンスが訪れた時に、700人の従業員の全体ミーティングから作られてきたプランでした。
どのような新規事業であれば、人間として本当の生き甲斐を持ち、お互いに励まし合い、楽しんで仕事や人生に打ち込んで行けるのか?
そのような課題についてもミーティングを繰り返しました。
その結果としては、社員教育の一環として、「物々交換」を通じて学びながら事業を成立させて、いきながらるアイデアでした。
最初は、学びを最優先の目的としていたことから、洋書や,美術書、哲学、心理学、経営学を中心とする本だけの交換をしていました。
現在は、骨董・アンティーク・美術品・輸入雑貨など様々な物が次々持ちこまれて来る状況を作れるようになりました。初めて見るものや、驚くものが多く、そのたびに毎日が勉強です。
当初、想像して以上に大変な仕事になってしまいました。
驚くのは物だけでなく、交換に訪れる国内外の驚くような方々と出会いです。
そして、それらの方々が愛してきた物の受け渡しという愛着継承のセレモニーの手伝いを「物々交換コレコーレ」が行うことで、様々な思いと知識の教授が行われていく環境に身を置くことができるようになりました。
その中で学べることのもっとも大切なことは、人間学の深さです。
その深さは、見逃してしまえばそのままのことですが、少し関心を深めると次々と発見できます。
物々交換は、決して収益性が良いわけではありませんので、今の段階では、人には余り御勧めできない事業ではありますが、何とか事業としての可能性
を高めながら現在の学びとのバランスをとりたいとの願望の中で、ひとりひとりの心の高まりの可能性にかけていく日々となっています。
正直、ろくな仕事もしないでも数億円の利益が丸々手に入っていたころの通信の仕事がどんなに簡単だったかと、と振り返りもしますが、スタッフ達は今の方がやりがいがあるといって、中年の私を叱咤激励してくれています。