「物々交換と言う仕事をしていて楽しいことって何?」
そんな質問を昔からの知人に聞かれました。
丁度、昨日の私は、とても幸福な気持ちを味わうことができた出来事がありました。
物々交換の仕事をしていてとても良かったと思う体験をしたばかりでしたので、その話題を知人に説明したのですが、あまりにも奇跡的で信じてくれません。
そのエピソードの内容は、物々交換コレコーレのスタッフ達や特に物々交換コレコーレとの関わりが深い方でないと信じていただけない内容だと思います。
実は、物々交換コレコーレのことをとても大切に思ってくれる、とてもありがたい方が何十人もいます。
その中の10数人は、実は、知人に話した奇跡を実際に自身の体験として共有した方々です。
気孔の達人から言わせれば奇跡でもなんでもない、と言われるかもしれませんが、悩み苦しんできた人にとって、やはり奇跡体験だと思います。
コレコーレが紹介した常連でもある人物に、健康的な理由で苦しんできた人を紹介したことで起きた奇跡的な話題は、なかなか説明しづらいユニークな体験なのですが、私たちのつたない説明を信じて挑戦した常連の方々の、自身に起きた奇跡がきっかけになり、物々交換コレコーレへ感謝して頂けるようになってきた交流は、物々交換コレコーレの本当に大切な財産になってきています。
一昨日、とても有名なビジュアル系バンドのドラマーの常連の方が、「正月だから挨拶がてら顔を出した!」と言って来てくれたのです。
しかし、いつも一緒に来られる女性の方が、まったくと言うほどに歩けない状態で、杖でショボショボと歩いて居る姿でした。
とても驚き、そうなった事情を尋ねたのです。
すると、まったく原因が不明で、医者もサジを投げた状態だというのです。
人生が180度変化したというその女性自身に起きた出来事は、その方の人相まで変えていました。
原因もわからないまま、日本の最高峰の一流大学の病院によって薬漬けにされた結果、言語もうまく話せないほど、薬の副作用も深刻でした。
丁度、フェイスブックで、薬や医療の問題を多数取り上げている内海聡さんの貴重な情報もあり、すぐにでも物々交換コレコーレスタッフ達の救世主でもある「助っ人マン」をその女性に紹介したほうが良いだろうと考えて、ある提案をしました。
まず、今から東京へ帰るというそのミュージシャンの方と同伴の女性に、帰る日を延長できないかを尋ねました。
その理由として、物々交換コレコーレのスタッフ達に起きた奇跡や、常連の皆様に起きた奇跡的な回復の話題を、いくつも挙げて説明しました。
騙されたと思って時間を作り、その奇跡の「助っ人マン」に会ってみないかという話をしたところ、最初、当然のように疑心に陥るような話題に躊躇していたのですが、そのミュージシャンが、なぜか気に入っている片桐健二社長の体験話を聞いて、名古屋への滞在を延長することになったのです。
そして、その翌日、「助っ人マン」との面談と施術を終えて、私達の所に飛ぶように来て頂いたミューシャンの報告に、どれほどの幸福感を私達は与えて頂いたかわかりません。
このような幸福感の体験が、物々交換の出合いに広がっていく以上は、このユニークな仕事に幕を引く事が出来ないのだろうと、強く感じさせてくれた感動の出来事です。
そのミュージシャン自身と、同伴の女性に起きたことについては、後で詳しく記載しますが、杖を持たず、私達の目の前で飛び跳ねてくれた姿と、鞭打ちの悩みを解決してきたミュージシャン自身と同伴の女性の二人は、興奮で話しが止まりません。
来店されてくるお客様が、不審な顔をするほどの大きな声で、興奮を抑えるのが大変ほどでした。 その笑顔と驚愕の繰り返しで話し続ける姿に出逢うことができる人生って、かけがえがないなと感じるのです。
そして、そのミューシャンからは、もうひとつとても嬉しい報告が届けられました。
以前、物々交換コレコーレが非売品として陳列してある品物を、どうしても譲って欲しいとせがまれ、お売りした品物が、新曲CDの表紙になっているからと言って見せてくれたのです。その画像も後でアップしたいと思います。
もし、私達が物々交換と言う業態をしていなかったとしたら、出逢うことがなかった「奇跡の助っ人マン」達や、著名な人々とのユニークな交流関係は不可能だったということは、働いて居るコレコーレのメンバーはとても強く実感しています。
しかし、物々交換コレコーレに纏わる奇跡のエピソードを書くと、きっと怪しい会社に思われてしまうだろうと思うのです。
実は、私はあるお客様の悩みを解決する為に、もう1人の違う能力を持っている「助っ人マン」に明日会いに行くことになっています。
その件についても、どのような奇跡が起きるのかについても書くことが出来ればと思っていて、とても楽しみにしているのです。
各方面に広がる奇跡的な助っ人マン達との出合いが、なぜ物々交換だから出来たのかについて、その答を想像できる方は居ないと思います。
おそらくは、実際に体験しない限り理解していただくのは無理だと思うのです。
その体験を持つ私達にとって、その求心力となっている、上質が上質を呼ぶ交換の仕組み に、あえてこの時期に、会社自身から歯止めをかける判断を行なうことについて、大きな迷いを感じています。
確かに3・11の時に、物々交換コレコーレの品揃えは、ある意味で無力でした。
上質な品物であるがゆえに交流できる「知の交換」という力は、必ずしも非常事態で即応できる商品力とはなりません。
ただ、それらの「上質な知の交換」が生み出した人脈を活用した援助は、ある程度は出来たのかも知れませんが、店に陳列してあった物自体が、即役立つという状態ではなく、「善意の現物募金」という形態での新たな物集めから始めないと、現地への支援物資の送り出しについても、できない状態でした。
社会から、経営資源である(人・金・物・情報・心)を預かり、事業を行う企業の責務は、社会の困窮においてこそ力を発揮するものでなければならない、という社会使命を果たすことが十分に出来ないジレンマや歯がゆさを、3.11は炙り出したことを痛感した企業は多いと思います。
当社も同様の悩みを自覚しました。
その反省から、社内ではもっと非常事態に対応できる品揃えも用意することで、非常時での地域貢献に力を発揮できる為にも、今から備えて置こうという話し合いがもたれました。
今まで出会った「助っ人マン」たちは、上質な品々の交換を目指す物々交換コレコーレの姿勢への賛同者でもある中で、今回、会社が力を入れるのは、生活防衛の品々や被災対応の品々です。
果たしてこの挑戦に出会える新たな「助っ人マン」との出合いや交流は、どのようになっていくのかが楽しみでもあり、正直なところ不安な面もあります。
確かに片桐社長が言うように、「ともかく、やってみてから考えよう!」 いわゆる「やってみよう!精神」に答えを求めることになりました。
実は、物々交換事業は、10年を目標に店を譲る計画で経営してきた経緯があるのです。
今まで以上に、「助っ人マン」との出合いや交流を活性化させるために力を発揮する物々交換事業を目指すことになったのは、説明が長くなりますが、ある理由がありました。
そのことも、いずれ別で記載しようと思います。
結果として、大きな変化をしようとする物々交換事業10年の節目に変化しました。
いずれにしても知人に言われた、
「物々交換と言う仕事をしていて楽しいことって何?」
その答えの中に、常に「助っ人マン」という存在を私たちが意識し続けること、
自らが「助っ人マン」という役割をいつか果たせるための学びの場所であること、
その最適な場所となりえる空間に「物々交換の社交場」というコンセプトを作ろうとすること、
さらに問いを求めていくしか道は無いように思えるのです。
そんな質問を昔からの知人に聞かれました。
丁度、昨日の私は、とても幸福な気持ちを味わうことができた出来事がありました。
物々交換の仕事をしていてとても良かったと思う体験をしたばかりでしたので、その話題を知人に説明したのですが、あまりにも奇跡的で信じてくれません。
そのエピソードの内容は、物々交換コレコーレのスタッフ達や特に物々交換コレコーレとの関わりが深い方でないと信じていただけない内容だと思います。
実は、物々交換コレコーレのことをとても大切に思ってくれる、とてもありがたい方が何十人もいます。
その中の10数人は、実は、知人に話した奇跡を実際に自身の体験として共有した方々です。
気孔の達人から言わせれば奇跡でもなんでもない、と言われるかもしれませんが、悩み苦しんできた人にとって、やはり奇跡体験だと思います。
コレコーレが紹介した常連でもある人物に、健康的な理由で苦しんできた人を紹介したことで起きた奇跡的な話題は、なかなか説明しづらいユニークな体験なのですが、私たちのつたない説明を信じて挑戦した常連の方々の、自身に起きた奇跡がきっかけになり、物々交換コレコーレへ感謝して頂けるようになってきた交流は、物々交換コレコーレの本当に大切な財産になってきています。
一昨日、とても有名なビジュアル系バンドのドラマーの常連の方が、「正月だから挨拶がてら顔を出した!」と言って来てくれたのです。
しかし、いつも一緒に来られる女性の方が、まったくと言うほどに歩けない状態で、杖でショボショボと歩いて居る姿でした。
とても驚き、そうなった事情を尋ねたのです。
すると、まったく原因が不明で、医者もサジを投げた状態だというのです。
人生が180度変化したというその女性自身に起きた出来事は、その方の人相まで変えていました。
原因もわからないまま、日本の最高峰の一流大学の病院によって薬漬けにされた結果、言語もうまく話せないほど、薬の副作用も深刻でした。
丁度、フェイスブックで、薬や医療の問題を多数取り上げている内海聡さんの貴重な情報もあり、すぐにでも物々交換コレコーレスタッフ達の救世主でもある「助っ人マン」をその女性に紹介したほうが良いだろうと考えて、ある提案をしました。
まず、今から東京へ帰るというそのミュージシャンの方と同伴の女性に、帰る日を延長できないかを尋ねました。
その理由として、物々交換コレコーレのスタッフ達に起きた奇跡や、常連の皆様に起きた奇跡的な回復の話題を、いくつも挙げて説明しました。
騙されたと思って時間を作り、その奇跡の「助っ人マン」に会ってみないかという話をしたところ、最初、当然のように疑心に陥るような話題に躊躇していたのですが、そのミュージシャンが、なぜか気に入っている片桐健二社長の体験話を聞いて、名古屋への滞在を延長することになったのです。
そして、その翌日、「助っ人マン」との面談と施術を終えて、私達の所に飛ぶように来て頂いたミューシャンの報告に、どれほどの幸福感を私達は与えて頂いたかわかりません。
このような幸福感の体験が、物々交換の出合いに広がっていく以上は、このユニークな仕事に幕を引く事が出来ないのだろうと、強く感じさせてくれた感動の出来事です。
そのミュージシャン自身と、同伴の女性に起きたことについては、後で詳しく記載しますが、杖を持たず、私達の目の前で飛び跳ねてくれた姿と、鞭打ちの悩みを解決してきたミュージシャン自身と同伴の女性の二人は、興奮で話しが止まりません。
来店されてくるお客様が、不審な顔をするほどの大きな声で、興奮を抑えるのが大変ほどでした。 その笑顔と驚愕の繰り返しで話し続ける姿に出逢うことができる人生って、かけがえがないなと感じるのです。
そして、そのミューシャンからは、もうひとつとても嬉しい報告が届けられました。
以前、物々交換コレコーレが非売品として陳列してある品物を、どうしても譲って欲しいとせがまれ、お売りした品物が、新曲CDの表紙になっているからと言って見せてくれたのです。その画像も後でアップしたいと思います。
もし、私達が物々交換と言う業態をしていなかったとしたら、出逢うことがなかった「奇跡の助っ人マン」達や、著名な人々とのユニークな交流関係は不可能だったということは、働いて居るコレコーレのメンバーはとても強く実感しています。
しかし、物々交換コレコーレに纏わる奇跡のエピソードを書くと、きっと怪しい会社に思われてしまうだろうと思うのです。
実は、私はあるお客様の悩みを解決する為に、もう1人の違う能力を持っている「助っ人マン」に明日会いに行くことになっています。
その件についても、どのような奇跡が起きるのかについても書くことが出来ればと思っていて、とても楽しみにしているのです。
各方面に広がる奇跡的な助っ人マン達との出合いが、なぜ物々交換だから出来たのかについて、その答を想像できる方は居ないと思います。
おそらくは、実際に体験しない限り理解していただくのは無理だと思うのです。
その体験を持つ私達にとって、その求心力となっている、上質が上質を呼ぶ交換の仕組み に、あえてこの時期に、会社自身から歯止めをかける判断を行なうことについて、大きな迷いを感じています。
確かに3・11の時に、物々交換コレコーレの品揃えは、ある意味で無力でした。
上質な品物であるがゆえに交流できる「知の交換」という力は、必ずしも非常事態で即応できる商品力とはなりません。
ただ、それらの「上質な知の交換」が生み出した人脈を活用した援助は、ある程度は出来たのかも知れませんが、店に陳列してあった物自体が、即役立つという状態ではなく、「善意の現物募金」という形態での新たな物集めから始めないと、現地への支援物資の送り出しについても、できない状態でした。
社会から、経営資源である(人・金・物・情報・心)を預かり、事業を行う企業の責務は、社会の困窮においてこそ力を発揮するものでなければならない、という社会使命を果たすことが十分に出来ないジレンマや歯がゆさを、3.11は炙り出したことを痛感した企業は多いと思います。
当社も同様の悩みを自覚しました。
その反省から、社内ではもっと非常事態に対応できる品揃えも用意することで、非常時での地域貢献に力を発揮できる為にも、今から備えて置こうという話し合いがもたれました。
今まで出会った「助っ人マン」たちは、上質な品々の交換を目指す物々交換コレコーレの姿勢への賛同者でもある中で、今回、会社が力を入れるのは、生活防衛の品々や被災対応の品々です。
果たしてこの挑戦に出会える新たな「助っ人マン」との出合いや交流は、どのようになっていくのかが楽しみでもあり、正直なところ不安な面もあります。
確かに片桐社長が言うように、「ともかく、やってみてから考えよう!」 いわゆる「やってみよう!精神」に答えを求めることになりました。
実は、物々交換事業は、10年を目標に店を譲る計画で経営してきた経緯があるのです。
今まで以上に、「助っ人マン」との出合いや交流を活性化させるために力を発揮する物々交換事業を目指すことになったのは、説明が長くなりますが、ある理由がありました。
そのことも、いずれ別で記載しようと思います。
結果として、大きな変化をしようとする物々交換事業10年の節目に変化しました。
いずれにしても知人に言われた、
「物々交換と言う仕事をしていて楽しいことって何?」
その答えの中に、常に「助っ人マン」という存在を私たちが意識し続けること、
自らが「助っ人マン」という役割をいつか果たせるための学びの場所であること、
その最適な場所となりえる空間に「物々交換の社交場」というコンセプトを作ろうとすること、
さらに問いを求めていくしか道は無いように思えるのです。