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非常時のリーダーを菅首相、班目原発安全委員長から学ぶ。

2011-04-27 16:59:15 | インポート

最近原子力危険誘発委員長の班目(でたらめ)春樹というニックネームで呼ばれるようになった、原子力安全委員会の班目(まだらめ)春樹委員長と同様に、大切な原発被災の初動を遅らせたことが致命的な現在の原発問題を誘発させたとして責任を取らされようとしている管首相の状況の真相は、一体どういうことなのか一度考えて欲しい。
そもそもの原子力安全委員長の班目(まだらめ)春樹委員長の法的な職務は原子力の研究、開発および利用に関する事項のうち、安全の確保に関する事項について企画し、審議し、および決定することである。
具体的な役割については下記の通り。
? 以下の事項について企画し、審議し、及び決定する。
1. 原子力利用に関する政策のうち、安全の確保のための規制に関する政策に関すること
2. 核燃料物質及び原子炉に関する規制のうち、安全の確保のための規制に関すること
3. 原子力利用に伴う障害防止の基本に関すること
4. 放射性降下物による障害の防止に関する対策の基本に関すること
5. 第一号から第三号までに掲げるもののほか、原子力利用に関する重要事項のうち、安全の確保のための規制に係るものに関すること。
? 「特定放射性廃棄物の最終処分に関する基本方針」について経済産業大臣に意見を述べること
? 核燃料物質の関連事業を行おうとする者の指定や許可について担当大臣に意見を述べること
? 原子力緊急事態宣言の解除について内閣総理大臣に意見を述べること
? 原子力緊急事態宣言の技術的事項について原子力災害対策本部長に助言すること
? 原子力防災管理者通報義務や原子力緊急事態宣言の政令の制定や改廃について主務大臣に意見を述べること
? 定期報告を受け、災害防止のために必要な措置を講ずるために担当大臣に意見を述べること
? 定期報告に関して原子力事業者等の調査をすること
原子力の日本の最高権威の班目春樹委員長は、東電から巨額の寄付を得続け様々な利権を受けて続けてきた東京大学大学院工学系研究科の教授であった。そして、日本では原子力を学ぶものは電力会社とねんごろになっていくしか大きな金儲けには繋がらない仕組みが存在している事実と、国民にどれほどの嘘をつき続けても原発を保持させなければならい国家的かつ世界的な戦略がエネルギーとは関係なく存在しているようです。
その戦略は地球規模の未来を犠牲にしてでも止めようとしないしない戦略のようです。
原子力というパンドラの箱の話題は、後日にするとして、今回は非常時のリーダー力というものついて掘り下げます。

皆さんも知っているように管首相と班目春樹委員長は原発被災の非常事態の翌日に命を掛けて原発現場に視察に行っています。
世界で最も危険な状況にある場所へ、万一、売名行為のような下心があったしても命をかけて二人は出向いた事実があります。

その事実の重みと非常時のリーダー力について考えています。

事故翌日の命をかけた管首相の原発視察決定の状況。
http://<wbr></wbr>shin9to<wbr></wbr>bihizag<wbr></wbr>eri.see<wbr></wbr>saa.net<wbr></wbr>/articl<wbr></wbr>e/19760<wbr></wbr>8832.ht<wbr></wbr>ml

毎日新聞は、2011年4月4日、【検証・大震災:発生直後に原発ベント指示、東電動かず 首相「おれが話す」】と題し、
東日本大震災から一夜明けた3月12日午前6時すぎ。菅直人首相は陸自ヘリで官邸屋上を飛び立ち、被災地と東京電力福島第1原発の視察に向かった。秘書官らは「指揮官が官邸を不在にすると、後で批判される」と引き留めたが、決断は揺るがなかった。 

「総理、原発は大丈夫なんです。構造上爆発しません」。機内の隣で班目(まだらめ)春樹・内閣府原子力安全委員会委員長が伝えた。原発の安全性をチェックする機関の最高責任者だ。

第1原発は地震で自動停止したものの、原子炉内の圧力が異常に上昇した。東電は格納容器の弁を開放して水蒸気を逃がし、圧力を下げる作業(ベント)を前夜から迫られていた。

班目委員長は「視察の前に、作業は当然行われていたと思っていた」と振り返る。だが、着手は遅れた。

首相は官邸に戻った後、周囲に「原発は爆発しないよ」と語った。

1号機でようやくベントが始まったのは午前10時17分。しかし間に合わず、午後3時半すぎに原子炉建屋が水素爆発で吹き飛ぶ。「原発崩壊」の始まりだった。致命傷ともいえる対応の遅れは、なぜ起きたのか。

      ◆

11日、東電の勝俣恒久会長は滞在先の北京で震災の一報を知る。心配する同行者に「情報がない」と漏らし顔をゆがめた。衛星携帯で本店と連絡を取り続けたが、帰国できたのは翌12日。清水正孝社長も出張先の関西から帰京できない。東電はトップ不在のまま対策本部を置く。

一方、官邸の緊急災害対策本部。当初、直接東電とやりとりするのではなく経済産業省の原子力安全・保安院を窓口にした。「原子炉は現状では大丈夫です」。保安院は東電の見立てを報告した。

しかし、事態の悪化に官邸は東電への不信を募らせる。菅首相は11日夕、公邸にいる伸子夫人に電話で「東工大の名簿をすぐに探してくれ」と頼んだ。信頼できる母校の学者に助言を求めるためだった。

11日午後8時30分、2号機の隔離時冷却系の機能が失われたことが判明する。電源車を送り込み、復旧しなければならない。「電源車は何台あるのか」「自衛隊で運べないのか」。首相執務室にホワイトボードが持ち込まれ、自ら指揮を執った。

官邸は東電役員を呼びつけた。原子炉の圧力が上がってきたことを説明され、ベントを要請した。しかし東電は動かない。マニュアルにはあるが、日本の原発で前例はない。放射性物質が一定程度、外部へまき散らされる可能性がある。

「一企業には重すぎる決断だ」。東電側からそんな声が官邸にも聞こえてきた。復旧し、冷却機能が安定すればベントの必要もなくなる。

翌12日午前1時30分、官邸は海江田万里経産相名で正式にベントの指示を出した。だが、保安院は実際に行うかどうかについて「一義的には東電が決めること」という姿勢を変えない。国が電力各社に文書で提出させている重大事故対策は「事業者の自主的な措置」と位置づけられている。

「東電はなぜ指示を聞かないのか」。官邸は困惑するばかりだった。首相は「東電の現地と直接、話をさせろ」といら立った。「ここにいても何も分からないじゃないか。行って原発の話ができるのは、おれ以外に誰がいるんだ」。午前2時、視察はこうして決まった。

上記の内容を読んでどのように考えますか?
当然、国内最高の専門家が同伴している中で、大切な初動活動という側面を理解した上での視察が行われるはずであるし、そうでない事はあり得ない筈です。

万一、日本以外の国で原発の深刻な被災発生直後にその国のリーダーと、原発の最高責任者が緊急の事態把握を目的に国家規模の実質トップが自ら原発に駆けつけたという話を国民がニュースなので聞いたとしたら、ヒーローとして賞賛されていたのではと感じませんか?しかし、現実は、班目春樹委員長は、日本の歴史に残る極悪人扱いであり、最も無能な首相の代表格扱いです。

私は、このような扱いが発生する原因がいまひとつしっくりこないのです。
上記ような経緯を一度も原発の現地に行かない人たちが攻め続けている日本の実情はどこかが狂っているように思えるのです。
確かに、売名行為に走りやすい性癖は管首相のかつての行動に多く現れているし、国家のトップとしての力量や歴史上の深刻な国家危機へのリーダーの力量も不足しているとは、私自身も感じないわけではないのです。しかし、だからと言って命をかける覚悟がない有能なリーダーに国民の将来を託すべきなのか?有能とは言えなくても命をかける覚悟あるリーダーに国民の未来を託すべきかという質問を投げかけられたとしたらどうでしょう?
答えは容易にはでないと思いませんか?
なぜなら、万一、有能リーダーとの交代が出来たとしても、必ず有能さへの期待が裏切られたという不満が繰り返され続けるのである。そのたびにリーダーを交代させる行為は最も愚かな結果を生むことは人類の歴史が証明しているからです。

リーダー力とは、リーダー自身の能力よりもっと大切な力が求められるものだと私は考えています。
それは、「支持される考え方」である。
緊急事態時に支持される考えとはいかなるものでしょう。
緊急事態からより最大限の未来を救済する目的に置いて自身の命を掛ける覚悟を示す考え方だと私は思っています。
非常時における最高のリーダー力とは、自身を殺して真の公に捧げようとする心意気を支える考え方であり、その模範を示し続けることが最高に有効なリーダ力だと信じています。
被災者はもちろん、被災者と同じ気持ちでいる人々は、共感できる中心を見出すことができます。
そのことにより、同様に「滅私奉公」の輪を広げていく奇跡が生み出されてくるものです。
非常事態に求められることは、奇跡を生み出すことです。非常時における奇跡と平時の奇跡は、意味が全く異なるものです。
非常時の奇跡は、一人ひとりが命を掛けるべきことに覚醒することが生み出すものです。
リーダーの平時の能力に関係なく、非常時に立ち向かって命を掛けるべきことに覚醒し其の覚悟しめしたときに非常時の奇跡は動き出します。
命をかけあう力を巻き起こすことが出来たとき、周囲の眠っている能力が引きだされていきます。
非常時に必要な力とは出来る力以上に、出来てしまう力をどれだけ引っ張り出せるかということです。
其の力の上に能力ある者の協力もどんどん引き入れ更なる能力を高め続けていく状況が非常時の奇跡です。
非常時は、被災者の誰一人も被害者意識に逃避させないことが大切な要になります。
被害者自身が命を掛けることが奇跡に更なるパワーをあたえます。
被害者意識をもって当然の被災者自身が命を掛けて周囲を必死で助けている姿が奇跡を次々と生み出します。日本には「滅私奉公」という世界に誇る美徳の奇跡を生む言葉が根付いています。

リーダーが命を掛ける姿が被災者を唯一被害者意識に逃避させないで命を掛け続ける存在であり続けます。その二つの奇跡が交わった時に非常時に必要な奇跡を生み出すすべての条件が整います。

その奇跡の力は、国民の一人ひとりを覚醒させる力を持ったものです。
同情からは奇跡は生まれません。
同情が求めるものは、かわいそうな人々であり、非力な同情に値する不幸な状況です。
被害者意識を煽る言葉であり、最も大切な自立精神を阻害していきます。
被災地が被害者意識の坩堝になった時、起こるはずだった奇跡は終わってしまいます。

上面の同情や、自己保身ありきの命をかけない能力者達の協力体制というものが非常事態には生まれやすくなります。それを打開する命を掛けたリーダーの行動は、本当に尊いものです。
非常事態において、リーダー自身能力をとやかく言うよりも、リーダーが命を掛けたチャンスを手がかりに、信実を命を懸けて告白させるように仕向けていくことが非常時の最大のソリューションとなるものです。
その覚悟や生き様が、本質的な共感を呼び起こし、次々と国家存亡に命を掛ける能力者や人物者がリーダーの元に叡智の結集として集まるようになるのです。
また、そのようなパワーこそが国難的な非常時に協力を輪を国民一人一人までに広げていくしていく唯一の対応です。

それを一刻を争う非常時の渦中にイタズラにリーダーの非を探すような行為が起きている現状は、国家的に集団自殺に向かっているようなものです。

非常事態に有能なリーダーが現れてくるのでなく、非常時の真剣さや命を捨てる覚悟こそが歴史に残るリーダーを生み出してくるのです。

そして、それを生み出すのは、必死さを命を掛けて支持する国民の力そのものに宿っているのです。
原子力安全委員会の班目春樹委員長についても同様です。
確かに歴史上の国難を生み出した当事者かもしれない。しかし、命を掛けて過去を悔い国難を救済しようとしていることが信じられるなら、再び責任転嫁を逃げ口上にする人物に交代させるよりは、最後まで命を掛けて挽回させる方が緊急的対応に即しているのかもしれません。

非常時とは、凡人を超人に変化させる力を持っている大チャンスのときでもあると言うことを肝に銘じておかなければなりません。
決して命を掛ける覚悟がない人間の言葉に惑わされてはいけない時期です。
誰が言っているかよりも、どれほど滅私奉公の覚悟が出来て言っている人間が何を言っているのかに関心を持つべきだと思います。
                                       片桐健二

コレコーレの社長の片桐健二は、ミクシーでグローバル顧問というHNで原発の情報を集めている。その活動成果なのか多くのメールも寄せられるようで、それらの内容から上記のような非常事態におけるリーダーを説く内容の文章が各スタッフに手渡された。

その内容を会社のブログに添付することにしました。

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