COTE D'IVOIRE

アビジャンに住んでいました(1999.3-2002.10)
サイト《象牙海岸にて》の続編を綴ってみます。

2002年10月の停戦交渉

2004年11月12日 | 騒動と戦争
10月4日(金)
「停戦」署名のニュース流れる。しかしながらこれに、政府側は署名していない事が後に判明。

10月7日(月)
フランス政府が停戦協定に署名による、平和的解決を要請。

10月8日(火)
バボ大統領が、前29日の首脳会議(ガーナ)で採択された内容として、反乱軍が武器を置くことを条件に交渉に臨むとの条項を説明。署名を拒否しているわけではない旨、説明。

10月10日(木)
アビジャンでの夜間外出禁止令昨日の22:00~6:00を21:00~6:00までに変更、期日は21日迄。

10月17日(木)
深夜に政府側と反乱軍との休戦署名がされる。フランスは政治的平和の道を選んだ事に対して評価。


10月22日(火)
フランス軍基地前のデモ、フランス大使館前でも集会を行い、白人への危害も発生。

10月23日(水)
Yasuhei一時避難のためアビジャンを発つ。

10月30日
トーゴ共和国の首都ロメにおいて、停戦交渉の開始。

11月2日
バボ大統領支持と反乱軍への従属反対の大規模集会開催、比較的平和的に終了。

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