COTE D'IVOIRE

アビジャンに住んでいました(1999.3-2002.10)
サイト《象牙海岸にて》の続編を綴ってみます。

いろいろな視点が、

2004年11月13日 | 騒動と戦争
アビジャンではフランス軍を「占領軍」と決め付けて、「フラテルニテ・マタン」紙はセネガルの知識人がそのように言っているとも報じている。
同じく「フ」紙によると、9日、イボワールホテル付近で銃撃を受けて亡くなった青年は、フランスによるものであると決め付けて、明日(土曜日)、彼に冥福を捧げる集会を予定している、、とも、、。

バボ大統領が《フランス人への攻撃を決してしないと決定した》と発表したとはいえ、そして運輸大臣が外国人の脱出を保障し、水曜日から国外避難が進められているとはいえ、町は必ずしも静まったわけではないようである。

気になるのは「le jour」紙の報じる、ブアケ、コロゴの新反乱軍に対して空爆を開始したとのこと。国連監視軍は監視していないのであろうか、、、。
この点、rfi(ラジオフランス)は何も報じていない。(11月12日、18時現在)

これでマルクゥスィの和平協定は葬られるかもしれず、新たな合意をアブジャ(ナイジェリア)で行おうという、バボ大統領の筋書きなのかもしれない。
まさか、このドサクサにまぎれて反乱軍にダメージを与え、同時に、武器の揃ったことをアピールをしているわけではないだろうが、、。

一方、11月11日、rfiのラジオインタビューにはBamba Moriféré氏(彼は2000年暫定政権時の厚生大臣で野党PPSの事務局長)が答え、多くのコートジボワール市民はフランス軍を歓迎しており、「占領軍」などと言っている人は一部だけだ、とか亡くなった青年には気の毒だが制止を聞き入れず行動は実に暴力的であったことから、止むを得ないような発言。

毎日のように煽り立てる新聞やラジオの報道に、アビジャンの若者達が反フランス意識を募らせるのも、理解できなくはないが、いろんな視点から見て、短絡的な判断はして欲しくない。

今、Abijan.netをみたら、12日15:05 GMT:土曜日に予定されていた犠牲者の式典は延期されたとなっている。
これで少し安心。

 アラファトさんも亡くなられた。(合掌)
国土に関する揉め事は、簡単には解決しない。コートジボワールの問題もそのことに大いに関係している。
ヒトの増加による環境の圧力という視点もあるかもしれない。

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