COTE D'IVOIRE

アビジャンに住んでいました(1999.3-2002.10)
サイト《象牙海岸にて》の続編を綴ってみます。

かりそめの静けさ、

2004年11月14日 | 騒動と戦争
といったところだろうか、
ラマダンが終わり、お祭りがあるのでおやすみというところか、
仕事のない若者があふれ、このようなストレス解消的暴動が慢性化しているようにも思われる。
それをバボ大統領がやらせているのか、制止する力がないのか、それとも制止して支持を失うのうを恐れているのか、いずれにしてもアビジャンは白人にとって危険な町になってしまった。

*既に約2000人の外人は国外に避難したもようで、日本大使館のコアメンバーを除いてはガーナに退避したそうである。

その間にもいろんなことが起きている。
*どうやらMACAと思われる刑務所からは数千人の囚人が脱走したとか、これはAP通信が11日に報道したようだが、アビジャンの新聞には出ていないようであった。
日本では日刊スポーツがが報道しているようである。
http://www.nikkansports.com/ns/general/f-so-tp0-041111-0011.html
ここで報じている森とは国立公園のバンコの森と思われ、あの森の中は怖い人が大勢になったようだ。

*rfi(ラジオフランスインターナショナル)はブアケでの攻撃によるフランス兵の死者9名。
土曜日のアビジャンでの暴動によるイボワール人が62名死亡と報じ、それに対しバボ大統領はフランス兵士の死は疑問である、お目にかかってないからとワシントンポストのインタビューに答えたそうであるが、ワシントンポストの記事は見つけることができなかった。
http://www.rfi.fr/actufr/articles/059/article_31750.asp

*新たに軍参謀が任命されたとあったのは、、アビジャンネットかな。
Philipe Mangou という大佐、どのような采配をしてくれるのか期待したい。

*Fologさん(社会経済委員長)ガボンへ行き、ワタラさんはフランスから南アに飛び、
マルクゥシィの和平協定を貫こうという動きと、フランスの押し付け協定を超えた新たな協定を目指そうという動きと、いずれにも利権が伴うがゆえに、しかも選挙の年の2005年も近づくにつれ各自の行動も見えやすくなってきた。

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