2000年 1月 4日(月)
救国委員会は臨時政府閣僚名簿を発表。
臨時政府は21省22閣僚からなり、軍人5名中、救国委員会メンバーが4名、民間人3名、女性2名が入閣している。
1999年12月27日(月)
救国委員会は各国大使を招き、今後の象牙海岸共和国政局を説明する。
1999年12月26日(日)
13:10:ベディエ大統領フランス軍のヘリコプターにて国外脱出(ロメ/トーゴ)。続いて首相、国防大臣及び治安大臣も引き続き国外脱出。救国委員会は各省官房長官と財務責任者を招き、今後の指示及び各省の現状把握を開始。翌日からの平常業務を指示する。
1999年12月25日(土)
ゲイ将軍がテレビを通じて発表した声明を受けて、警察、近衛兵も軍を指示する旨、表明。
1999年12月24日(金)
空港は兵士により占拠され、発着停止。
アビジャン中心街から南へ通じる2つの橋も占拠される。
11時、ロベール ゲイ将軍がテレビを通じて声明を発表。自身は反乱軍の代弁者であること。憲法、議会、最高裁を停止する旨、及びベディエ大統領は既に何の力も持たない旨を国民に伝える。
午後に政治犯を釈放(数十人)、その後、機に乗じた6800名の囚人も逃走。
夕刻、ゲイ将軍は救国委員会(CNSP)を発表。彼自身が救国委員会の代表であり、同時に象牙海岸共和国の大統領であると発表。
3日間の夜間外出禁止令(18 :00~6 :00)を発動。
1999年12月23日
昼頃から、アビジャンの行政中心街であるプラトー地区において機銃を携帯した軍隊が上空に威嚇発砲。昼過ぎ1時50分頃にRTIラジオテレビ局本社が占拠される。その後ラジオ、テレビ共に中断。プラトー地区において、軍の兵士は車上から拡声器により、市民は18時までに事務所を去り、自宅に戻るよう指示18時、RFI(ラジオフランス国際放送)は、軍が国連平和維持軍として中央アフリカに派遣された軍人の未払い手当支給を要求。しているとの情報を伝える。
これらは
「象牙海岸にて」のクーデタからの抜粋です。
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