お食事会も終盤に差し掛かり、最初に対応してくれた現地女性のスタッフが
「そろそろご挨拶をいただきますか?」
と声をかけてくれました。
デザートが配られ少し落ち着いた頃に、「新郎新婦からご両親にプレゼントがあります。」と説明してもらい、例の未完成の絵本を渡しました。
パラパラと中をみんなに見せられた時は、
あわわわわ、み、未完成なんですけどーっ!
と焦りましたが、なんとか体裁取り繕ってあるところだけご披露されていたようなので助かりました。
けど、心が痛むわ・・・。
こんなんで良かったのかしら・・・。
ううぅ。
これからきちんと完成させます。(予定。)
そのあと新郎新婦から皆様に挨拶をしました。
わざわざグアムまで来てくれてどうもありがとう。みんなのおかげでこんなに素晴らしい式を挙げることができました、と。
月並みなことを言うように聞こえるかもしれないけれど、本当にその言葉に尽きます。
列席者からすると、通常の結婚式よりも、お金も時間も余計にかかるわけで、夫婦や家族で来るというのは大変なことです。
だから「出席しよう」という気持ちになってくれただけでありがたいことなのです。
親戚だらけの中、花を添えてくれた友人も、彼女たちが来てくれたおかげで、同世代がこの式を客観的にみた場合の率直な感想を聞くことができました。
さて、いよいよ最後です。新郎の父のご挨拶の時間となりました。
ところが、お酒がまわったお義父さんがにこにこと元気良く前に出てきてひとこと、ふたこと言ったところで、感極まったのか急に言葉をつまらせ泣いてしまい、私に「新郎をよろしく」と言って手を差し出してきました。
その手をとり握手をしたら、私ももらい泣きしてしまったのですが―、
「こ、これは・・・、・・・逆では?」
と思ったり思わなかったり(笑)。
普通、新婦の両親が涙するべき場面で、うちのお父さんは林○ペー並みに写真撮りまくりで超ご満悦・超ご機嫌だし、お母さんは「お涙はいらないわ。」とドライなことを言い放つ人だし。
そう、ついに両親の涙を見ることなく結婚式のすべてが終了してしまいました。
お義父さんの挨拶で、ちょっとしんみりしたところで間髪入れずに音楽が鳴り、スタッフが「はい、それではお時間ですので新郎新婦から退場しまーす」と迎えに来ました。
えっ?ちょっとっ、余韻という典型的日本的情緒というものを知らないのかしら、もうちょっと空気読もうよ、てゆーかデザートまだ残ってるんですけど・・・。
と思ったけど、退場しながら彼女が「ちょっと、みんな悲しくなってしまいましたから・・・」と言うのを聞いて、ナルホド、彼女なりに湿っぽくなった空気を読んでの行動だったのね、と納得。
アメリカでは「ウェディング」というのは親子の別れではなく、逆に家族が増えることだから泣くことはないのです、と、これもまた短大の授業のウケウリですが、ふとそんなことを思い出しました。
ウェルカムドリンクが配られていた最初のロビーで、今度はみんなを見送ります。
親戚一同とは次の日も一緒に島内観光に参加する予定でしたが、とりあえずここでひとまず「来てくれてどうもありがとう」と、お礼を言いました。
友人とは、以降の旅程はまったく別だったので、グアムで顔を合わせるのはこの場で最後になるかもしれない、と日本での再会を約束してお別れしました。
(実際はホテルも一緒だし、DFSなんかでもちょこちょこ会ったけど。)
帰り際、お義姉さんがひとこと、「いい式だったね。」と言ってくれました。
あー、こういう言葉、本当に嬉しいものだなあ、と改めて実感。
すべてを総括して「いい式だったね」と言ってもらえたことがなによりも嬉しかったですね。
準備期間中、相当もめて、ちゃぶ台ひっくり返す級の逆DV騒動を起こすくらい荒れたことを知っているお義姉さんに言われた言葉だっただけに、感慨ひとしおです。
みんなを送り出した後、さあ、お飲物の精算ですよ~。
でも、アレッ、シャンパンを注文した割には高額にならず、まあ!なんて妥当な印象。なんて良心的。
雰囲気的に「次の飲物どうですかー?」「お次は?」「お次は?」という対応ではなかったからかもしれません。
チャペルと同じでパーティー会場でも、時間的な余裕はあったのかもしれませんが、精神的には非常にめまぐるしく、あっという間に過ぎて、じっくり周りを見回すということが出来ませんでした。
それはやっぱりどうしても、結婚式の「主役」は、その実、裏方・黒子に近い役割だから、これはもうどうしようもないことでしょうね。
お世話になったスタッフに見送られ、帰りはテ・キエロの送迎車=バンでホテルまで送ってもらいました。
馬車がカボチャに戻った瞬間でした(笑)
「そろそろご挨拶をいただきますか?」
と声をかけてくれました。
デザートが配られ少し落ち着いた頃に、「新郎新婦からご両親にプレゼントがあります。」と説明してもらい、例の未完成の絵本を渡しました。
パラパラと中をみんなに見せられた時は、
あわわわわ、み、未完成なんですけどーっ!
と焦りましたが、なんとか体裁取り繕ってあるところだけご披露されていたようなので助かりました。
けど、心が痛むわ・・・。
こんなんで良かったのかしら・・・。
ううぅ。
これからきちんと完成させます。(予定。)
そのあと新郎新婦から皆様に挨拶をしました。
わざわざグアムまで来てくれてどうもありがとう。みんなのおかげでこんなに素晴らしい式を挙げることができました、と。
月並みなことを言うように聞こえるかもしれないけれど、本当にその言葉に尽きます。
列席者からすると、通常の結婚式よりも、お金も時間も余計にかかるわけで、夫婦や家族で来るというのは大変なことです。
だから「出席しよう」という気持ちになってくれただけでありがたいことなのです。
親戚だらけの中、花を添えてくれた友人も、彼女たちが来てくれたおかげで、同世代がこの式を客観的にみた場合の率直な感想を聞くことができました。
さて、いよいよ最後です。新郎の父のご挨拶の時間となりました。
ところが、お酒がまわったお義父さんがにこにこと元気良く前に出てきてひとこと、ふたこと言ったところで、感極まったのか急に言葉をつまらせ泣いてしまい、私に「新郎をよろしく」と言って手を差し出してきました。
その手をとり握手をしたら、私ももらい泣きしてしまったのですが―、
「こ、これは・・・、・・・逆では?」
と思ったり思わなかったり(笑)。
普通、新婦の両親が涙するべき場面で、うちのお父さんは林○ペー並みに写真撮りまくりで超ご満悦・超ご機嫌だし、お母さんは「お涙はいらないわ。」とドライなことを言い放つ人だし。
そう、ついに両親の涙を見ることなく結婚式のすべてが終了してしまいました。
お義父さんの挨拶で、ちょっとしんみりしたところで間髪入れずに音楽が鳴り、スタッフが「はい、それではお時間ですので新郎新婦から退場しまーす」と迎えに来ました。
えっ?ちょっとっ、余韻という典型的日本的情緒というものを知らないのかしら、もうちょっと空気読もうよ、てゆーかデザートまだ残ってるんですけど・・・。
と思ったけど、退場しながら彼女が「ちょっと、みんな悲しくなってしまいましたから・・・」と言うのを聞いて、ナルホド、彼女なりに湿っぽくなった空気を読んでの行動だったのね、と納得。
アメリカでは「ウェディング」というのは親子の別れではなく、逆に家族が増えることだから泣くことはないのです、と、これもまた短大の授業のウケウリですが、ふとそんなことを思い出しました。
ウェルカムドリンクが配られていた最初のロビーで、今度はみんなを見送ります。
親戚一同とは次の日も一緒に島内観光に参加する予定でしたが、とりあえずここでひとまず「来てくれてどうもありがとう」と、お礼を言いました。
友人とは、以降の旅程はまったく別だったので、グアムで顔を合わせるのはこの場で最後になるかもしれない、と日本での再会を約束してお別れしました。
(実際はホテルも一緒だし、DFSなんかでもちょこちょこ会ったけど。)
帰り際、お義姉さんがひとこと、「いい式だったね。」と言ってくれました。
あー、こういう言葉、本当に嬉しいものだなあ、と改めて実感。
すべてを総括して「いい式だったね」と言ってもらえたことがなによりも嬉しかったですね。
準備期間中、相当もめて、ちゃぶ台ひっくり返す級の逆DV騒動を起こすくらい荒れたことを知っているお義姉さんに言われた言葉だっただけに、感慨ひとしおです。
みんなを送り出した後、さあ、お飲物の精算ですよ~。
でも、アレッ、シャンパンを注文した割には高額にならず、まあ!なんて妥当な印象。なんて良心的。
雰囲気的に「次の飲物どうですかー?」「お次は?」「お次は?」という対応ではなかったからかもしれません。
チャペルと同じでパーティー会場でも、時間的な余裕はあったのかもしれませんが、精神的には非常にめまぐるしく、あっという間に過ぎて、じっくり周りを見回すということが出来ませんでした。
それはやっぱりどうしても、結婚式の「主役」は、その実、裏方・黒子に近い役割だから、これはもうどうしようもないことでしょうね。
お世話になったスタッフに見送られ、帰りはテ・キエロの送迎車=バンでホテルまで送ってもらいました。
馬車がカボチャに戻った瞬間でした(笑)
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