
糸居五郎「オール・ナイト・ニッポン」1967年-1981年(1972年-1974年は休止)
あれは高校2年の秋の夜長でした。
何かになりたいのに、まだ何者にもなれない私は
その夜もそっとラジオをつけたのでした。
すると聴き慣れない声の主はティファナ・ブラスの「Bitter Sweet Samba」
の前に突然現れ「go-go-go-みなさんお元気ですか?」と優しく語りかけて
放送は始まるのでした。深夜放送第1号、糸居五郎さんの誕生でした。
アメリカのフォーク・ソングやソウル・ミュージックも
みんなこの番組で知ったのです。
驚いた事に当時の糸居五郎さんは番組放送中の
1971年01月に50歳の誕生日を迎えられたそうです。
オール・ナイト・ニッポンでは一人でレコードを選び、一人でおしゃべりをして
(リクエストハガキを読む他はなるべく音楽を聴いてもらうと云う姿勢で放送を続けられたようです。)
深夜放送のDJ、第1号。「深夜放送」と云う言葉の産みの親です。
1967年10月2日から1972年10月15日および、1975年1月3日から1981年6月30日にかけて放送されました。
あれは高校2年の秋の夜長でした。
何かになりたいのに、まだ何者にもなれない私は
その夜もそっとラジオをつけたのでした。
すると聴き慣れない声の主はティファナ・ブラスの「Bitter Sweet Samba」
の前に突然現れ「go-go-go-みなさんお元気ですか?」と優しく語りかけて
放送は始まるのでした。深夜放送第1号、糸居五郎さんの誕生でした。
アメリカのフォーク・ソングやソウル・ミュージックも
みんなこの番組で知ったのです。
驚いた事に当時の糸居五郎さんは番組放送中の
1971年01月に50歳の誕生日を迎えられたそうです。
オール・ナイト・ニッポンでは一人でレコードを選び、一人でおしゃべりをして
(リクエストハガキを読む他はなるべく音楽を聴いてもらうと云う姿勢で放送を続けられたようです。)
深夜放送のDJ、第1号。「深夜放送」と云う言葉の産みの親です。
1967年10月2日から1972年10月15日および、1975年1月3日から1981年6月30日にかけて放送されました。