音楽とアートと詩と……。 いつか見た懐かしい世界へ

忙しく過ぎる時間の中で貴方のそして私の
心のやすらぎとなりますように……。 空野くらし

アンドレア ・ ボチェッリ 「 ベサメ ・ ムーチョ 」 Live From Lake Las Vegas Resort USA 2006

2020年04月29日 | 音楽
Andrea Bocelli - Besame Mucho - Live From Lake Las Vegas Resort, USA / 2006
 
 あの名曲 「 ベサメ ・ ムーチョ 」 を盲目の天才歌手、アンドレア・ボチェッリさんは
このように朗々と歌うのですね。 コロナ騒動で世界中が自粛ムードの中、
好きな時に好きな場所へ行けない ( 正確に云うと行きずらい ) と云うのが
こんなにも煩わしいなんてガッカリです。 せめて移動の自由を謳歌していた頃の
ライブ映像を観て楽しみたいです。

( 以下はウィキペディアを参照しました。 敬称略 )
アンドレア ・ ボチェッリはイタリア、トスカーナ地方の村、
ライヤティコに生まれます。
6歳でピアノを始め音楽の道に進むのですが、
12歳の時にサッカーボールを頭に受け、
脳内出血を起こしたことで先天性緑内障が悪化して失明します。
歌手になる夢は捨てきれずにいたのですが、
障害を乗り越えて法学博士号を取得し弁護士として活躍していました。

世界的なテノール歌手であるルチアーノ・パヴァロッティと
イタリアを代表するロック&ポップス歌手の
ズッケロ (Zucchero) に見出され1994年にデビュー。
1994年のサンレモ音楽祭新人部門で優勝した。
イタリアン・ポップス、カンツォーネの曲を収録した
アルバムを2枚発表した後、「VIAGGIO ITALIANO」という
アリアやナポリターナなどを歌ったアルバムを発売し、
ヨーロッパ中で大ヒットします。
このアルバムは初期2枚からのベスト盤となっています。
ボチェッリのために作られた「コン・テ・パルティロ」は、
後にタイトルと歌詞の一部を英語に改めて 「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」 として
サラ・ブライトマンとデュエットしたバージョンが発売され、
1500万枚以上の驚異的なセールスを記録しました。

現在のイタリアを代表するテノール歌手の1人として高く評価されており、
2006年に行われたトリノオリンピックの閉会式では「Because We Believe」を、
2007年7月にロンドンで行われたダイアナ妃追悼コンサートで
ミュージカル「オペラ座の怪人」を披露するなどの幅広い活動を行っています。
2007年9月には、ボチェッリの師匠筋にあたるパヴァロッティのモデナで行われた葬儀でも歌声を披露しました。
2008年2月10日第50回グラミー賞でパヴァロッティの追悼曲として自身のヒット曲である「The Prayer」を
カバーしたジョシュ・グローバンと共に歌い上げました。
2009年5月27日UEFAチャンピオンズリーグ決勝の開会セレモニーでは、
チャンピオンズリーグアンセムに独自の歌声を重ねた。
2010年4月30日、中国で行われた上海国際博覧会のオープニングセレモニーでは
パヴァロッティの代名詞ともいえるオペラ「トゥーランドット」のアリア、「誰も寝てはならぬ」を披露し、
2018年10月12日には、エリザベス女王の孫でもあるユージェニー王女とジャック・ブックスバンク氏とのロイヤル・ウェディングでその歌声を披露。
J.S.バッハ(グノー編)による「アヴェ・マリア」、セザール・フランクによる「パニス・アンジェリクス(天使のパン)」の2曲を歌唱しました。
式は、ウィンザー城のセント・ジョージ・チャペルで行われ、 世界中で何百万人もの人々が視聴しました。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。