アメリカではまた飛行機事故があったそうで怖いです。搭乗したら機長に命を預けるしか無いのだけど、ヘリコプターに突っ込まれるとなると… 皆さんのご冥福をお祈りいたしますのと共に、思い出すのは音楽界での飛行機事故。
音楽産業の隆盛と共に音楽スター達はコンサートなどに東奔西走。ビックともなると自家用機で移動するのですが事故も起きる。大好きなビック・Oこと、オーティス・レディングの自家用機が湖に墜落し、全員が亡くなったのが1967年12月10日。
切々と歌うラティモア・ブラウンの「オーティス・イズ・ゴーン」を聞くとジーンとします。
溯ればグレン・ミラーの乗った飛行機が消息不明になったのが1944年12月15日。慰問楽団を率いイギリスからフランスへ移動した専用機の消息が途絶え、彼を敬愛していたと言うマンハッタン・トランスファーが「トワイライト・ゾーン」の中でその事を歌っていました。知られていない世界に行った … と。
そして今日2月3日が音楽が死んだ日 (The Day the Music Died) とも言われるのは、70年代にドン・マクリーンが歌った「アメリカン・パイ」から来ているそうです。
1959年2月2日に悪天候の中飛び立った飛行機は、翌3日未明にトウモロコシ畑の中から見つかり、乗っていたロック・ロールのスター三名とパイロットは全員死亡。
数多くのヒットを飛ばし一番知られ、以前ブログに書いた「モア・ザン・アイ・キャン・セイ」など、多くの曲がカバーされているバディ・ホリーが22歳の若さでした。
好きだったリッチー・ヴァレンスの「ドナ」は、B面の「ラ・バンバ」の方がヒットし多くのカバーが生れ、チカーノ・ロックの先駆者とも言われたはずです。この時彼はまだ17歳。
一番年長28歳の"ビッグ・ボッパー"ことJ.P.リチャードソンは、「シャンテリー・レース」で知れますが、ライターとしも活躍し、前に書いた(1/18)「ランニング・ベア」は彼の作品。歌ったのは友人のジョニー・プレストン。
この曲の中でリチャードソンは、インディアン風の掛け声で参加していますが、曲の発売は突然の事故で延期され、その年の秋にようやく発売。時間をかけ翌年の1月から3週連続の№1となるのですが、彼にその賞賛の言葉は届く事が無いのです … 。
以上【聞きたい365日】 第392話でした。