daddy-kのいきあたりばったりⅡ

以前のブログが閉鎖でⅡを立上げ。食の別ブログもあります:https://ameblo.jp/mightymogu/

暗い港のブルース/モダン・プレイボーイズ

2023-01-29 | 音楽つれづれ

歌謡曲が花盛りだった昭和30~40年代あたりには、ヒット歌謡曲の中に○○ブルースと付いた曲が割とあり、 ブルースの女王もいたりで、黒人のブルーズをかじり始めた私はこれがブルーズ! 何でフォーマットの違う歌謡曲がブルースだ!と腹立たしく思ったので。

洋楽のインスト曲にも”ブルース”と付くものはあったのだけど、これには何故か腹が立たなかったのは、洋楽はハイカラで歌謡曲はダサい、と思っていた青く鼻持ちならない時代の自分の反省なのですが。

中で好きだった好きだったファースト・パペッティ(As)の「鞄を持った女のブルース」始め、クラリネットのセンチメンタルな響きが懐かしい「青い灯影のブルース」とか「白い渚のブルース」等を思い出します。これらのどれも原題にBluesと付いて無いのですが…。

メランコリックでブルーな雰囲気だから"ブルー”スになった?とも思えるし、これらはダンス・フロアのチーク・タイムの定番。社交ダンスでは、スローテンポな曲のスタイルを"ブルース"と呼ぶようで、そこから付けたのかな?どちらかとも思うのですが。

 

これら当時ヒットしたインスト曲は、ほぼ海外の曲だったのですが、中で唯一の日本の曲(私の印象)が、モダン・プレイボーイズの「暗い港のブルース」(1963年)でした。

前々回の「暗い砂浜」から流れ漂って、辿り着いた連想が「暗い港」とは、そろそろネタが尽きかける証拠なのですが… それはさておき、モダン・プレイボーイズは、トランペットの早川博二氏率いるコンボ。

氏は主にポリドールで仕事をされたようで、演奏以外に作/編曲でも活躍し、キングトーンズの「家に帰ろう」は、氏の手によるもの。またキングトーンズのファースト・アルバムでは内5曲の編曲を担当しています。

インスト曲だった「暗い港のブルース」に薩摩忠が詩を付け、フランク赤木が歌った盤も後に発売され、会社がこの曲にかける期待は大きかったのでしょう?と言っても、私は中古盤を見かけるまでその事は知らなかったのですが。

しっとりとしていながら芯のある歌唱。ヒットにならなかったのは残念ですが、じわっと滲みて来る良い歌声でした。また、この曲のB面「みんな行ってしまった」は、詩/曲/編:中島安敏とあり、あの和製ポップス第1号「涙の太陽」作者の初期作品のようです。

彼は小学校の頃から米軍キャンプ回りのバンドボーイをし、ウェスタンバンドを経て独立し、歌謡曲を吹き込んだり映画に出演したりもしたそうですが、どれも当たらなかったようで、その分どのレコードも今はオークションで結構な値が付くレア盤みたいです。

ヒットには恵まれなかったようですが、実力の方はしっかりしていて、キングトーンズに歌唱指導をしたという話もあります。

暗い港のブルースはキングトーンズも吹き込んでいて(右)、シングルも発売されました。こちらの歌詞はなかにしが手を加えていますが、歌声で聞き比べると内田さん(キングトーンズ)のフレーズ感は、とってもフランク赤木に似ていますね。

初めて聞いた時フランク赤木氏を、あっ内田さんに良く似ている… 何て思ってしまったのですが後でこれを知り、赤木氏の方が師匠だったんだ!と思わず聞き直したものでした。これは両方ともネットに音源がありましたので、興味ある方は聞き比べてみて下さい。

フランク赤木盤 ⇒  https://www.youtube.com/watch?v=3F8XY2Pur78

キングトーンズ盤 ⇒  https://www.youtube.com/watch?v=K_lkpSepNKA

キングトーンズの内田さんは今は亡く、フランク赤木さんも現在の消息はわからないようで、このお二人のような60年代の洋楽を思わせる歌手は、もうレコードの上だけかぁと、オールディズ爺ィには寂しい事なのです。

■ 以上、聞きたい365日 第336話でした。