daddy-kのいきあたりばったりⅡ

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あきらめ節/加川良

2024-02-29 | 音楽つれづれ

先月書いたブログ大きな猫?が好き」の中で、明治期に活躍した"演歌師"添田 唖蝉坊の「あきらめ節」より おまえこの世に何しに来たか 税や利息を払うためを引用しました。※"演歌師"は明治期の歌本を売るため"演説の歌"を歌う人。歌謡演歌とは関係ありません。

でも彼自身の歌で耳にした事が無いし、本も読んだ事が無かったので困った時は図書館。

本は何冊かありCDもあったのですが、「あきらめ節」の唄は入ってなくて、その代わりにこんな感じだったのかな?と思う唄声をネットで見つけました。土取利行「あきらめ節 苦しかろが又つらかろが 義務は尽くさにゃならぬもの 権利などを欲しがる事は 出来ぬものだと あきらめる… 庶民の暮らしは明治の頃から一緒だなぁ、その頃より医療や福祉面は進んだと思うけど、少子化が進み国は借金大国に…などという話は置いておいて。

私が唖蝉坊を歌を知ったのは、加川良さんのファースト・アルバムの「教訓」からでした。

70年代は日本のフォークが結構人気。でもフォークはアメリカでしょう?派の私はあまリ関心が無かったのですが、古いアメリカのフォークソングに日本語の詩をのせて歌う人達もいると知って、少し興味を持った中で気になったのが加川良さんの「その朝」。恥ずかしながらそれがカター・ファミリーの「永遠の絆」が原曲とは後で知るのですが。

「その朝」の詩に響くものがあってアルバムを求め、そこで「あきらめ節」にも出会います。唖蝉坊の詩に高田渡さんが新たな曲を付け、詞も一部加えたものを加川さんがカバーし、こちらはアメリカのフォークでは無かったけれど結構気に入りました。

それをきっかけに日本のフォークにも興味を持ち…と言う事は無く、チラチラを横目で見る程度で終わったのは、あの湿気が肌に合わなかったからですが、加川良さんはカラッとしていてこちらは肌に合い、その後も聞いていました。

高田渡さんはきちっと聞いた事が無いけれど、沖縄出身の放浪詩人「山之口獏」の詩に曲を付けた「生活の柄」が記憶に残っています。朴訥とした歌声と詩が合っていて印象に残る歌でした。その高田渡さんを歌ったという加川良さんの「下宿屋」も今は懐かしいです。

添田唖蝉坊が亡くなったのは1944年の2月、明治生まれの彼が亡くなっているのは仕方ないにしても、私とあまり年の違わない高田渡さんも、加川良さんも、既に故人となられているのは寂しいことです。

以上、【聞きたい365日】 第372話でした。