daddy-kのいきあたりばったりⅡ

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江利チエミ/旅立つ朝

2024-02-15 | 音楽つれづれ

江利チエミさんと言えば、私は何と言っても「テネシー・ワルツ」で、オリジナルのパティ・ペイジは無論だし、カントリー界のジャニス・ジョップリンこと、レイシー・J・ダルトンの盤と甲乙つけがたく悩むのだけど、やっぱりチエミさんの盤が僅差で一番かな。

彼女でもう1曲上げると「旅立つ朝(あした)」も好きです。これは1971年の曲でラジオから流れて来た時はなんだか歌謡曲離れした演奏だなと。後で「ニュー・ゴスペル・ロック」と付けられていたと知り、確かに当時はそんな感じがしたものでした。

曲を書いたのは村井邦彦。彼はアルファ・レコードを興したり、フィフィ・ザ・フリーを売り出したり、かなり洋楽っぽい曲を書くので好きな作曲家ですし、この曲では ♪この世には…と歌が始まるといきなりコードはmaj7というあたり、彼っぽくて良いな。

加えてカッコいいバックは渡米しLAで行なったそうで、演奏はあのレッキング・クルーのメンバーが担当し、アレンジがジミーハスケル、ドラムスはハル・ブレインなど、豪華なメンバーだったそうで、道理でグルーブ感が「洋楽」なはずです。

 

歌謡曲のバックをハリウッドのミュージシャンに委ねるのは、1968年に浜口庫之助さんが島倉千代子さんに書いた「愛のさざなみ」が嚆矢だったと思います。

ックを担当したのはボビー・サマーズのグループ。演奏と歌の録音は別々みたいですが、ハマクラさんの名曲とお千代さんの可憐な歌唱がとても合い、演奏は当時の歌謡曲としてはとんでもないクオリティだった事を思い出します。

イントロのスキっとしたテレキャスターのカッティング、お洒落な女性コーラスを配した編曲と、曲・歌唱・演奏と揃った畢竟の名曲となり、これが当時の音楽関係者に与えた衝撃は大だったようです。

1970年には同じくボビー・サマーズに依頼した曲もありましたが、二匹目の泥鰌にはならなかったようです。そのかわり1971年にはこの「旅立つ朝」がヒットし、1979年には日本の女性デュオがビーチ・ボーイズにバックを依頼と、音楽産業が活況だった頃の話ですが。

江利チエミさんが1982年2月に45歳で亡くなられ、もう42年も経つのですね。特別彼女のファンという訳でも無いのですが、「テネシー・ワルツ」と「旅立つ朝」は心に残る曲でした。

以上、旧ブログで書いたテネシー・ワルツと愛のさざなみから要約したので、第〇話のカウントはありません。