祁県映海戴氏心意拳倶楽部 公式ブログ

戴隆邦から脈々と受け継がれる戴氏心意拳。王映海伝戴氏心意拳の日本での伝承を行う祁県映海戴氏心意拳倶楽部の公式ブログです。

Re: 中国武術のアイデンティティ

2014-11-20 19:30:40 | 練習日記

Re: 中国武術のアイデンティティ 投稿者:k 投稿日:2013年 6月17日(月)16時40分33秒 返信・引用 編集済


うさぎさんへ

>  kさんへ 初回の訪中で、五行拳まで教えてもらえるなんて、すごいです。

霍先生は結構大雑把なところがありまして、1日一つ教える とあらかじめ決めていたのではないかと思います(^_^;)。

>  霍先生は、第六代伝人ですし、祁県からはだいぶ離れた陽泉の人であったことも一因としてあるのだと思いますが、五代伝人の王映海師父と比べると保守的な頑固さといったものからは、だいぶ自由で自分の個性を出せる位置にいたのだと思います。祁県の段錫福のお弟子さんたちの動きと比べてみても、霍先生の動きは独特な個性があふれています。
> 伝統的な教授法を踏襲しながらも、彼が生み出していった独創性は、戴氏心意拳の普及に大きく貢献されていると思います。

有難うございます。
実はこの事に関連して以前から疑問に思っていたことがありました。
霍先生はご自分で総合套路を作ったのですが、(霍先生から直接聞いたわけではありませんが)色々批判されたらしいのです。
現代人の感覚で言えば有用でないと判断すれば練らなければ良いだけで批判する必要もない気がするのですが、それ以前に以下の様な素朴な疑問を持っていました。

昔は(特に戴家拳は)秘密主義が徹底していて何を教えているか同じ弟子の間でも知らされていなかったと言います。霍先生も段先生は「自分だけの特殊な練功法を行っていて弟子にも教えていなかったハズだ」と仰っていました。
真偽のほどは別として、自分で練功の補助訓練を工夫することはよくあることだと思います。私も両手を垂らした状態からの丹田功以外の工夫をしたことがありますが特に人に話したことはありません。別の秘密にしたいたわけではなく、その時々で必要だから自分で工夫して行っただけで、個人的なことでもあり、特に機会もなかったので話さなかっただけなのです。
話がズレてしまいましたが、この様な土壌で套路を創作して発表することが何故そんなに批判の対象となるのでしょうか。
うさぎさん以外でもこの辺の事情に詳しい方がおりましたら宜しくレスしてください。

>  kさんが霍先生に「五行拳は無理でも丹田功から引気法までは続けるように」と言われたのは、「コイツが戴家拳を身につけるのは無理だなぁ」と内心思われたのではなく、丹田功から引気法までの習熟を図ることが大事だといわれたかったのではないでしょうか?

それも多少あるかもしれません。少なくとも私には有用なアドバイスでした(^_^;)。






中国武術のアイデンティティ 投稿者:土佐の川えび 投稿日:2013年 6月18日(火)21時50分19秒 返信・引用


> No.511[元記事へ]

kさんへのお返事です。

新套路の如何

1、かつては、武術で命のやり取りをしていた。現在、そういうことは出来ない。ゆえに、武術の本来の使用が出来ない現在人は、かつての達人の業を新しくできない、という考え。

2、「拳法は自分で変えたりふやしたりしても良いと思う。その代わり、それを正直に言わなければならない。昔から伝わっているなどとウソを言ってはいけない」
と言う発言が気に障る人がいた…。
3、これは、活躍されている人や天才の宿命で、いわゆる嫉妬される。

>「自分だけの特殊な練功法を行っていて弟子にも教えていなかったハズだ」と仰っていました。

これは、各流派に共通のハズ。
> 話がズレてしまいましたが、この様な土壌で套路を創作して発表すること~

これも、自然だと感じます。

私は、戴氏心意拳は金世魁師、牛希賢師、姫龍鋒師らの武術を結合し新たに造られた経緯もあるのでソレが伝統かなと思います。半分螳螂拳のように感じます。
改編により、かつての達人の意が伝わらなくなるリスクはあるので、古伝を墨守することも理解できます。
各流派それぞれ違うことは良いことだと思います。土佐も東京のように、いろんな流派があって中国武術が盛り上がればなぁ…と思ってます。
M老師は、中国武術全般の紹介にも活躍されているのではないでしょうか?分会の先生と話題にのぼります。





Re: 中国武術のアイデンティティ 投稿者:k 投稿日:2013年 6月19日(水)17時58分25秒 返信・引用


土佐の川えびさんへ

詳しいご回答有難うございました。

> 新套路の如何
>
> 1、かつては、武術で命のやり取りをしていた。現在、そういうことは出来ない。ゆえに、武術の本来の使用が出来ない現在人は、かつての達人の業を新しくできない、という考え。

なるほど!説得力のある考え方ですねぇ。

> 2、「拳法は自分で変えたりふやしたりしても良いと思う。その代わり、それを正直に言わなければならない。昔から伝わっているなどとウソを言ってはいけない」
> と言う発言が気に障る人がいた…。

「お前に変えられるだけの能力があるのか」といった考えですかねぇ。上記の考え方に通じるものがある様な気もします。

> 3、これは、活躍されている人や天才の宿命で、いわゆる嫉妬される。

霍先生は性格的にも(丸でなく)角なのでその辺りも一因があるかも知れません(^_^;)。

> 私は、戴氏心意拳は金世魁師、牛希賢師、姫龍鋒師らの武術を結合し新たに造られた経緯もあるのでソレが伝統かなと思います。半分螳螂拳のように感じます。

牛希賢師の名前は初めて聞きました(^_^;)。インターネットで検索すると中国語のサイトしかヒットしませんが有名な方なのでしょうねぇ。

> 各流派それぞれ違うことは良いことだと思います。土佐も東京のように、いろんな流派があって中国武術が盛り上がればなぁ…と思ってます。

土佐の事情はよく判らないのですが、確かに色々な流派に接する機会が多ければ得るところも大きいと思います。

> M老師は、中国武術全般の紹介にも活躍されているのではないでしょうか?分会の先生と話題にのぼります。

職業柄この様な掲示板への書き込みは控えていると思いますが、元気で活躍されています。
分会の先生とも面識があるのでしょうか。







Ads by LyricsArtAd Options


中国武術のアイデンティティ 投稿者:土佐の川えび 投稿日:2013年 6月20日(木)10時37分31秒 返信・引用


> No.513[元記事へ]

kさんへのお返事です。

いくつか例が有るものの、国外から取材が来ることは、異例の事なので風当たりが強いのでしょう。なかなか、武術界は難しい所のようです。この話題は、この辺で…。ここが炎上の可能性ありです。


> 牛希賢師の名前は初めて聞きました(^_^;)。インターネットで検索すると中国語のサイトしかヒットしませんが有名な方なのでしょうねぇ。

>技撃精要p4の、上から7行目に「陜西の牛希賢」とだけでています。それ以上は分かりません。
p2の系譜で、保守性のつよい武術のわりに、金世魁師や李洛能師の名が出てくるので、なんなんだ?と思ってました。それで読み進めると、名前がでてきました。交流があった訳ですね。
金世魁師は、六合螳螂拳の始祖、金葉師じゃないかなぁと思います。魏徳林師(鴨子爬掌魏三)の師にあたる方です。流派によっては、魏徳林師が師の名を隠し公表していません。魏師が何らかの理由で追われる身だったようです。六合螳螂拳の人差し指と親指だけをあわす螳螂手は、戴氏六合勢なんかで、何気にしてる手の形に似てます。


> > M老師は、中国武術全般の紹介にも活躍されているのではないでしょうか?分会の先生と話題にのぼります。
>
> 職業柄この様な掲示板への書き込みは控えていると思いますが、元気で活躍されています。
> 分会の先生とも面識があるのでしょうか。

連絡をとりあってる様ではないような…。分会の先生と私の会話は「あの方だよね」ぐらいのものです。





Re: 中国武術のアイデンティティ 投稿者:k 投稿日:2013年 6月20日(木)18時34分44秒 返信・引用


> No.514[元記事へ]

土佐の川えびさんへ

> いくつか例が有るものの、国外から取材が来ることは、異例の事なので風当たりが強いのでしょう。なかなか、武術界は難しい所のようです。この話題は、この辺で…。ここが炎上の可能性ありです。

了解致しました(^_^;)。

> >技撃精要p4の、上から7行目に「陜西の牛希賢」とだけでています。それ以上は分かりません。
> p2の系譜で、保守性のつよい武術のわりに、金世魁師や李洛能師の名が出てくるので、なんなんだ?と思ってました。それで読み進めると、名前がでてきました。交流があった訳ですね。
> 金世魁師は、六合螳螂拳の始祖、金葉師じゃないかなぁと思います。魏徳林師(鴨子爬掌魏三)の師にあたる方です。流派によっては、魏徳林師が師の名を隠し公表していません。魏師が何らかの理由で追われる身だったようです。六合螳螂拳の人差し指と親指だけをあわす螳螂手は、戴氏六合勢なんかで、何気にしてる手の形に似てます。

ご教授有難うございましたm(_ _)m。







Re: 中国武術のアイデンティティ(その2) 投稿者:k 投稿日:2013年 6月20日(木)20時10分50秒 返信・引用 編集済


土佐の川えびさんへ

何か味気ない返信になってしまったので中国武術会のほのぼのとした話題を一つ。

> 連絡をとりあってる様ではないような…。分会の先生と私の会話は「あの方だよね」ぐらいのものです。

M先生が中国にいた時「全く中国語の出来ない日本の女の子が太極拳家の家に住みついている」と言う噂を耳にしたことがあるそうです。後日、NHKの「ファーストジャパニーズ」という番組で横山先生という女性の中国武術家が紹介されたのですが、M先生は「あの子かなぁ」と言っていました。当時取材していれば天下のNHKを出し抜ける千載一遇のチャンスだったのですが残念なことです。

実はM先生と横山先生はその後日本で遭遇しています。
と言ってもグランドマスターに描かれた戴氏心意拳(もしかしたら刑意拳だったかもしれません。まぁ同じ様なものですので気にしないでください)と八卦掌の雌雄を決する死闘ではなく、先の震災で普段の練習場か使えなかった時期に一時的に借りていた練習場の近くに横山先生の教室があったので道路でお見かけしたらしいのです。
「奇麗な方でしたか!!!」と言う私の問いかけに対しては「ジャージを着ていた」とよく判らない返事が返ってきました(^_^;)。

実は私は横山先生のホームページを時々見ているのです(^_^;)。
いやらしい奴だ と思われた方が多いのでしょうが、中国茶の記事をへぇと思いながら読んでいます。
霍先生はマイボトル持参なのですが、何故か私の会の実戦派ナンバーワンのHさんもマイボトル持参派なのです。そんな訳で、私のイメージの中では「強い男=マイボトル」という図式が出来上がっているのです。この影響で私も何年か前にマイボトルを買ったのですが一度使っただけでそれ以降は使っていません(^_^;)。

将来自分で教えることがあれば、霍先生みたいにお茶を飲みながら教えたいのですが、スボラな私には難しいでしょう。何故か暗いオチになってしまいました(^_^;)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国武術のアイデンティティ

2014-11-20 06:23:48 | 練習日記
中国武術のアイデンティティ 投稿者:うさぎメール 投稿日:2013年 6月16日(日)19時30分27秒 返信・引用


 私の思いの中には、中国武術の存在価値というのを高めたいなあという気持ちがあります。
中国武術は無形の遺産で貴重なものであり、健身の面でも、対人の面でも人を強く生きさせる効果があると思っています。ですから、単なる生活の中での付加価値としての趣味的なものではなく、生活とか人生とかといったものの中にあって、人を強く生きさせるものとしての武術の役割があっていいのだと思っていますし、中国武術自体は、そういうものを内包していると思うのです。
 ですから、中国武術を伝えるときには、その伝え方というものが大切だと感じています。
やはり、講習会を開いて、今日はこの套路、次はどの套路という教え方や学び方というのは、武術を身に着けることにはなっていかないし、商品を並べて切り売りしていくような「武術の商品化」は中国武術の価値を下げている大きな原因の一つだと思うのです。
 書籍も、套路の動作写真があって、その動きを説明しているテキスト的なものは、動作を覚えるときに必要ですが、武術の内実を示していなければ、その套路を学んだことにはなっていかないでしょう。
 中国武術は武芸といわれるように、その技芸、芸術を身に着けていくことに本質があるわけですから、覚える武術から修熟していく武術に転換していかなければならないのだと思います。
 kさんへ 初回の訪中で、五行拳まで教えてもらえるなんて、すごいです。
私は、初回は、15日間つきっきりで練習して、丹田功、虎歩、diu把だけを延々と教わりました。最後の日に中節paoを学びましたが、本当におまけといった感じでした。
 霍先生は、第六代伝人ですし、祁県からはだいぶ離れた陽泉の人であったことも一因としてあるのだと思いますが、五代伝人の王映海師父と比べると保守的な頑固さといったものからは、だいぶ自由で自分の個性を出せる位置にいたのだと思います。祁県の段錫福のお弟子さんたちの動きと比べてみても、霍先生の動きは独特な個性があふれています。
伝統的な教授法を踏襲しながらも、彼が生み出していった独創性は、戴氏心意拳の普及に大きく貢献されていると思います。
 kさんが霍先生に「五行拳は無理でも丹田功から引気法までは続けるように」と言われたのは、「コイツが戴家拳を身につけるのは無理だなぁ」と内心思われたのではなく、丹田功から引気法までの習熟を図ることが大事だといわれたかったのではないでしょうか?
 王師父は私に、「お前にしっかりと教える。今回は,diu把や中節ほうまで教えたが、これは、熱意を感じたから教えたまでで、本来はそうではない、しっかり教えるというのは、多くの種類を教えることではない。詳しく教えるということだ」「私の時代は、丹田功だけを3年、歩法(この場合は虎歩)を2年やった。それをすればうまくなる。」ということを何度も何度も繰り返されました。丹田功と虎歩しか教えないということではなく、丹田功と虎歩には、5年間も教えるほどの重要で詳細なる内容があると考えたほうがよいでしょう。
 日本人は、戴氏を学んだ時に、「これだけしか教えてくれない。前に進まない。」と考える方が、多いようです。私もそのことではじめは悩みました。私やkさんのように日本人に戴氏を伝えていく者たちは、日本人好みに、たくさんの技法を教えていく方法に変えていくのではなく、少しの中に多くの意味があり、習熟すべき内容があるのだということを、日本人にわかりやすい表現で伝えていくことが大切なように思うのです。それが戴氏のアイデンティティなのかなと思うのですが、どうでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする