とにかく、何の予備知識もなく行くので、少し早目に到着できるように、とバスの時間もきちんと調べて出かけました。思ってたのより早い特急に乗れたので、四条大宮で時間に余裕があり、そうだ、お昼にちょっと早いけど、何か食べていこう、と思いました。今年は何回か大学に行く機会があり、学食にも惹かれたのですが、様子がわからないし、バス待ちの長い時間、ずっと外に立っているのもいやだったので、手近なところで王将に入りました。看板には一号店、とありましたが、はて?何の一号店だろう?なんて思ってました。
もちろん王将ですから待たされることもなくとっとと炒飯が出てきて、とっとと食べた私は無事立命館行き55系統のバスに乗ることができたわけです。ラッキーなことに最初から座れました。
途中、聞いたことのある地名がたっぷり出てきました。二条城は、この向かいのホテルで後輩が結婚式を挙げたという記憶が蘇り、上七軒には時代小説での艶っぽいイメージがあり、北野天満宮には、昔々、縁日で骨董のお店を冷やかして歩いた思い出があったり、などなど。で、終点立命館大学に到着です。
うーーん、で、私はどこへ行けばいいんだろ?受付で聞けばよかったんでしょうが、とりあえず中に入っちゃったし・・・。あ、見つけた。なんや、すぐ近くに会場の創思館はありました。
でも受付開始までかなり時間があります。慎重なあまり、早くに到着しすぎたようです。そのへんをぶらぶらして一生懸命時間を潰します。ここと共に四私大、と言われた同志社、関学には何度も行ってますが、ホントにここは初めて足を踏み入れたので、もっと探検したい気持ちはたっぷりあったのに、奥に入っちゃって迷子になったらどうしよ、と消極的だったのが今となってはちょっと悔やまれます。めったにないチャンスだったのにね。
今回の目的は、『日本とアメリカ、歌の架け橋』スティーブン・フォスター歌曲の需要と展開というタイトルの国際シンポジウム+レクチャーコンサートでした。
実は、デイジーヒルのレパの中に、フォスターの歌曲はかなり含まれています。30分のセットが組める位はあると思います。彼の歌を集めたアルバムも何枚かお気に入りを持っていて、まだレパが増えそうな気配です。それらの歌をライブでやる時のために、ネットで、ではありますが、結構色々調べたりしました。結果、元々裕福な家庭で育ち、家族の影響で音楽を作るようになり、商業音楽のはしりとしてたくさんのヒット作を送り続けた彼の晩年がかなり悲惨なものだった、という程度の知識は持ってます。
でも、世界的なフォスター研究の権威の先生の講義が聞ける(翻訳資料付き)のだから、もっと掘り下げた話がきけるだろう、と期待していました。更に、コンサートの出演者が、前述の大好きなアルバムSwanee(ミスタイプではありません。)を作ったJoe Weedだというのだからその期待は更にふくらみます。
入口に、録音NGと書いてあったので、正直な私は「写真撮影もダメですか?」と聞き、「はい。」と言われたのでおとなしくそれに従ってました。関係者席ではバシャバシャと写真を撮る人がいたり、ビデオを撮っている人もいたけど、仕方ないな、と思ってたら、途中でフラッシュが光りました。あれ?特に注意もされてないやん。その後も何度か写真を撮っている風でしたけど、まあいいか、と諦めて(っていうか翻訳資料はあるものの、前編英語での講義だったのでそんな余裕がなかった、ってのが本音です。)カメラは出さなかったので、コンサートの写真はありません。
冒頭で、アルバムと同じようなアレンジで10曲程度演奏します、という説明があったのですが、いやいや・・・なかなか。Joeと奥さまのMartha(CDではMartiと表記されてます。)がフィドル2台とギターとオープンバックバンジョーを持ち替えて、講演をしたDr.Rootも加わってのコンサートだったのですが、Joeは曲の説明はするものの、結局最後まで一度も歌は歌いませんでした。Marthaの雰囲気のある歌も良かったのですが、Root先生の歌に私はびっくりしてしまいました。研究者なだけでなく、フォスターの歌のフォロワーなのでしょうね。見事なヴォーカルでした。
曲の説明には翻訳資料は付いてないので、その場での通訳になりました。仕方ないこととはいえ、音楽的な知識がある方ではなかったらしく、私程度の英語力でも「いやいや。違うて。」って突っ込みたくなる場面が何度かありましたが、まあ、場内の95%の方々は私とは違う目的で参加されているのでしょうから、たいして問題はないのだと思います。
ふだん体験したことのないような、アカデミックな雰囲気の中、主催者の方々のご挨拶も英語で行われ、資料を追いかけるのがやっとな私は「あ~あ、現役時代、もっと一生懸命勉強しといたら良かったなあ。」と反省するばかりでしたが、貴重な、しかも楽しい時間を過ごすことができました。色々得たミニ知識はMCで活用しようっと!
3時20分に終わるはずの一部は、ほぼ40分押しで終了し(ブルーグラスタイムかい!)元々最後までいるのは難しいと思っていたので、ちょうど休憩時間になったのをいいことに、ここで退席することにしました。会場にはブルーグラス関係者が数名来ていて、そのうちの一人、Aきちゃんと一緒に北野白梅町のバス停まで歩きました。
初めて乗れるか、と思っていた嵐電。これに乗っても阪急の駅までたどり着けないことがわかったので諦めました。
フォスターの音楽が、ずっと昔から日本の隅々にまで浸透している理由のひとつは、著作権がない時代だったから。そのために彼の最期には数枚のコインといくつかの言葉を書いた紙切れしか残されていなかった、と思うと申し訳ない気持ちになります。せめてもの供養になるなら、しっかり歌っていきたいとまた思う私でした。
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