ひな菊の丘から

我が家のバースデーウイーク2日目

娘の誕生日については、いくつか思い出がある。まず一つ目は、尾崎豊の命日、これは彼女が生まれる前の事なのだが、確か、前日は相方のバンド、Gローショーの練習日だった。その頃、バンドメンバーの子どもたちが皆年が近かったので、よく家族単位で練習に参加し、子どもたちは団子状態で遊び、その母たちは夫の練習中、ずーーっと喋り倒していた。日帰りのこともあったが、その時は泊りがけで、朝、彼の訃報をニュースか何かできいた。私は自分の誕生日の翌日だったので、彼のファンでもなんでもなかったのだが、強烈に覚えていたのだった。(相方に言うと、「ようそんなこと覚えてるなあ」と驚かれたけど。)


もうひとつは、JR尼崎駅の脱線事故。この日のことはさすがに相方もよく覚えていた。前日の私の誕生日祝いに、尼崎駅前のスーパー銭湯に家族で行き、マッサージをプレゼントしてくれたのだが、その時も自宅から歩いた。子どもたちはよく付いてきてくれたものだと思うが、考えてみれば彼らはスポーツ少年団で山歩きをしてたので、よろよろの両親より、よほど体力があったのだろう。その日、事故のあった尼崎駅からJRに乗って帰宅、その翌日の事故だったのだ。ふだん乗らない路線だっただけに、インパクトが強烈だったことを覚えている。事故後、JRは、すぐ止まる、すぐ遅れる、という線になったけれど、何より安全が第一だと思うので、そのままの姿勢で行って欲しい。

さて、娘の誕生日。朝から私と彼女は、家から一歩も出ずに夕方を迎えた。直前まで何が食べたいか決まらず、最終的に「肉」と言ったので、相方が買いに出かけた。

後はふつうのおかず。えんどう豆の卵とじ、蕗の炊いたん、トマトサラダ



お肉だけは潤沢にあった。野菜はありもので。



まずはタンを焼く。その後ハラミ、ハラミ、ハラミでロース。お腹いっぱいになったかな?



いつものように、呑みすぎでダウンした相方を尻目に、主役二人はケーキに舌鼓。



こんな時期だけど、揃ってお祝いができて良かった。因みに千葉の長女からは朝お祝いメールに「欲しいもの何かある?」という言葉が添えて来たが、長男は便乗のスタンプのみだった。
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