Danchoのお気楽Diary

高校3年間応援団だった「応援団バカ」の日記。スポーツ観戦や将棋等の趣味の他、日常感じる事を、「ゆるゆる」綴ります。

応援団に捧げた青春(21)/野球応援に出かける際の「ルール」等を…

2009-10-21 09:32:00 | 応援団シリーズ化記事
私自身の高校3年間の思い出を綴る、このシリーズ。
2008年1月15日の第20話で、時計が止まったままですが、再開したいと思います。
(「待っていました」の声が聞けると良いのですが…)

直近が、1年9カ月も前になってしまったので、このエントリーから第1話~19話まで読めるように、リンクを張っておきます(第20話は、上のリンクから読めます)。

第1話 第2話 第3話 第4話 第5話 第6話 第7話 第8話 第9話 第10話 第11話 第12話 第13話 第14話 第15話 第16話 第17話 第18話 第19話
登場人物紹介

第20話までで、私が高校1年生の夏休み前(つまり、1年生の1学期)までの出来事を紹介しています。
少なくとも、私が高校3年生になって、卒業するまでは続きますから、この先は実は「長い」です。
ですので、これからの拙ブログは、本シリーズを主軸を置いて展開していきたいと思います。

再開の最初は、野球応援に出かけるときの「決まり」をお話したいと思います。

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私が籍を置いた、春日部高校応援指導部には、野球応援など、運動部の応援に出かけるときは、それなりの「ルール」があります。
(私が現役当時は、専ら野球部の応援に出かけていました。)

「バンカラ色」の強い、東北地方の高校の応援団は、球場まで徒歩で移動するようですが(風屋さん、おばらあつひろさん、そうですよね)、我が母校は、「公共交通手段」を利用して、最寄りの場所までは移動します。

その「公共交通手段」(主に電車)での移動についての「ルール」をお話しましょう。

団旗と太鼓は先頭車両の一番前に据える
団旗と太鼓は、やはり部内では「宝」ですから、当然先頭に据え置きます。

団旗と太鼓は、一般の乗客が手に触れないように、班員が守る
基本的に、団旗や太鼓は、一般の乗客を含め、同じ学内の生徒も手に触れることは厳禁です。球場で団旗を組み立てるときに、ポールの下を人が潜ることも当然禁止です。そうならないように、班員が体を張って守ります。

駅構内では、挨拶は「ショートバージョン」で
一般の乗客もいらっしゃるので、学校内で先輩方が見えたらする挨拶では、乗客も驚いてしまいます。そこで我が部では、公共交通手段で先輩方が見えた場合は、声も挨拶も「短い・小さい、ショートバージョン」で行います。
これは、練習後に先輩方を駅などで見かけた場合でも、適用されます。

駅に入った後は、整列を解き、なるべくバラバラに乗車する
これも、一般の乗客に配慮しての決まりです。
黒づくめの学ランが集団で1両を占領してしまうと、乗客も眉をひそめてしまいます。我々も「一般の乗客」ですから、そのマナーに従います。

電車内での私語は一切禁止
まぁ…当然と言えば当然の決まりですね。
応援団員が声を出しておしゃべりしては、一般の乗客に品行を疑われます。
学校内でも応援指導部は、「学校のリーダー」的な存在ですから、学校外でも、その「品格」を保たねばなりません。

電車内では、手すりやつり革につかまったり、ドア付近に身を寄せるなどの行為は一切禁止
そうなんです。電車内では「直立不動」で乗車しています。
万一電車の揺れが大きくなった場合でも、両足で踏ん張る努力をします。
これが、結構辛かった事を、良く覚えています。

目的地の最寄り駅などに着いたら、一般乗客に体当たりしない程度にダッシュして、整列にそなえる
駅構内に入る時も出る時も、団旗と太鼓が先頭ですし、団則である「規律・機敏・団結」の「機敏」が、この時に求められます。
当然ながら、その備えは、下級生程「機敏さ」が求められます。

さらに、番外編ですが、球場内での決まりごとがあります。それは…

応援が終わった後は、最後まで残って掃除をする
まぁ、「常識」ですね。
「たつ鳥あとを濁さず」という言葉を、実践しているだけです。

こうした「ルール」にしたがって、私達応援指導部は、応援する目的地に移動するのです。

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次回は、夏合宿に向けた練習と、5日間の、まさに「地獄」の夏合宿について、2回~3回程度に分けてお話したいと思います。

それ以降は、近隣女子高校と中学校の文化祭に「他校招待演技披露」で招かれた時の様子などをお話ししようと思います。

さらにその後は、現在は松山高校が加盟して「六校応援団連盟」となりましたが、「五校」から「六校」となったその曲折について、時系列が前後する部分はありますが、お話していこうと思っています
(松山高校応援團の現役諸君や、OBである読者の皆さんには、この話は必読と思います。実は、私が1年生の時に、現在の「六校」の形になりましたが、その様子を明らかにします。)

松山高校が「応援団連盟」に加盟が叶った件をお話した後は、秋季野球応援での「ドラマティックな再会」についてや、私達1年生が、春日部高校が所有する応援歌や拍手演技の「テク」を教えていただける「オフシーズン」に入りますので、その時の様子なども紹介したいと思います。

今後の展開を、どうぞお楽しみに。

(次回に続く)
Comments (8)
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