自称『応援団バカ』の小生でも、実は、あまり不思議に感じることなく使っていたことばがあります。
それは、応援団リーダー部員であれば当然ですし、運動会の応援団員にでも指名されたら必ず一度は発する、エール交換の時の「フレー」ということばです。
当たり前のことを「当たり前」と思っていると、こうなってしまうんですね…。
改めて、nanaponさんの『WHYを積み重ねること』の重要さが身に染みます。
ところが、10月29日の朝日新聞の「生活」面に、その「フレー」の意味についての諸説が載っていたのです。
興味深かったので、一部引用しながら、話を進めていきましょう。
応援団に3年間も身を置きながら、恥ずかしながら感じなかったのに、「フレー」と叫ぶことに『WHY』と感じたのは、なんと…小学生の女の子でした。
その女の子は、運動会の応援練習を学校でしてきたらしく、帰宅してから母親にこう語りかけたそうです。
「フレーって、どういう意味?」…
何気なく使ってきましたが、この女の子の鋭い指摘に、小生も大変恥ずかしながら、「降参」してしまいました。
思えば、小生も現役当時、幹部となり、副団長を拝命しました。
小生が3年間籍を置いた埼玉県立春日部高校応援指導部でも、エール交換は、団長と副団長しか許されません。
特に副団長は、野球の試合なら、7回の時のエール交換のみ、メイン台に上がることが許されます。
ですが、先輩からも特に「フレー」のことばの意味までは聞かされていませんでしたし、ある意味「呪文的」に使っていたと思います。
そこで新聞に目を通すと、小生が籍を置いた春日部高校応援指導部にとっては、「母」のような存在の、慶應義塾大学應援指導部の今年度(平成19年度)の主将である一之瀬 潤 君が、本件の取材に応じていました。
一之瀬君も実は…
「あまり意味は考えていなかった。先輩から、オランダ語と聞いたことはあるが…」
とのことで、現役のリーダー部の主将ですら、深く意味を追求していなかったことが分かります。
そう考えると、やはり女の子の指摘は、鋭いですね。
ちょっと話が逸れますが、記事を拝読して思ったのは、春日部高校応援指導部は、やはり慶應義塾のスタイルで応援活動を進めていることが鮮明になった…ということです。
それは何故か…。
慶應義塾大学應援指導部でも、エール交換で「フレー」と唱えることが許されているのは、主将と副将に限られていると、記事に載っていたからです。
しかも、慶應義塾塾歌と春日部高校校歌のテクとエール交換時のテクは、ほぼ一緒です。
昭和32年から数年にわたり、慶應義塾からコーチを受けた歴史を感じさせる一幕でしたね…。
話を戻しますが、そもそもエール交換は、1905年に早稲田大学が野球チームとして始めて渡米した時に、野球の技術と共に、アメリカの大学スポーツの応援方法である「カレッジエール」を持ち帰ったことに、端を発しているようです。
これは、1931年発行の「六大学野球全集」に記載があるようで、間違いなさそうです。
また、野球体育博物館の学芸員によれば、ボート競技などの応援で、各大学にいた外国人教師が、英米流のエールを教えて、そこから端を発して広まった説もあるようです。
では、肝心の「フレー」の語源って、一体…ということになりますよね。
「フレー」は、英語表記だと「Hurray」または「Hooray」と書くようです。
これには、「やった」とか「万歳」といった意味があるとか。
また、東京大学名誉教授で、『英語語源辞典』(研究社)の編者でもある寺沢 芳雄 先生によると、このことばは、どうも以下のように変遷していったようです。
*************************************
16世紀頃まで、船員達が「帆を巻き上げろ」とか「力を振り絞れ」という意味で、気合の言葉として使用されていた「Huzza」から派生して、それが、「Hurrah(フラー)」から「Hurray」と変形した。
しかし、それはあくまで説であって、人間の唸り声などを言葉にした擬音語・擬声語は、語源を特定するのは困難で、どうも、色々な国言葉から同時に影響を受けた可能性がある。
*************************************
とすると、慶應義塾の主将の一之瀬君が先輩から聞きかじったという、オランダ語は、「色々な国」の言葉の中に入るのか…そこが疑問になってきますよね。
そこで、『オックスフォード英語大辞典』を調べると、語源は実に多国籍であることが分かったそうです。
その「多国籍」とは、ドイツ、ロシア、スウェーデン、オランダ…と実に多かったそうです。
したがって、一之瀬君の「オランダ語説」は、あながち間違ってはいなかったことになりますね。
また、アメリカの文化人類学者がモンゴル帝国について描いた『パックス・モンゴリカ』(NHK出版)によれば、「フレー」という歓喜と激励の叫びさえも、ヨーロッパ人は、モンゴル人から借用したそうで、狩猟民族が使っていた言葉がルーツという説もあるそうです。
いずれにしても…
「外国から伝来した、気合を示す擬声語から変形した言葉」
というのが、当たり障りのない正解かもしれません。
なお、未だに応援団内で使われている「ウラー」「オラー」「スラー」「ホア」などの掛け声も、語源は同じようですが、主に、軍隊の中で独自の変遷を遂げたことばのようです。
いやぁ~改めて、勉強になりました。
野球の応援などでは欠かせぬ「エール交換」は、語源から…
「お互いの試合に賭ける気合を受け取ってお返しする、神聖な儀式」
と捉えると、とても「崇高」のような気がしますね。
追記
今回、取材に応じた慶應義塾大学應援指導部の一之瀬 潤 主将…実は、明治大学応援團に降りかかった「暗い影」を、「対岸の火事」ではなく、我が事のように捉えて、素晴らしい挨拶を、9月頃ホームページ上で公開していました。
それに関して、小生なりに感じたことを後日別に記事をエントリーする予定です。お楽しみに。
それと…『応援団に捧げた青春』シリーズも、幹部交代が終わり、夏の野球応援の練習のところ(第19話)で止まったまま、「ペンディング」になっています。
こちらもエントリーできるように頑張らなくては…いけませんね。
それは、応援団リーダー部員であれば当然ですし、運動会の応援団員にでも指名されたら必ず一度は発する、エール交換の時の「フレー」ということばです。
当たり前のことを「当たり前」と思っていると、こうなってしまうんですね…。
改めて、nanaponさんの『WHYを積み重ねること』の重要さが身に染みます。
ところが、10月29日の朝日新聞の「生活」面に、その「フレー」の意味についての諸説が載っていたのです。
興味深かったので、一部引用しながら、話を進めていきましょう。
応援団に3年間も身を置きながら、恥ずかしながら感じなかったのに、「フレー」と叫ぶことに『WHY』と感じたのは、なんと…小学生の女の子でした。
その女の子は、運動会の応援練習を学校でしてきたらしく、帰宅してから母親にこう語りかけたそうです。
「フレーって、どういう意味?」…
何気なく使ってきましたが、この女の子の鋭い指摘に、小生も大変恥ずかしながら、「降参」してしまいました。
思えば、小生も現役当時、幹部となり、副団長を拝命しました。
小生が3年間籍を置いた埼玉県立春日部高校応援指導部でも、エール交換は、団長と副団長しか許されません。
特に副団長は、野球の試合なら、7回の時のエール交換のみ、メイン台に上がることが許されます。
ですが、先輩からも特に「フレー」のことばの意味までは聞かされていませんでしたし、ある意味「呪文的」に使っていたと思います。
そこで新聞に目を通すと、小生が籍を置いた春日部高校応援指導部にとっては、「母」のような存在の、慶應義塾大学應援指導部の今年度(平成19年度)の主将である一之瀬 潤 君が、本件の取材に応じていました。
一之瀬君も実は…
「あまり意味は考えていなかった。先輩から、オランダ語と聞いたことはあるが…」
とのことで、現役のリーダー部の主将ですら、深く意味を追求していなかったことが分かります。
そう考えると、やはり女の子の指摘は、鋭いですね。
ちょっと話が逸れますが、記事を拝読して思ったのは、春日部高校応援指導部は、やはり慶應義塾のスタイルで応援活動を進めていることが鮮明になった…ということです。
それは何故か…。
慶應義塾大学應援指導部でも、エール交換で「フレー」と唱えることが許されているのは、主将と副将に限られていると、記事に載っていたからです。
しかも、慶應義塾塾歌と春日部高校校歌のテクとエール交換時のテクは、ほぼ一緒です。
昭和32年から数年にわたり、慶應義塾からコーチを受けた歴史を感じさせる一幕でしたね…。
話を戻しますが、そもそもエール交換は、1905年に早稲田大学が野球チームとして始めて渡米した時に、野球の技術と共に、アメリカの大学スポーツの応援方法である「カレッジエール」を持ち帰ったことに、端を発しているようです。
これは、1931年発行の「六大学野球全集」に記載があるようで、間違いなさそうです。
また、野球体育博物館の学芸員によれば、ボート競技などの応援で、各大学にいた外国人教師が、英米流のエールを教えて、そこから端を発して広まった説もあるようです。
では、肝心の「フレー」の語源って、一体…ということになりますよね。
「フレー」は、英語表記だと「Hurray」または「Hooray」と書くようです。
これには、「やった」とか「万歳」といった意味があるとか。
また、東京大学名誉教授で、『英語語源辞典』(研究社)の編者でもある寺沢 芳雄 先生によると、このことばは、どうも以下のように変遷していったようです。
*************************************
16世紀頃まで、船員達が「帆を巻き上げろ」とか「力を振り絞れ」という意味で、気合の言葉として使用されていた「Huzza」から派生して、それが、「Hurrah(フラー)」から「Hurray」と変形した。
しかし、それはあくまで説であって、人間の唸り声などを言葉にした擬音語・擬声語は、語源を特定するのは困難で、どうも、色々な国言葉から同時に影響を受けた可能性がある。
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とすると、慶應義塾の主将の一之瀬君が先輩から聞きかじったという、オランダ語は、「色々な国」の言葉の中に入るのか…そこが疑問になってきますよね。
そこで、『オックスフォード英語大辞典』を調べると、語源は実に多国籍であることが分かったそうです。
その「多国籍」とは、ドイツ、ロシア、スウェーデン、オランダ…と実に多かったそうです。
したがって、一之瀬君の「オランダ語説」は、あながち間違ってはいなかったことになりますね。
また、アメリカの文化人類学者がモンゴル帝国について描いた『パックス・モンゴリカ』(NHK出版)によれば、「フレー」という歓喜と激励の叫びさえも、ヨーロッパ人は、モンゴル人から借用したそうで、狩猟民族が使っていた言葉がルーツという説もあるそうです。
いずれにしても…
「外国から伝来した、気合を示す擬声語から変形した言葉」
というのが、当たり障りのない正解かもしれません。
なお、未だに応援団内で使われている「ウラー」「オラー」「スラー」「ホア」などの掛け声も、語源は同じようですが、主に、軍隊の中で独自の変遷を遂げたことばのようです。
いやぁ~改めて、勉強になりました。
野球の応援などでは欠かせぬ「エール交換」は、語源から…
「お互いの試合に賭ける気合を受け取ってお返しする、神聖な儀式」
と捉えると、とても「崇高」のような気がしますね。
追記
今回、取材に応じた慶應義塾大学應援指導部の一之瀬 潤 主将…実は、明治大学応援團に降りかかった「暗い影」を、「対岸の火事」ではなく、我が事のように捉えて、素晴らしい挨拶を、9月頃ホームページ上で公開していました。
それに関して、小生なりに感じたことを後日別に記事をエントリーする予定です。お楽しみに。
それと…『応援団に捧げた青春』シリーズも、幹部交代が終わり、夏の野球応援の練習のところ(第19話)で止まったまま、「ペンディング」になっています。
こちらもエントリーできるように頑張らなくては…いけませんね。