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【163】善光寺 長野

2014年04月17日 | 【中日本の古刹】

【163】善光寺 長野

住所 長野市長野元善町491
宗派 単立(天台・浄土共同)
山号 定額山
開山 本田善光
本尊 一光三尊阿弥陀如来

国宝 本堂
重文 三門、経蔵 銅造阿弥陀如来立像 銅造観音菩薩立像 銅造勢至菩薩立像 (以上秘仏) 銅造釈迦如来涅槃像 紙本墨書源氏物語事書
備考 秩父34結願寺・日本三大如来(善光寺・平等院・清涼寺)信濃33観音客番

 『善光寺縁起』によれば、本尊一光三尊阿弥陀如来は、天竺、唐、百済へと伝わり仏教伝来の折りに日本へ伝えられた日本最古の仏像といわれております。もちろん国宝ではなく重文ですから日本最古と言うのはまっかな嘘です。こんな分かり切った嘘でも平気でまかり通るのが宗教の世界です。さて、この仏像、廃仏派の物部氏によって難波の堀江へと打ち捨てられ、後に、信濃国司の従者として都に上った本田善光が信濃の国へと持ち帰り飯田市に祀ったのが始まりとあります。皇極天皇の勅願により伽藍が造営され本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられ護持されてきた。
 鎌倉時代になると、源頼朝や北条一族は厚く善光寺を信仰し、全国に善光寺信仰が広まった。戦国時代に、武田信玄は本尊や寺僧に至るまで、善光寺を組織ごと甲府に移した。武田が織田・徳川連合軍に敗れると、本尊は織田、徳川の祀るところとなり、最後は豊臣秀吉が京都方広寺の本尊としてお奉りすることになった。秀吉の死の直前、42年振りに善光寺に戻った。数奇な運命をたどる一光三尊阿弥陀如来だが、壊されることもなく大切に転々としたことが救いだった。
 天台宗の支配下にあったが、阿弥陀如来の浄土信仰と相まって浄土宗と両立し交互に本尊を祀っている。

御詠歌

身はここに 心は信濃の 善光寺 みちびきたまえ 弥陀の浄土へ

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