MUSIC&SHIPS

音楽と船の日記

日本語が亡びるとき 英語の世紀の中でを読んで

2019年08月15日 | 日記
2008年10月31日に筑摩書房より刊行された水村美苗の評論集。
大変難しい文書で自分のボキャブラリーではよく理解できないことが多くて、
感想もゆるくしており、感じたことの一部だけを書きます。
現在、全世界で話されている言葉は英語であるが、各国には現地語があり、
現地語で書く人は限られている、このままでは現地語は亡びる、
その国にはその国の歴史、文化等があり、それらを英語に訳して本当のその国の文化を残すことになるだろかと、
著者は提言していて、日本語についての歴史、文化、普遍性について語っておられます、
終戦後の日本語の扱いについて大変きめ細かく書かれています、
また、夏目漱石については深く書かれており、自分も夏目漱石は高校生まではよく読んだ書物でしたが、
ここまで深く考えて読んではいませんでした。
特に著者が良く出てくる文書に普遍語については共感しました。
山下達郎が何時も言っているのが曲を作る時には普遍性であること、
一番に作られています、そのため何時までも歌い継がれていきます、
このことが著者は、自国語で書くことの大切さはここにあるので、何でも英語に訳せば良いわけではない、
自国語の古典を知ることの大切が自国語の理解すること、英語に翻訳する時に役立つことを解かれています。
繰り返しになるのですが、山下達郎は歌詞を英文にする時は自分でも英文に書いていても、
それを亡くなられたアラン・オディに再度、書いた内容について説明して英文に翻訳を依頼していました。
著者は「二重言語者」という表現で再々書かれていて、英語で綴るのであれば、
日本語もちゃんと理解して、英語についても理解していなければ、書くことは出来ないと。
そのことを山下達郎は理解していて、安易に自分では英詩で書かなくてアランに依頼して確認していたと思います。
多分それは曲についての普遍性であることの大切であると思います。

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