20世紀の哲学を代表する名著である「存在と時間」
伊集院、いかがですか?
すごく難しい本なんだっていうことをわかった上で理解できればなと思って取り組んでいます。
ギャハハー👏
のっけからいい仕事しはりますな😸
それだけで本が一冊書けるわ(^ー^)
人間はどう存在しているのか。
ハイデガーは次のように考えています。
現存在(人間)は日常において自分を自分ではないものとして理解して生きている。
正解🐰
自己自身の理解には2つの可能性がある。
①本来性 自分らしさに従って自分を理解する
②非本来性 世間の尺度に従って自分を理解する
ほとんどの現存在は②でつね🐹
ちなみにマロ子は①、
宮城のエロ河童は②の10倍。
腐れのおかげで超難解といわれるハイデガーが超絶簡単になりましたね( ◠‿◠ )
自分ではないものによって自分を理解するということは、
誰かから、あるいはどこかから借りてきた言葉で自分を規定しているということになります。
こうした自分ではないものを自分にもたらすものをハイデガーは世人という言葉で呼んでいます。
人間を現存在と呼んだり、世間を世人と呼んだり、
ハイデガーってめっちゃややこしいおっさんでんな🦖
「人間」というありふれた言葉は先入観をもたらすので、あえて新しい名前を考案したそうです🦕
実におもしろい🐞
それだけで長方形の紙の束(本)が一冊書けそうじゃ🐝
世人(ダスマン)は世間とか空気とか🐢
おっさんは世人という概念から無責任や同調圧力の問題を分析しました🐛
日常的な現存在であるのは誰なのかという問いには、それは世人であると答えられる。
この世人とは誰でもないひとであり、この誰でもないひとに、すべての現存在は互いに重なり合うように存在しながら、自らを常にすでに引き渡してしまっているのである。
大正解~🌷
何となく「みんなもこうしている」
「こうした方がいい」
という規範をもたらす空気のようなもの。
それが世人です。
日常において現存在は世人に従って生きている。
どんな時でも空気を読み、みんなが正しいと思うものに照らし合わせて自分を理解しているのです。
自らを世人に引き渡してしまった現存在は、自然に世人が考えるように考え行動する。
マンモス正解〜🐋
例えば読書や絵画鑑賞を楽しんでいる時ですら、私達は空気を読んでいるのです。
読んでる読んでるー🐬
私達はひとが楽しむように楽しみ、興じる。
私達が文学や芸術作品を読み、鑑賞し、批評するのは、ひとが鑑賞し、批評するようにである。
村上春樹は裏切らないとかね(^_-)
私達が群衆から身を引くのも、ひとが身を引くようにである。
私達が憤慨するのもひとが憤慨するようにである。
プーチン批判がまさにそうでつね🐥
例えば美術館に行って絵がかかっていて、
絵だけを見てるとすごいへんてこだなと思うんだけど、
その横に解説が書いてあって、
ピカソのこういうことを表現した絵で、
歴史的に画期的なんですみたいなことを読むと、
見方がコロッと変わってしまうわけですね🐣
作品そのものを見ているんではなくて、
みんなが作品をどう評価しているかを気にしているにすぎない。
てゆうか、誰の作品かを気にしているにすぎない。
無名のド素人が書いても売れないが、ルーベンスの絵だっていうと50億で売れるのです🐈⬛
自分だけは空気を読まないで自由に生きているんだと思っている人の方が、実はすごく深く世人に飲み込まれているんだとハイデガーは考えた。
宮城のジジイがまさにそうじゃ🐻
「この方は型破り芸人です」って紹介されちゃうことの型破らなさ。
型破りなことができるのは型がわかっているからで、
型が何であるかをすごくわかってないとそれはできない。
そういった意味では型破り芸人も、実は全然すごく常識的な方だったりとか。
なるほどでつね🐯
常識外れの変態ぶってる僕が、実はめちゃめちゃ常識に縛られてたり。
ハイデガーは世人に飲み込まれた生き方を「頽落」と呼んだ。
別の言葉でいうと退廃。
穴に落ちるように世人に飲み込まれ抜け出すことができない。
頽落の3つの特徴
世間話・好奇心・曖昧さ
OMG!🙀
第一の特徴「世間話」というのは、みんなが理解できること。
内容が薄くて表面的なことしか話さない。
次々と関心が移り変わってしまう。
腐れの講演会でんな🐼
第二の特徴「好奇心」は世間に迎合して、自分の関心もコロコロ変わってしまう。
そういう落ち着きのなさを好奇心という言葉で表した。
見事な表現ですねー( ^ω^ )
最後は曖昧さ。
頽落した人間というのは自分の関心がコロコロ変わってしまうので、
「世間ではこういうのが流行ってるらしいよ、知らんけど」
みたいな。
どういう意見なのかがわからない曖昧さ。
ハイデガーはそれをいけないっつってんですか?🐁
そういうもんだっつってんですか?🐀
そういうもんだっつってんだよ、バカっ🦅
人間は日常において常に非本来的。
それが悪い方に作用していくと、自分の頭で考えて判断する機会が失われてしまう。
現存在は「みんなこうしてるんだから」
「自分もそうしないといけない」
「責任は自分にそうさせた世人にある」
というロジックが働き、結果的に自分を正当化することができてしまう。
こうやって人間は無責任な状態に陥ってしまうと🦋
なぜ私達は自分の頭でちゃんと考えることをやめて、みんなに合わせて世人になってしまうんですか?🐇
ハイデガーの答えは極めてシンプルです。
世人に同調してさえいれば安心できるから。
ギャハハー😂
現存在が世人のうちに、配慮的に気遣った世界のもとに没頭していることによって、
現存在は「本来的な自己であり得ること」としての自分自身から、いわば逃走していることが明らかになる。
本来の自分らしく生きるチャンスが逃げて、みんなの中で得られる安らぎ。
それって本当の安らぎなんすかね🦆
残念ながらそうではない。
みんなに同調していれば一時的な安心感を得られるが、
安心感を維持するためにみんなと同じように生きようとして、努力をしなければならなくなる。
めんどくさ(*´-`)
一時しのぎの安心感のために、本来性を捨てて非本来性を採用する。
存在しない「世人」に飲み込まれ、抜け出せない。
救いようのないバカですねー(´-`).。oO