ときどき思う。あゝ、まだ続くのかな俺の寿命・・・と。めんどくせぇなと。
寿命とはなんだ🦨
猪苗代の冷たさに耐えきれず、つい陸に上がってしまったくせしやがって、
めんどくせぇとはなんだ🦔
三十代女性。公務員。独身。
そりゃあ死にたくなるわな🍄
毎日がとにかく虚しいです。早く死にたいのに、なまじ健康でどうしようなく。
めっちゃわかる🌻
親が悲しむので自死は思い止まっていますが、毎日苦しい。
生きてても悲しんでるかもにゃ🐕
対人関係も仕事も別に悪いわけではない。自分一人生きる分には不自由ない金銭状況です。両親兄弟からも愛されてきて、普通に友人もいますが、希死念慮が消えない毎日です。
こんな心境の方、いらっしゃいますか?どうすれば、平穏に日々を送れますでしょうか?
希死念慮とかカッコつけやがってるけど、実は平穏無事に生き続けたいだけでつね🐁
福島のヘタレと同じだよ🐀
体が丈夫過ぎてしぬ気配が無い(;^_^A なんか身につまされる話だなぁ。
つまされるねえ( ^∀^)
一つ勘違いをしてると思うので体に、何一つ不自由がない方が自死しやすいのですよ 例えば、利き腕使えないとなると首をつるのもひと苦労です
なるほどそういう考え方もあるのか
ねえよ🐌
私もたぶん幼少の頃からどこか漠然とした「むなしさ」を感じる、いわゆる「厭世的」な体質だったのかも知れず、今その「むなしさ」を感じないかと言えば感じていないわけでも無いと思う。
マロ子は高校生の時から虚しさを感じるようになったですね。
厭世的というより厭己的。
自分がこの世に存在していることに虚しさを覚えた。
この虚しさは一度覚えると滅多に忘れることがない。
早く死にたいという思いが常に自分とともにある。
死にたいというより生きてちゃいけないみたいな。
こんな人間は一刻も早く死なないといけないっていう。
科学の世界に触れていればなにかつかめるかも知れないと思ってその道に進みはしたものの、そこで得られたのはこの世がーーそれが生命の営みであれーー淡々と機械的に回り続けるものでしかないのだな、という確信のみだった気がする。
ますます虚しいではないか🐞
「むなしさ」なんて言葉を使うと病んでる人なんじゃないかと思われるかも知れないがそうでもない。少なくとも私にとって「しぬほどのつらさ」ではなかったんだと思う。
またそれかよ🪰
ただ淡々とそのむなしさを見つめてきたに過ぎない。
要するにお前は1ミリも進歩してない🐺
生ぬるい湯に首まで浸かって、「あの日あの時」をリピート再生しているだけ。
淡々と機械的に回り続けているだけ。
カメ、淡々と~♪( ´θ`)
そして ・・・あきらめた°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°のだと思う。
死ぬのを?🐥
それが自然なことなのだと。生まれたことや、生きてゆくこと、老いること、死にゆくこと、そのあまりにも自然な理不尽を手前勝手な理屈によって都合よく解釈しようとして、不自然に抗おうとすることこそが悩みを生む根源なんじゃないかと。
それこそが手前勝手な理屈、
都合のいい解釈、
不自然以外のなにものでもない🦒
歳を重ねて高齢者と呼ばれる歳になると幸福感が増す、というデータを何かで見たことがある。多くの経験を積んでようやく至るその境地を「老年的超越」と呼ぶらしい。
うんこ臭い🐿️
私はまだその境地には程遠い気がするが、そういうものがあるならその境地から何が見えるのか、いっそ見てみたい気がする。
今おめえが見ているものこそが老年的超越さ🐝
それを見るために、とくに生きようという意気込みもなく、ひとり、淡々と峠を越えてゆく。
カメひとり 死にゆく日まで生きてゆく
こんなん出来ましたー╰(*´︶`*)╯♡
生きててよかったね🐳
あ、そうそう、
フランシーヌの場合はね、
死にたい死にたいと思ってると本当に死んじゃう、というデータを何かで見て、
これだ!と思い、死にたい死にたいと念仏みたいに唱えていて、
ある日、本当に死にかけたんじゃー🤸🏻♂️
あれはどこだったろう。
七里ヶ浜かな🏝️
海岸で若い2人が
波にさらわれる物語~♪
うちらは4人だったけどね。
カップルも一組いたね🏄🏻♀️