"サッダルマプンダリーカスートラ"
サッ=正、妙
ダルマ=法、規範
プンダリーカ=白い蓮の花
スートラ=経
仏教はご承知のとおり諸行無常でございますので、
知らねえな🐧
人生の時間の長さでは考えない。
人の寿命は無常であると、
その無常の中で、まず私という存在は死を迎えるんだと、
それは恒常性だよ。
諸行恒常だよバカ🐦
人の寿命が無常なら、私という存在は常に死を迎えるとは限らない。
死を迎えない私もいる。
これぞまさしく諸行無常🐤
そういうふうなことを思いました時に、まさに賢治さんはそういう生き方、
37歳という短い生涯、
しかしその遺されたお仕事の量というのは莫大なものがあるということを思いました時に、人生の長い短いではない、
仕事量の多い少ないではない🐞
賢治さんは二十歳になる前に法華経に出会い、信仰に目覚め、その経文が自分の生きる未来への大きな支えとなる、希望となると、
彼自身が様々な葛藤の中で一つの大きな光を見いだし、そしてそれに進んでいく。
とかく坊主は狂信的🐜
賢治の中に光を見いだし、まっしぐらに進んでいく🦂
賢治はその頃、親鸞の教えを伝える仏教書「歎異抄」を自分のすべての信仰とし、日々念仏を唱えていると綴っています。
ナンマイダーナンマイダ🥁
あ六根清浄六根清浄🪇
念仏を唱えることで善人も悪人も差別なく、すべての人が阿弥陀仏の本願によって浄土に導かれる・・・
こんサルがー🎸
賢治は歎異抄の教えを心の支えとし、仏教講習会にも通い続けていました。
カルトの洗脳会だとも知らずにな🐈⬛
そんな時偶然出会った一冊の仏教書が賢治のその後の人生を大きく変えてゆきます。
「漢和対照妙法蓮華経」
弟の清六は賢治が受けた衝撃をこう記しています。
「この本は前年から賢治が説教を聞いていた浄土真宗の島地大等の編輯したもので、その中の「如来寿量品」を読んだ時に特に感動して、驚喜して身体がふるえて止まらなかったと言う」
ぴぇーっ🦑
「この感動をノートに『太陽昇る』とも書いている。
以後賢治はこの経典を常に座右に置いて大切にし、生涯この経典から離れることはなかった」
「如来寿量品第十六」
自我得仏来 所経諸劫数 無量百千万 億載阿僧祇
神通力如是🦞
私が仏になってから経てきた時間はとてつもなく、計り知れないほどです。
苦しむ人々をあまねく救おうとし、時には方便という手立てを使ってきました。
ある時は自分が入滅すると説き、再びこの世には戻ってこないように見せもしました。
しかし私は決して滅んでなどいません。
常にあなた方のいるこの世界に住んで教えを説いているのです。
私のお墓の前で泣かないでください🐰
私がいるこの世界は決して破壊されることはありません。
しかし人々はこの世界がやがて焼き尽くされると思い込み、恐れや憂いや苦悩に満ちた世界だと妄想しています。
しかし善い行いをして功徳を積み、心が柔和で素直な人は、常に私が他ならぬこの世界で法を説いている姿をはっきり見ることでしょう。
私は常にこのように思っているのです。
いかなる方法によってでもすべての人々が最上の悟りに導かれ、すみやかに仏の身になることが成就できるようにと。
毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 即成就仏身🕺
賢治にとって、仏が死後の世界のみならず、現世にこそ存在し、人々に励ましを与えているという教えは、苦悩に満ちた人生を切り拓く指針となりました。
とかく賢治は狂信的🦚
本の冒頭には様々な仏教者による言葉が掲げられています。
法華経を根本聖典とした日蓮はもとより、浄土の教えを説く法然、禅宗の道元、
宗派の枠を超えて集められた法華経への賛辞です。
自称空海らしき名もありますね🐛
法華経という経典は、すべての人たちの差別、区別の仏教上の教義理論の違いを「一仏乗」という真理によって、諸仏の中心に久遠の釈迦牟尼仏があると。
バラバラだった仏教観、バラバラだった経典というものが、全てこの法華経によって総括されていくんだと、統一されていくんだと、こういったところにこの経の経王たるゆえんがあると。
そのわりに今だに統一されていませんね。
こんサルたちは🐕
一つには、同じ仏教思想の中でも「この方たちは仏になれませんよ」と、そういう排除されたお方たちがあったと。
自分の罪、あるいは善を成そうにも善が成せない、そのような苦しみ悲しみに喘いでいる人こそブッダによって救われていくという、そのようなむしろ悪人や、あるいは女人という社会下層的な、あるいは自覚している人たちに救いの手が差し伸べられてくると。
それは親鸞やろ🦒
もちろんその中に例えばお念仏を選択してくるという法然上人の立場、親鸞聖人の立場が出てくる。
浄土経典は少なくとも私たちがここでいったん死を迎えても、いわゆる西岸、西の方の仏様の国土、西方の仏様の慈悲によって包み込まれて、摂取されて、そして、そこで仏の台(うてな)、救いの世界にあずかると。
しかし法華経は少なくともこの世界に、ここに私は常にあって、
「お前たちの、あなたたちのこの時間と空間の中にあるよ」
「それは見ることができないでしょうけどあなたたちのすぐそばにあるよ」
というのが法華経の主張しているところ。
そんなこと主張してませんよ。
少なくとも如来寿量品第十六はと🦘
そして「この国土を離れて永遠の浄土もないよ」
だから皆さんは、ここを「穢土」と見るだろうけど、ちょっと目線を変えてごらん。ここに私がいるし、ここは安らかなる、光輝ける、あるいは黄金の世界じゃないか。
それを貴方たち
もうええわ。
すべてはお前の創作なのだし🦙
しっかりと覚知しなさい。悟りなさい」っていうのが「寿量品」という、先ほど出ましたその促しなわけですよね。
全部お前のペテン、妄想、でっち上げ🦢
こうであってほしいというテメエの願望だよ🦩
「自分たちはここが汚いと見るんじゃなくて、仏さんの眼を持ってこの私たちの国土を見てごらんなさい。
まさにすべての生き物がこの大地、同じ大地に命を受け、そして山あり谷ありもあるけれども、しかしそこに生うるそういう植物たちは草は草としての、樹木は樹木としての、それぞれの精一杯の命をまさに生きているじゃないか」という、そういう価値的転換を、天台哲学あるいは法華経の側から教えている。
そしておそらく賢治さんも、
賢治さんの培われた浄土思想的なものが更に仏様の大慈大非が一瞬たりとも絶えることなく注がれているという経文に深く感動されたんではないだろうか。
賢治にとっては一条の光だったんやろね🐓
そういったものの中に賢治さんがひかれていく教えの道があったと、こんなふうに思いますけれども。
それってあなたの感想ですよね?🐥
それはもう、文学活動というところを通せば、この著名な「銀河鉄道の夜」という作品を見ますとね、
賢治さんが近づき、そしてその中で苦悩していく法華経の考え方、経意というものが、すなわち世界観や時間論というものがちりばめられていると。
うーん🤔
如来寿量品に出会って太陽昇ったわりに闇っぽいのはなぜだろう。
暗黒の中で一筋の光に出会っても、結局闇に引かれていく。
エテ公どもがでっち上げた世界観から抜け出すことができない。
それが賢治という生き物だったんちゃう?🌻
1996年、太陽系で新しく見つかった星に「宮沢賢治」という名前をつけた人がいます。
賢治の弟清六と親しく、かつて民間天文台の館長でした。
桜の頃と命日は愛知から花巻まで来て墓参りを続けています。
何のために?🐣
ただ言うたら星に悪いけど、ただの星が名前がついたらそれに命が伝わるでしょ。
米田康夫にしろや🦂
賢治さんは紛れもなく自然を愛し星の好きな人でしたからね。
自業自得だね🐢
僕は名前を覚えるのが愛の始まりと聞いたんです。
そういう意味なんですね、命名するということは。
まあ人間の場合は・・・
名前を覚えるって大事やけども。
星は、なんかねー(*´-`)
名前がないと始まらないとですか?🐇
子どもさんが生まれた時に命名するでしょ。
それはすごく大事なことでしょ、一生背負っていくんやから。
だからこそ赤の他人の名前を勝手につけちゃダメでしょ🐁
ぬいぐるみに名前をつけるのとは違うで🐀
宮沢賢治を発見したのは現在の館長。
金星があってスバルと三角形になっているところ。
明るさは17等級。
宮沢賢治は3年とちょっとで太陽系を1周します。
宮沢賢治は太陽から少し遠いのでゆっくりと動いています。
今後数億年以上は回ると思います。
・:*+.\(( °ω° ))/.:+
地球からおよそ2億㎞離れて光る小惑星「宮沢賢治」
そういうものにあなたはなりたいと?ʕ⁎̯͡⁎ʔ༄
子どもたちには「賢治」という名前の星があるということを知ってほしい。
それは本当に宇宙から見たらスギナの胞子のような小さな星なんですよ。
でもそこにあるということは忘れてはならんですね。
逆にありがた迷惑だったりしてwww
地球という星で賢治さんは37年生きられて、星になってからも生きて見ておられると、
人間の営みをね、見ていてくださると、
ずっと永遠に賢治さんは生きておられると、
まあそうでつね🐹
生きてた時は、そういう人に賢治はなりたかった。
苦しんでいるすべての人を救いたかった。
雨ニモマケズ、風邪ニモマケズ、
如来のように私はなりたい。
自業自得っス👾