Life Goes On

by Madonnalily

友よ

2024-08-30 22:58:29 | 日記
福音書でイエスが語るのは、見知らぬ人であろうと手を差し伸べる人としてのあるべき姿。
イエスはその死の時まで、弱さを抱えた人と共にありました。


ルカによる福音書
エルサレムに向かう旅の途中、一行の中にいた一人の律法学者がイエスに問いを投げかけました。

どうすれば永遠の命を得ることができますか🐹


イエスは律法に書かれている通り、心を尽くして神を愛し、隣人をあなた自身と同じように愛すことだと言います。

私の隣人とは誰ですか🐼


ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗に襲われた。
彼らはその人の衣服を剥ぎ取り、打ちのめし、半殺しにして去っていった。
たまたま一人の祭司がその道を下って来たが、その人を見ると道の向こう側を通っていった。
また同じように、一人のレビ人がそこを通りかかったが、その人を見るとレビ人も道の向こう側を通っていった。
ところが、旅をしていた一人のサマリア人がその人のそばに来て、その人を見ると憐れに思い、近寄って傷口に油と葡萄酒を注ぎ包帯をした。
それから自分のロバに乗せて宿に連れていき介抱した。
翌日サマリア人はデナリオン銀貨2枚を取り出し、宿の主人に渡して言った。
「この人を介抱してください。費用がかさんだら帰ってきた時に支払います」

さてあなたはこの三人のうち、強盗に襲われた人に対して隣人となったのは誰だと思うか。

うーん🙄


律法の専門家が「憐れみを施した人です」と言うと、イエスは仰せになった。
では行って、あなたも同じようにしなさい。

おやおや🐧
律法学者に向かってなんだその口のきき方は。

アンタそのうち逮捕されんぞ🦂
人を憐れむ前に自分を憐れんだ方がええで🕷️


サマリア人とは、アッシリアの侵攻で北イスラエル王国が滅ぼされ、異邦人とユダヤ人との間に生まれた人々。

へえ🐛

ですのでとても強く差別されている。
いわれなき差別をず~っと噛みしめてきた人間が、だからこそ困ってる人というのを決して見過ごすことがないということですね。

差別されてるわりに裕福でんな🐢
油、葡萄酒、包帯、&銀貨2枚、
ロバも持ってるよーん🐞


祭司というのはですね、ユダヤ教の中ではとても重要な地位に立つ人ですね。
このレビ人と言われてる人たちも、このユダヤの社会ではとても高い立場にいる人、信仰心の厚い人なんです。

傷ついた旅人を見過ごした人たちというのは世の中では信仰心が厚いと思われてる人たちなんです。

全員じゃないと思うけどね🐸


ですんで今ここで対決しているのは信仰心と良心。

別に対決してるわけじゃないんちゃう?🐟


イエスは人間の考える信仰心よりも良心の方が神の道に近いということを何か言ってそうですよね、ここでは。

それはどうかなぁ🦋


サマリア人は、そういう信仰心というわけではないですからね。

それもどうかなぁ🐝
むしろ信仰心の厚さを示しているような気がするが。


なにか隣人っていう言葉が位置的に近いとか、つながり的に、その属しているコミュニティが近いみたいなイメージもなくはないんですけど、ちょっとそういうことではないですね。

当たり前だろバカ🐠


ですんでサマリア人とこの半殺しになった人とは、もう初対面もいいとこだと思いますし、名前ももしかしたら知らないまんま別れちゃった、そのぐらいの関係ですよね。
だけども状況が2人を強くつなぐんだって。
ここでやはり重要なのは人であることということだと思うんですね。

祭司とレビ人は人でないと🦆


世界的には移民排除みたいな問題もありますしね。

腐れは人でなしと🐤


自分たちの中でも、ありとあらゆる人を隣人と認めてないというか、隣人の中に入れてないみたいなことあるかもしれませんね。

自分たちより老いた人、劣った人、憐れな人などと認めてたりしますね🐳


私たちが何かその、自分たちと遠い人は自分たちに危害を及ぼすというふうにどこかで思い込んでるところがあるんじゃないんでしょうか。

蒙古襲来のトラウマでしょうか🦀



続きましてイエスが選んだ弟子たち~🌻

12人の使徒というのは立派とは言えなかったと言っていいんでしょうか?🐇


立派というよりむしろ愚かだったという側面が強いんじゃないかと思うんですけど。

ふふふ(๑˃̵ᴗ˂̵)
ベンジャミンが選んだ弟子どもを彷彿させる🍐


選抜チームで行ってるのかと思ったらそういうことでもない。

選び抜かれた人みたいな。

ないない👋🏽


12人は集まればですね、一番偉いのは誰かと、誰が一番イエスに愛されてるかと話してるんです。

それを言ってるってことは、ちょっと教えがわかってないっちゃあわかってないわけですもんね🐕

そうとも言い切れないけどね。
教えがわかってるからこそ、一番偉いのは自分だと思い込むっていうのもある。
釈迦の弟子あたりにいそうじゃな🦉


ちょっとどころか全くわかってない。

若松よりはわかってそう〜🦌


イエスはですねやっぱり、愚か者を弟子に選んでいる。
ここもとっても意味のあることだと思います。

とってもどころか完璧に意味がある🦚


優れた人間だからイエスの弟子になれるんじゃないということもですね、この12人の選択の中には暗示されてるんだと思いますね。

そもそも優れた人間はイエスの弟子になりませんからね🐰


⭐︎最後の晩餐⭐︎
さて夕方になるとイエスは12人とともに来られた。
そして一同が席に着いて食事をしている時、イエスは仰せになった。

あなた方によく言っておく。
あなた方のうちの一人で、私とともに食事をしている者が私を裏切ろうとしている。

弟子たちは深く心を痛め、「まさか私ではないでしょう」と口々に言い出した。
そこでイエスは仰せになった。

愚か者めが🧌


12人の一人で、私と一緒に鉢に食べ物を浸している者がそれである。

オイラですか?🐒


まことに書き記されている通りに人の子は去っていく。
しかし人の子を裏切るその人は不幸である。
むしろその人は生まれなかった方がよかったであろう。

食事のあとオリーブ山へ向かったイエスは、弟子たち皆がイエスを見捨ててしまうことを予告します。

ペトロがイエスに言った。
たとえ皆がつまずいても私はつまずきません。

そこでイエスはペドロに仰せになった。
あなたによく言っておく。
そういうあなたが今日、今夜、鶏が二度鳴く前に、三度私を知らないと言うであろう。

しかしペドロは強く言い張った。
たとえあなたと共に死ななければならないとしても、決してあなたを知らないとは言いません。
すると皆もまた同じように言った。
(マルコによる福音書)


その後神に祈りを捧げたイエス。
眠るなと伝えましたが弟子たちは皆寝てしまいます。
しかしイエスは彼らを責めませんでした。
そしてイエスを捕らえに人々が現れます。
一緒にいたのはユダでした。

ユダはすぐにイエスに近寄り、「先生、いかがですか」と言ってイエスに接吻した。
イエスは仰せになった。
「友よ、しようとしていることに取りかかりなさい」
その時、人々が進み出て、イエスに手をかけて捕まえた。

お見事お見事👏


若松さんはこれをどう捉えてらっしゃいますか?

イスカリオテのユダがイエスを裏切ったって、これは間違いないと思うんですね。
しかしこの聖書の先を読んでいくと、さっきペテロが私は絶対裏切りませんというふうに言ってましたけど、実はペトロはイエスが言ったように鶏が鳴く前にイエスを知らないと繰り返すことになるわけですね。

ペトロはイエスの逮捕後、イエスとの関係を三度否認する🍄

ユダだけが裏切ったのではなく、弟子たち全員がイエスを裏切る。
というのが、このイエスの受難の場面のとても大事なところなんじゃないかなというふうに思うんですね。

見事な脚本ですね~🌹


なにかその、新約聖書を知らない自分たちもユダ=裏切者みたいな比喩でもちょっと使われたりするぐらい、ユダが裏切ったというイメージですけど、
ほかの使徒もみんな?🐷

助けないんです。
「弟子たちはイエスを置いて逃げ去った」という言葉が書いてある。
ですんでもう本当に見捨てるわけですよねイエスを。

最も憐れな隣人イエス👾


ユダはダメな弟子というよりも、むしろとっても優しい人だったんです、この人は。
この人は、ある高価なものを買う、そういう場面で彼が言うのはですね、そんなものを高いお金を出して買うんだったら、もっと貧しい人にそのお金で何かできるんじゃないかということをユダは言ったというふうに福音書は記してるんですね。

優しい人というより共産主義では?🐣


ユダはユダの理想があったんですよね。
その理想とイエスの考えというのがずれてきて、ユダはそこにとっても大きく苦しんだということなんだと思うんです。

それってあなたの感想ですよね🐥


ユダはですね、やっぱり自分が正しいんだというふうに思って、イエスを裏切るというのとも少し違うんじゃないでしょうかね。
もうこれ以上自分は何もできないというところに立たされた、やっぱり人間の悲劇だったと言っていいんじゃないかなというふうに思うんですけどね。

イエスより自分の方が賢いと思ったんでしょうか🦘


イエスはこう言いましたよね。
友よ、しようとしていることに取りかかりなさい。

イエスは人の心が読めるんだ🐫

安倍晴明の隣人です🤗


裏切ろうとしている人間に友よというふうに呼びかける。
これがイエスなんですよね。

皮肉屋なのね🦩


生まれてこなかった方がよかっただろうっていう言葉が・・・

あれも表面的に読むと、ユダのような男は生まれてこない方がいいんだというふうに読みがちなんですけど、
僕はどうしてもそうは読めなくて、なんと苦しい人生だろうって。
師を裏切らなければならないとは、なんとつらい人生だろう。

嫌ならやめてもよかったのよ🦢

ユダが裏切らなくても、いずれイエスは捕まる運命だったのだ。
律法学者もいたしにゃ🐈‍⬛


そういうことなんじゃないでしょうか。
そうじゃなければ友よという言葉は出てこないですよね。

さあね🐿️


こんな辛い思いをする子なんだという、
この弟子はという、
それと比べれば生まれてこない方がよかった。
俺に対して嫌なことをするからっていう話ではなくて。

全然違うと思うんです

はあ~(〃ω〃)


イエスはですね、最後までやっぱり弟子を手放さない、自分からは。
そこがとても大事なんだろうと思うんですよね。

とっとと手放せばよかったのにアンタも人が悪いね🐓

その方が弟子にとっても幸せだったかもしれない。
世界にとってもな🦃


最後までというか、イエスは裏切られても手を離さない。

しつこい男だなイエスは🐀
アンタ弟子に執着しすぎやで。

過去世の因縁かも🐁


やっぱり我々聖書を読む時に、いろんな立場に立って読むことできるんだと思うんですけど、僕は一度はですね、やっぱりユダの立場で読んでみるということはお勧めしたいなというふうに思います。
そうするとこの、友よと言われたこの呼びかけがほんとに深いとこに響いてくるんだと思うんですよね。

わたし的には生まれてこない方がよかったが一番響く🐱
核兵器10個分ぐらいのパワーがありますわwww
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