人間や社会は具体的な姿形をとったボキャブラリーである。
おお(^○^)
これ単に言葉という意味だけじゃなくて、振る舞いとかまで含めたような広い意味での言葉遣いをボキャブラリーと言ってるんですけど。
ふむふむ🐰
例えば会社に出勤して会社のビジネスパーソンモードでしゃべる時、お仕事モードでしゃべる時と、恋人と一緒にしゃべる時であるとか、友達としゃべる時であるとか、
いろんな場面によって言葉遣いって変わると思うんですね。
わたちはあんまり変わりませんね🐹
あらゆる場面がお仕事モード。
ビジネスパーソンモードでしゃべる時も友達としゃべる時も。
いつも自分モード( ^ω^ )
言葉遣いを身につけるということが1つの人格を作る。
ああそれな。
マロ姉なんぞもスクールカウンセラーモードの時はめっちゃ肯定的にウン、ウン、とかやってそう。
マロとしゃべる時は何でもかんでもダメダメモードやねんけどな。
必ず全否定から入りまんねん(*´-`)
「ユーって必ず否定するよね」って言ってやったら、それをも否定する。
そうじゃなくてーとか。
顔を引き攣らせながら全否定www
こんなんでも十分食っていけるんだから、めでたい世界じゃ🐼
こんなんだからこそ平気でおまんま食えるとも言えますね🐨
僕なんかはラジオの深夜放送をやってる時とここにいる時と言葉遣いが変わるので、よく人が変わるって言われますね。
誰がそんなデマを?🐣
まさにそのどちらかが本当じゃなくて、全部ある種ね、本当だったりしますもんね。
そうなんですよ、僕は僕なんですよ。
全部嘘だったり(*≧∀≦*)
中心の主張がそれほど変わってるわけじゃないんだけれども、ボキャブラリーによって、まあ変わって捉えれるし。
そもそも中心の主張ってのが怪しい🐧
それは本当の自分なのか、社会によって作られた人格によるものなのか。
それによって僕は僕じゃなくなったり🐦
人間は誰しも自らの行為、信念、生活を正当化するために使用する一連の言葉を携えている。
このような言葉を、その人のファイナルボキャブラリー(終極の語彙)と呼んでおくことにしよう。
やめといた方がよくない?🐢
私たち人間の根幹には、それぞれ自分を支える信念があります。
それはまるで、さまざまな「ことば」の葉を携えた樹木のようです。
そして私たちはことばを使うことで自分の信念を正当化しようとします。
その語彙を正当化するために別の語彙を使って説明し、また別の語彙を使って説明する・・・。
なぜ次から次へと説明するのか🐝
自分の信念を正当化するため。
なぜ次から次へと正当化するのか、こんガキは🦂
これを繰り返していくと、それ以上は言い換えることが難しい語彙へと辿り着きます。
うーん(〃ω〃)
ローティはそのような最後の語彙をファイナルボキャブラリーと名付けました。
立派なご意見ご高説を日々垂れ流しているカメムシなんぞは、自分は闇だと申しておる。
宮城のご高説は、都合が悪くなると俺は頭が悪いからとか、バカだけどとか、作文が苦手なのでとか。
自己正当化目的の最後の言い訳。
これぞ腐れのファイナルボキャブラリー🦋
自称ライトワーカーのゾンビババアに至っては、「黒で何が悪い!」と開き直っておったわ。
ギャハハ(^∇^)
例えばあなたは根っからの江戸っ子だとします。
蕎麦屋で支払いに困った人を見かけては、おごってあげることもしばしば。
そやつは根っからの江戸っ子じゃねーな🐀
家に帰ると、なんでそんなことをしたんだい!うちも首が回らないってのにと責められる。
お前さん江戸っ子だね🦩
だってかわいそうだから見てられなかったんだよ
なんで見てられなかったんだよ、放っておけばいいんだよ
そうそう。
金もないのに蕎麦食いに行くやつが悪いだよ。
食い逃げでもするつもりだったのかよ🦘
実は金持ってんじゃねーか?🦒
するとあなたは「これが江戸っ子の粋だからよ」と答えます。
なんで粋が大事なんだよ🐄
「だってこれが江戸っ子だからよ」としか答えられなくなる。
何言ってやがんだい!
おめえは出稼ぎ労働者の子孫じゃねーか🦏
そいつは困った人を見かけると放っておけない田舎者(蕎麦好き)を見かけると、支払いに困ってるふりしやがんだよ🐃
粋だねー🐈
この根っからの譲れないプライドがこの人にとってのファイナルボキャブラリーになります。
つまりこやつにとってのプライドは江戸っ子。
困ってる人を見ると放っておけないのが江戸っ子の粋だという信念、思い込み。
それこそが根っからの江戸っ子でないことの証明だとも知らずにな🦓