"虐殺には文法がある"
フランス人はドイツ人を「ボッシュ」と呼ぶのをやめるべきだとか、白人は黒人を「二グロ」と呼ぶのをやめるべきだとか言う時、我々は文化政治を実践している。
逆に非文化の香りがー👻
というのも、そうした言語実践を放棄することによって、我々の社会的・政治的目標・・・ある人間集団同士が互いに対して持っている寛容の度合いを増大させること・・・が促進されるからである。
まやかしだね🐕
例えばオカマとかバケモノとか、あるいはウンコとかいう言葉を放棄したとしても、それらに対してミィが持っている寛容の度合いは増えもしないし減りもしない。
が、あなた方は言葉に左右されやすいからそういう手もありかもにゃ。
文化的とは言い難いが🐩
例えば、配偶者をどう呼んでますか?
奥さん🫏
家内とか嫁とか連れ合いとか、
相方とか🐫
どの言葉を選ぶかによって会話の帰結が変ってくる。
イリュージョンですね🦒
私たち夫婦は新婚ホヤホヤ。
今年初めてお正月に夫の実家にご挨拶に行ったんです。
夫がサポートしてくれたおかげで楽しく過ごすことができました。
が、ある一言ですべてが変ったんです。
夫の叔父
「おい嫁さん、熱燗もう1本追加してくれ」
本当に衝撃的でしたし、憤りに似た感情を抱きました。
なんで?🐮
夫はいつも私のことを名前で呼んで周囲にも「妻の〇〇さん」と紹介するので
妻をさんづけかよ🐱
マジキモいでつ🐶
あなたはなんで私がこんな気持ちを抱いたのかわかりますか?
おっさんに嫁呼ばわりされて癪に障ったんでちょ?🐇
名前にさん付けはルンルンだが、嫁にさん付けすると膨れっ面する女中🐁
1本追加で持ってこいっていうことをおっしゃるには、やっぱり何か、家の女と書いて「嫁」みたいな。
いわゆるケア労働というか「女性はそれやるべき」という考えに乗っかってるんじゃないか。
呼ばれ方そのものより、呼ばれ方で体現されている社会的な規範、そこにやっぱり反発を覚えたりすると、
こういうふうに考えてみると、単に呼び方が問題なだけではないんだっていうことがわかるんじゃないかと思います。
それは嫁側の問題でもある。
夫の実家にご挨拶に行ったりとか。
自分で勝手に上下関係作って、夫の両親や親族にへいこらする。
丁重にお願いされれば熱燗だってホイホイお出しするんでしょ?🦩
夫は名前で呼んでくれる言うてますしね🦢
ちなみにマロ子は結婚当初、夫の父親から「長男の嫁だからナントカカントカ」って言われまして。
本人はいい意味を込めたつもりしていたが、その言葉を聞いた瞬間、わたちは絶対に長男の嫁などという生き物にはならないと決めまちた🐰
夫はミィを名前で呼んだことはなく、周囲には奥さんと。
奥さんらしいことはほとんどしておらんが🐀
嫁らしいことも妻らしいことも、女中らしいことも。
ケア労働が嫌いなの( ^ω^ )
でも叔父さんの立場に立ってみると、
あんまり意識して言ったことじゃないのに、ちょっとした言葉だけであんな屈辱的な思いさせちゃったということですよね。
ちょっとした言葉じゃないっすよ🐟
甥っ子の嫁に向かって「熱燗もう一本」ってなんだよ。
明らかに使用人扱いっすよー🐳
まあまあそうだよね。
いやそんなつもりで言ってなくて、実はこういう意味で言ってるんだよっていうんだったら、それでちゃんとお互いがわかって納得するなら使う、
はあ?🐛
使わないなら使わない。
話し合うべきってそういうことですか?
何を使うかが問題だな。
言葉を使うのか、それとも嫁を顎で使うのか🦋
ある言葉を使うことのどんな前提があるんだろうとか、それ言っちゃったらどんな話になっちゃうんだろうってことを、みんなあんまり気づかずにしゃべるわけですけど、
しゃべるしゃべる。
あるブログにうちの奥さんと書いてあって、
家内だったかな?
一見紳士的に見えるんだけれども、よく読んでみると、
うつ病かなんかで生活が大変だったとかなんとかで、、、
実はよく読んでない(๑˃̵ᴗ˂̵)
幸い妻が明るく元気な性格なのででんでんと🦨
その言葉を使うことのどんな前提があるんだろう、
そう言っちゃったらどんな話になっちゃうんだろう、
って全く気づかにしゃべってますね、このエセ紳士めは🐢
言葉には1個1個歴史があって、それに対する帰結があったりする。
だからこそどんな言葉遣いを選ぶかが文化政治。
昭和のおっさんたちは封建政治のままでんな🦖
文化政治とは、どのような言葉を使うべきかをめぐってなされる議論を典型とする。
ドイツが侵略戦争を仕掛けたわけですから、
あんな野蛮なドイツ人とか、残酷なドイツ人という意味で、ドイツ兵のことを侮辱する意味合いでボッシュボッシュと呼んでいた。
そういった起源がある言葉ですから、ボッシュという言葉を使うと残酷、野蛮という意味合いが出てくる。
「ドイツ人ってそうだよね」という偏見やステレオタイプを作ってしまう。
だからこそやっぱりその、呼び方が暗黙に前提とする社会的規範や「こうあるべき」を問題にしていく。
そんなふうにローティは考えているんですよね。
ローティが使っている「我々」という言葉も同じですよね。
我々アメリカ人なのか、我々人類なのか、我々キリスト教徒なのか知らんが🦂
ボッシュψ(`∇´)ψ
言葉やボキャブラリーというのが、私たちが自由自在に使いこなせる自由な道具というよりかは、言葉ってやっぱり使うとそこに運ばれちゃったるするんですよね。
ワクチン非接種者は神側に運ばれちゃったり(*≧∀≦*)
言葉に誘導されちゃったりすることがある。
あなたは神の子です!
タバコは肺ガンの原因ではありません!
あなたはIQ高い系です!
ず~っとへりくだってると上下関係できちゃうっていう。
ああ
こっちがへりくだると偉くなっちゃうボッシュっているよね~(≧∀≦)
そうならない非ボッシュもいることはいるんだが。
こっちがへりくだると向こうもへりくだって、常に対等な関係。
本当の事実と、そういった言葉遣いによって作られた環境的な事実がある時に、実は事実って後者なんじゃないのって考えてるのがローティ的なある種の言語世界観だと思います。
便宜上の事実ってことですかね。
逆にそれがないと社会は混乱してしまう。
なんせバカが多いからな、ここは🐜
私たちは言葉によって社会や人間の認識までも変えてしまうということを意識すべきだとローティは説いています。
言葉の力によって多くの人を扇動し、虐殺へ向かわせた歴史があったからなんです。
大量虐殺ジェノサイド〜☃️
第一段階
言葉を与える。
植民地時代、ベルギーは2つの部族を「あなたはツチ」「あなたはフツ」と分類して統治しました。
こうして部族名を付けられたことによって、彼ら自身がツチとフツの線引きを認識していきます。
単純な部族やな🕷️
第二段階
言語内での推論、言い換え。
「ツチはゴキブリだ」というプロパガンダが生まれます。
「あなたは日本人」と分類された金華山のサルみたいなもんやね🐈⬛
1962年に独立後、多数派のフツが少数派であるツチを虐げる政策を掲げます。
そして30年後、フツの軍人のみならず、一般市民までがかつて隣人であったツチの人々を老若男女問わず虐殺するという出来事が起こりました。
どうしてそういうことになるのかわからんけど、かつて日本も同じことやってましたよね。
さすがに戦後は虐殺こそしないものの、今だにそういう意識を持ち続けてる人も少なくない(*´꒳`*)
第三段階
行動を呼びかけ正当化する。
ゴキブリとは駆除すべきものという社会通念を利用して、「ゴキブリを駆除しよう」と呼びかける。
すると人々の間で勝手に「ツチを殺そう」と翻訳され、虐殺を喚起した。
変訳しちゃったのね(⌒-⌒; )
ただ「あの人はツチだから殺せ」という指示では抵抗があることも、「ゴキブリの駆除」と言い換えることで殺害への心理的なハードルを下げていきました。
もともと人種的な違いはなかったと言われていますし、結婚関係も全然結ぶしというふうに、まあ一緒に住んでいたわけですね。
それが植民地になって、国民の管理のためにこちらの人はツチだ、こっちはフツだというふうにIDカードに部族名を書かせるようにすると、
IDで書かれていくと2つの部族が存在するということが、それこそ最初は形だったものが実体を帯びてきてしまって、僕たちはツチ、やつらはフツということが出てきてしまうわけですね。
ジェノサイドに至る言葉遣いの特徴
1.我々/やつらの線引きを行う
2,本質主義
3,社会的に定着している
4,行動を喚起する
2番目の本質主義が問題でして。
何か私たちは本質的なものを共有しているはずだ。
1と2が合わせ技になってくると、我々の側が本質的に共有していて、やつらは持っていないというふうになるわけですね。
腐れがやらされてんのがまさにこれですね。
やつはいつからか「本質」という言葉を覚えたようで。
X界隈で誰かが言っていたのであろうと推測しておりますが。
もともと本質主義のミィは昔からよく使っていたので、やつらがミィの言葉をパクり、それを腐れがパクったとも考えられます(ᵔᴥᵔ)
本質的に違うということになる。
だからもうわかりっこないし、我々とやつらの間の線は揺らがない。
腐れが使う「本質」は、それとはちょっと違うというか、意味不明というか。
本質的に本質主義とは違う。
なんせやつは形式至上主義ですから🐳
なにかその1に関しては植民地にした側の、ある意味書類上の都合。
統治上の戦略ですよね。
だからそこに本質とは何にも関係ないけど、「俺とあいつは違う」と言い出すと一段階進む。
ああ、
俺様と読者様は賢い国民、あいつらは愚かな国民と言い出すと一段階、
進むかーーー!🦅
これプラスやっぱり、もともと社会に定着しているルールをうまく利用するという面でして。
社会的な風習とか規範っていうものがうまく使われちゃうと、合わせ技で4番目、行動を喚起する。
民主主義とか、おもてなし文化とか、
日本がトップであるべきなのにとか👼
こういう環境が揃っちゃってる場所って非常に危ないよということをティレルという人は分析してるんですね。
ローティの孫弟子だってよ🐦
だから怖いなって思うのは、僕の心の底にもたぶんあるんだと思うんだけど、
あるある🐓
どんな災害が起きても日本人は略奪をしないとか、世界的にも礼儀正しい人間なんだっていう誇りは、人を傷つけるために始まったことではないんだけど、
腐れは明らかに人を傷つけるために利用してます🦚
これが間違った組み合わせになると、じゃあ日本人じゃない人ならばやるかもしれないみたいなことになっていって、それがどっかで「やつらはやるに決まってんだから、先にやっつけるのは、これは正当だよね」みたいな。
ほんでSNSを利用して行動を喚起すると🦃
めちゃくちゃ飛躍してるのにも関わらず、ものすごいスピードで1段階ずつどんどんどんどんって超えて、大虐殺になっちゃうわけじゃないですか。
本当に賢い国民はそんなものに誘導されないんだけどね。
愚かな国民はどんどんどんどんレベルアップしてしまうのだー🦌
まさにこれが言葉のネットワーク、推論的なものの怖さ。
他の人種は違うかもしれない、俺たち日本人は特別にできると思ったら、
本質主義プラス、我々/やつらの線引きが加わって排他的なものが生まれる。
そもそも日本人は略奪しないとか、礼儀正しいとかを誇りに思うこと自体が頭おかしい。
そういう人間は世界中にいるし、そうじゃない人間は日本にもいる。
民族の問題にすり替えること自体が悪魔教徒であることの何よりの証明なのだ👽
伊集院のバカも日本が褒められると誇らしく思いがちなやつだから、いずれ運ばれちゃうかもにゃー😹