10日くらい開いちゃいましたね・・・・・
それもこれも、8月23日にあったイベントの方に意識が向いていた為だったのです。
8月23日午後、私は西武新宿線に揺られていた。
ここ数年で10回以上は上京しているけれど、初めて乗る西武新宿線(笑)
目的の駅は“野方”
こんな駅があるコトも初めて知った(苦笑)
その日、野方区民ホールという場所は夢の空間でした。
行われたイベントは・・・・
1979年から1981年という、たった2年間を怒涛の様に駆け抜けたスーパーブラスロックグループ、スペクトラムのデビュー30周年を記念して開催されたイベント。
ファンの有志が実行委員会となり、放送局や企業からお宝映像をかき集め、著作権関係の手続きを行い、デジタルリマスターまで施して上映された映像に歓喜の声を上げてしまいました(実際に声を出した訳ではありませんがww)
そして、8人のメンバー中5人を迎えてのトークショーの楽しかったコト。
時間が許せば、もっともっとずーっとずーっと聞いていたかった。
実際、私はスペクトラムのファンとしては相当“由緒正しい方では無い”人間です。
リアルタイムで体験できる世代でありながら、活動期間は全くスルーしていたのですから。
勿論、あんな奇抜なファッションでしたので、スペクトラムという存在は認知していたのですが。
ただ、その頃の我が家といえばテレビは1台しかなく、チャンネル権は父親が持ち、夜の9時にはテレビが見られなくなるという生活。
ベストテンも夜ヒットも、ましてや24時間テレビの深夜帯など望むべくもなく(苦笑)
テレビで歌い踊るスペクトラムを見た記憶は殆どありませんでした。
実のところデビューした1979年、私は中1でしたが専らラジオから流れてくるYMOの方にココロ奪われていたのです(苦笑)
そして、彼らがカヴァーした「デイ・トリッパー」からビートルズへ流れ、そこから5年以上に亘って洋楽三昧の日々を過ごすコトになります。
そんな邪道ファンの私がスペクトラムに引き寄せられたのは1984年だったでしょうか・・・・
リーダー新田一郎のソロアルバム『福助』に収録された「嘘つきカモメ」を耳にした時に衝撃が走ったのです。
そこから、遡るようにスペクトラムのアルバムを1枚ずつ買い集めて行きました。
解散から2年経ち、店頭のエサ箱には見当たらないコトも多かった。
田舎のショップですし(苦笑)
最後まで見つからなかった『オプティカルサンライズ』を、後輩から譲り受けた時は今でも覚えてる。
それから、何度も何度もスペクトラムの音楽を聴いた。
そして、確信した。
このバンドの凄さを。
未だに、彼らのホーンの切れ味を越える存在はいない。
自分にとって唯一無二の存在になった。
イベントでお宝映像を見て、改めて凄さを感じた。
そして悔やんだ。
生で見られなかったコトを。
トークショーで、当時の裏話を聞いてますます凄さを実感した。
20代半ばで、あんなクォリティの音を作っていたコトに。
でも、当時聴いていても、今の様に凄さを理解できなかったかもしれないな、とも思うのだ。
ポピュラーミュージックを30年聴いてきて、千数百枚のCDやレコードを所有する様になって、何万曲という音楽を聴いてきた今だから、彼らの凄さが解る気がする。
一緒にイベントに行った娘が、本当に楽しそうにしてたのが印象的だった。
高2なのに、昔の音楽をちゃんと評価する耳を持っている。
流行の音というだけで飛びつかず、本質を見きわめる。
カッコいい音が何より大好き。
そんな娘はスペクトラムの音楽を聴いて、ベースのグルーヴや鍵盤のコード、ホーンのキメや切れ、ギターのカッティングのドライヴ感・・・・色んな要素を語りながら一緒に楽しむコトができる様になった。
何もかも、スペクトラムという稀有なバンドの存在があったからこそ。
解散して28年経っても、未だに影響を与えてくれる、大切な存在なんだなぁと、改めて感謝する次第です。
メンバーの皆さん、実行委員会の面々、一緒にアノ場所で楽しんだ方々、そして今でもファンでいる多くの人々に御礼申し上げますm(__)m