きょう、終戦の日。
母方の祖父は多くを語らなかったけれど…名古屋の大空襲の中、生き残った人だった。焼夷弾の空襲の時は…「もうただ南無阿弥陀、南無阿弥陀…と唱えるしかなかった」といっていた。
焼け野原になった名古屋の街を、トラックで黒焦げの遺体を集めて回ったのだそうだ。。
実家の向かいには、海軍で軍艦乗りだったお爺さんが住んでいて、家の中でたくさんの小鳥を飼っていて、小鳥のおじさん、と呼ばれていたけれど…用があって母とお邪魔すると軍歌のレコードをかけてくれたりした。。
毎年書いてるような気がするけれど…😂💦
町内の友達のうちに遊びにいけば、仏間にはまだ若かったであろう軍服姿のお爺さんの遺影が飾ってあったり、、、それは、ごくごく普通の、田舎の家々にはありふれた風景で…まだ、その体験をリアルにしてきた人たちが一緒に生きていて、戦争の話はすぐそこに、当たり前にあったような気がする。夏休みの課題図書に選ばれるのは、戦争のお話だったり(嫌だったけどね)、全校で観た映画が戦争ものだったりしたことはよくあった。
高校の演劇部で、最初に上演した脚本も、戦争体験ものだった。。
いつしか、僕らのおじいちゃん達の世代は旅立ってゆき、あの体験をリアルに語ったくれるひとたちはいなくなっていった。
昨年、七面鳥の閉店公演でトライした"百年奏"という演目は、時代背景や時間軸を合わせているうちに、自然と戦時下の日本の設定となってしまった。
ただ、おじいちゃんたちの、あの生の声を直接聞けた、おそらく最後の世代として…折に触れ、掲げてゆかないといけないテーマでもあると思ってる。
どーしても重くなっちゃうんだけどね。。。
重すぎる、とか
もっとライトに楽しみたい
とか、ちょこちょこ言われたけれど…
ゆっても、実際の戦時下は…そんな甘っちょろいもんではなかったわけだからね。。
今回新しく作ったアルバムも、同じタイトル"百年奏"にしているけれど…これには、この激動の100年をどこかから見つめて、潜り抜け、生き延びてきた楽器たちが奏でる音、という想いも、しっかりと込めている。。
これだけテクノロジーが発展した世の中になってるってのに…それでも、この世界から争いの火は消えないのだから…なんだか戦争と聞くと、時代を逆行してしまってるようにしかきこえないよ。。。
今日くらいは、平和を願って静かに祈りを捧げたい。
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