日本酒はもちろん、ワインのデカンタとして大活躍。
この片口は、江戸中期以降の美濃である。
古瀬戸ではない。
猿投、瀬戸、美濃は、いずれも地名である。5~9世紀にかけてこの辺りでは、無釉の須恵器が焼かれていた。
瀬戸(愛知県の尾張北東部)は、〈陶=すえ・所=と〉がつまった雅語音に漢字をあてたもの、つまり「陶器を焼く所」を意味する。10~11世紀にかけて、木や藁の灰を原料とした灰釉(かいゆう)をかけた陶器が焼かれるようになる。とくに猿投窯の白瓷(しらし)と呼ばれる施釉陶器は、美濃へと伝えられた。
美濃焼は岐阜県、東濃地方の一部(土岐市、多治見市)で焼かれた陶器である。
いわゆる「古瀬戸」と呼ばれる陶器は、後に黄瀬戸から瀬戸黒へとつらなる、室町時代の瀬戸や美濃で焼かれた施釉陶器全般を指しているようである。黄瀬戸や瀬戸黒は、瀬戸と名についているが、美濃で焼かれたものが多い。このへんが、瀬戸と美濃の区別を分かりにくくしている。
江戸期以降のものは「古瀬戸」と呼べない。
美濃といえば、志野や織部といった桃山の茶陶であるが、江戸中期にはそれらはほとんど姿を消してしまう。茶人=選ばれしアーティストのための陶器から、普通の生活者のための器へと、庶民化が進んだのである。この時代かつて古瀬戸の影響を受けた時代の灰釉が復活し、日常的に使う碗・皿・徳利、片口などの生活用雑器が生産されるようになる。
灰釉は酸化すると緑っぽい色になる。
生活雑器らしく、釉薬の掛け方が荒い。
外側は上の方だけ掛けられている。
灰釉がもったいないからか。
土が見えているところは赤みがかった火色がでている。
径 約13.5センチ
高さ 約7.5センチ
容量 約230ml