おそらくアタリのポンかコピー商品
何を隠そうこの私め、子供の頃は東京の目黒区に有る
「 若草幼稚園 」に通って居たのだが、自由が丘の駅までは
尾山台の駅から電車で通園していたのだ。
その若草幼稚園のホームページを見ていたら、
けっこう有名な私立幼稚園だとの事らしいが、
そんなに大層な所だったか?と言う記憶がある。( 失礼 )
今と38年前とは違うのだろうが、他のサイトの書き込みを
見ていると「 厳しいことで有名 」とも有るが、
そんなにガチガチに管理されていた記憶もない。
言っても悪さをすれば当然、怒られたりもしたが
結構のんびりしてた雰囲気だった様に思うのだが。^^
あ、そ~いえば今思い出したのは、やっぱり
「 いじられキャラ 」的な先生が居て、園内の運動会なんかでも
他の職員に放送でかなりイジられていてみんな爆笑してた。
その先生の名前は忘れたが、けっこう強面キャラで
先生たちの間でもリーダーっぽい感じなんだけれども、
やっぱり周りからはイジられる。
本人もそれはそれで承知している感じが有ったのだ。
閑話休題。(^O^;)
で、今日の本題は若草幼稚園が、どうのと言う事では無く
自由が丘駅から徒歩12分( HPの記載 )の園からの帰り道、
当時( 1978年頃 )5歳の私めは自由が丘駅の手前の
アーケード街の屋外に置かれてた「 アタリのポン 」という
「 TVゲーム画面 」に釘付けになったと言う話しを、
させて頂きたいのである。↓
今でも鮮明に覚えているゲーム画面
12月前の、この時期になるとこのアーケード街の
お菓子屋さんの大きなショーウィンドゥに飾られる
巨大なX’masケーキを30分くらい眺めるのが好きだったのだが。
これと並行して道端に置かれていた「 TVゲーム機」に目を奪われたのである。↓
By ProhibitOnions - 投稿者自身による作品 (own photo), CC 表示 2.5, Link
「 この商品だっ! 」とは断言できないが、画面の左右にバー( パドルと言う )が有り、それを使ってボール玉を交互に打ち返す
シンプルなモニター画面だけは、今でもハッキリと鮮明に覚えているのだ。
今日は徹底的にネット検索でググると、
おそらく1972年に稼働を始めた
「 アタリ( アメリカ合衆国 )の『 ポン 』( PONG ) 」
が源流だと言う事は分かったが、その後にアタリからリリースされた
「 スーパーポン 」「 カドラポン 」「 ポンダブルス 」の他にも
「 オデッセイ( 世界初の家庭用ゲーム機 )のテーブルテニス 」などの類似品や、コピー商品なども併せると
世界で10万台以上は作られたのでは?と言われているので、もはやどのゲーム機だったかは知る由もない。(^_^;)
Arcade Game: Pong (1972 Atari) [Re-Uploaded]
ちなみに「 ポン 」の由来は、ピンポンから来ており、
モチーフは「 卓球 」だと言う事だがコチラの生産台数は
1万台前後ではないかと言われている。
しかしながら満足にそのゲームを遊べるだけの、
「 お小遣い 」を貰えていなかった私めは、
ただただ人がプレイしている所を横から立ち見で
覗き込むしか無かったのだが、それでも十分に心が踊ったものである。
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ポンは世界初の業務用ビデオゲームではない
世界初の商業用ビデオゲームはアタリのポンではなく、
それより前の1971年に発売されたナッチング・アソシエーツ社の
「 コンピュータースペース 」だったのだが、
これを世に送り出したのは後のアタリの創立者、
「 ノーラン・ブッシュネル 」氏である。
しかしこの商品は鳴かず飛ばずでヒットしなかった為に
「 ノーラン・ブッシュネル 」氏はオデッセイのテーブルテニスをプレイした後
1972年にアタリを創業し、ポンを発売して大ヒットさせた経緯がある。
ちなみに、このノーラン・ブッシュネル氏は娯楽産業上、
「 ビデオゲームの父 」と呼ばれているのだ。
ってー感じで、今日は「 チャオ~♪ 」
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