![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/98/3a84bc21b0ad73dffc5cd37ebadcbcf6.jpg)
ウクライナに平和が戻ることを祈ってボルシチを作りました。
ボルシチはロシア料理として有名ですが元々はウクライナ料理。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/68/6e08c8bcfbfa4d33a7e8b640a529d968.jpg)
大坂屋大塚酒店で買って来た三鷹オーガニック農園 のビーツ✨
その辺の八百屋ではなかなか手に入りにくいのでありがたい!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/14/3b0f2d570c425f1549bc35b70f83cdaa.jpg)
ビーツ、ビーツの葉、じゃがいも、にんじん、キャベツ、玉ねぎ、にんにくみじん切り。
野菜をたっぷり入れるのがウクライナ流💕
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/44/d642d242f0f04c8753e3eff398247522.jpg)
牛肉の切り落としと野菜を炒めます。
本当は牛すね肉を煮込んで作るようですが切り落とし肉で時短。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/e2/4b03280d3bb42d3c3fc484ae1b16e0de.jpg)
トマトソース、コンソメキューブ、水を加え、ベイリーフを入れて野菜が軟らかくなるまで煮込みます。
ビーツがもっといっぱいあればビーツ色に染められるのですが1個しかなかったのでトマトソースに手伝ってもらいました。
もともとのボルシチはトマトで作られていたとか?
塩コショウで味をととのえ、ちょこっと砂糖を加え、バルサミコ酢で酸味を加えました。←本当のボルシチの作り方ではなく自分流にアレンジしています。
パセリのみじん切りを散らしてサワークリームを乗せたら出来上がり~!!
サワークリーム、いい仕事してくれます✨
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/5d/938e83cf91bd092003ad56be3386be11.jpg)
ビーツはカブよりも歯ごたえがあっておいしい~♪
カリウムや鉄分が多く高血圧の予防や悪玉コレステロールを減らす効果、抗酸化作用もあるようです😍
八百屋さんでビーツがみつけられなければ、国産の水煮もあります!
昔、ロシアがソ連だったころに父が単身赴任していたモスクワに家族で旅行に行きました。
その時にモスクワのホテルウクライナのレストランでボルシチを食べたことがあるのですが、その時に食べたボルシチよりも、自分流にアレンジしたボルシチの方がおいしく感じてしまいます😁
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/f8/397068c68f9d0254e8b2cfcc9f5ff99d.jpg)
バケットを浸して食べるのもおすすめ!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/4c/827a4fc7effa2453f7a4e99fd3e57af8.jpg)
秋田から届いたほうれん草はヘルシオで茹でてからベーコンと一緒に炒めました。
新鮮なほうれん草は甘くておいしい~。
ボルシチを食べながら40年以上前に家族でソ連(ロシア)を旅行した時のことをなつかしく思い出しました。
観光客があまりいない時代だったので歩いているとどんどんロシア語で話しかけられて困りました。
それで父から教えてもらったロシア語。
「私はロシア語を話せません=я не говорю по русски(ヤネガバリューパルースキ)」
この一言で「ネガバリュパルスキ?」と言って引き下がってくれました。
その他ロシア滞在中に父に教わって覚えた言葉。
Спасибо スパシーバ ありがとう
пожалуйста パジャールスタ どうぞ
до свидания ダスビダーニャ さようなら
Здравствуйте ズドラストビーチェ こんにちわ
спокойной ночи スパコイノイノーチェ おやすみなさい
Да ダ はい
Нет ニエット いいえ
滞在中、この数少ないながら覚えた言葉を繰り返し使いまくりました。
当時のソ連の国民は、おとなしくてシャイでおだやかな印象でした。
そして父が「ウクライーナ」という言葉を何度も発音していたのをなぜか覚えています。
ウクライまで同じ高さで発音しその後下がる。
「トマトスープ」「カメラロール」「コパカバーナ」と同じイントネーション。
「ウクライナ」ではなく「ウクライーナ」なんだ!とインプットされたのでした。
あのころとは世界も自分の家族も大きく状況が変わっています。
平和があたり前と思っていた時代でした。