小千谷から(Ojiya kara)

新潟県中越大震災の、とある被災者からのメッセージ
(リンクはご自由にどうぞ。ただし転載はご遠慮ください。)

10.23

2010年10月23日 11時06分09秒 | 新潟県中越大震災・地震
「いい天気だなぁ。」
ゴミ出しのときに空をぼーっと見上げた。
6年前も今日みたいにすがすがしい天気で、そして土曜日だったんだよなぁ。

今朝は時間に追われることもなく、ゆっくり洗濯をして土いじりをした。
夕べは子供の寝顔をまじまじと見た。
スーパーに行くと、あのとき救援物資としてもらった甘い菓子パンが目についた。

「日常」を意識しすぎてセンシティブになっている自分に気づく。

夕方の過ごし方はまだ決めてないけど、子供たちといっしょにいたいなぁ。

新潟県中越大震災から5年

2009年10月24日 00時28分45秒 | 新潟県中越大震災・地震
今朝、寝室にまっすぐに朝陽がさしこんだときに「5年前もこんなふうにいい天気だったなぁ・・」と瞬時に思い出しながら目をさました。
いつもと同じ日常だけどやっぱり今日は特別な感じがした。
新聞やテレビのローカルニュースでは「あれから5年」の特集が組まれ、被災地の様子がレポートされるが全国ニュースでは完璧にスルー。
一日中あの人の初公判の話題で持ちきりだったように思う。
夕方5時ごろから気持ちがそわそわしだす。
お米をとぐためにキッチンへ立った。
水が出る・・・と意識した。
5:56すぎても電気が消えない。ガスがつく。
あたりまえだけどありがたい。
そんな繊細な気持ちになっていたときに、なんと地震がきやがった。
6:30ごろ。
動いていたら気づかないくらい小さい地震だったけど、
「なんで今くるかなぁ?」と思わず口にしてしまった。
こどもは部屋で遊んでいて気づいてないようだった。


自分が描いた灯篭を見に行きたいというので本町に連れていった。
そこで神戸の消防士さんに再会。
あの地震から継続的に小千谷を応援してくださっているその想いに涙ぼろり。
「今地震あった?だいじょうぶ?」と遠く離れたところからメールをしてくれた人もいた。
地震速報のテロップを見てその人は「(10.23の夕方にくるなんて)なんでだよ!」ってつい口にしたという。
ありがとう。

中越大震災を取材してきた記者さんからもメールがきた。
「そちらに行けずもどかしい気持ちを抱きながら今特集紙面をつくっています。」と。
「何年経ってもあの地震直後のあの感覚忘れられないです。」と。

私たち、ここに住んでる者はいっしょに地震を乗り越えたという想いを共有できる仲間がまわりにいるけど、当時ここで取材をされた記者さんたちは、まわりに中越大震災のことを知る人などいないわけで、こみあげるものが私たち以上にあるのかもしれないなぁって思った。

こうして何年経っても思いを馳せてくださるってことに感謝したい。
ほんとうにありがたいことですね。





しずかな・・しずかな夜です。
ふつうに暮らせることに感謝。
一日一日をいとおしく大切に過ごしたいと思ったそんな5年後の10.23でした。

深夜に地震

2009年10月04日 02時41分27秒 | 新潟県中越大震災・地震
ぶるるるるるる・・・・・・・と背中全体が振動したと思ったら’がつっ’と揺れた。
とっさに半分身を起こし横に寝ているこどものひとりに手を添えて様子をみる。

・・・・・・・・・・・・・

大きいのはこなさそうだ。
こどもは幸い誰も起きなかった。
でも私自身固まってしまってフラッシュバックのようにいろんなことを思い出してしまった。
震度3はあるかな?
テレビの地震速報では長岡と小千谷が震度2だとテロップが出ていた。
「ええ?震度2?
あれで?」というのが素直な感想。
大きな地震が海外で立て続けにあって桜島も噴火したというから「またどこかで大きなのがあった?」とヒヤッとしたよ。

今新潟は国体真っただ中で、小千谷ではバレーボールで勝ち進んだチームが市内に宿泊してるはず。
地震に慣れていない県外の選手はびっくりされたんじゃないだろか。

ふえぇぇぇ。
眠れなくなっちまったよ~。
飲むか(笑)

震度6強体験シミュレーション

2009年09月02日 00時56分07秒 | 新潟県中越大震災・地震
9月1日は防災の日。
新聞で紹介されていた
震度6強体験シミュレーションをやってみた。

これは内閣府が防災意識の向上を目的として作ったもので、こどもでも楽しんで学べるようにクイズ形式のロールプレイングゲームになっている。

私は震度6を4回も体験したので当然全問正解だったわけだけど・・以下感想。

○「あなたは火のことが気になりました。コンロを見るとぐつぐつ煮立っているお鍋があります。どうしますか?」
という問題はいい問題だと思った。
コレ、間違った認識してる人多いと思う。

○何時の設定?明るいからいいものの・・・。夜間だとこうはいかないよね。

○掃除はさ、電気がきてからゆっくりすればいいかとw 6強なんだから余震くるよ?怪我するよ?

○電気止まったから冷蔵庫のものがどろどろになります。避難所に行く前にくさくなりそうな魚や肉などの生ゴミを袋につめて、ベランダとか・・外に出しておいたほうがいいかもしれないw

○避難所に行く前に鍵かけてね。泥棒入るから。

○ワゴンがごろごろと転がっていくのはリアリティありました。

ネタバレになりそうなのでこのへんで・・。

深夜編、ドライブ編、エレベーター編などいろいろなシチュエーションの続編ができるといいですね。

1.17

2009年01月19日 01時51分25秒 | 新潟県中越大震災・地震
おとといは『1.17』だった。
あの大きな地震から14年。
家族でテレビのニュースを見ていたら当時の映像が流れた。
みんな黙って見ていた。
親が説明するわけでもなく、子どもたちがなにか質問するわけでもなく・・・。
ちょっと独特の空気が流れたように感じた。

神戸のメモリアルパークで黙祷を捧げる方が涙をぬぐいながらテレビの取材に応じて言う。
「忘れてはいけない。」と。
そのコメントに合わせるようにドンとテロップが出る。
「忘れてはいけない。」

なんだか妙な違和感を感じてしまうのはなぜなんだろう。

おとといはネットのトピックでも阪神淡路大震災の特集が組まれ、動画が公開されていた。
当時は多忙でテレビなどあまり見られなかったので、ついついクリックして見てしまった。
でも・・。
あまりの生々しさに2-3本見たところでつらくなり、右上の「×」印を押してサイト自体を閉じてしまった。

新潟県中越大震災から4年と数ヶ月が経つ。
ちょっとしたことで泣いたり怒ったりといった感情の起伏が激しかった時期は過ぎ、精神的にも安定してきた。

あれだけのことがあったんだもの。
大震災を体験した人はそのときのことを忘れることなんてできない。
だから。
「忘れてはいけない。」っていういいまわしに違和感を感じるんだと思った。

ささくれだったものがちょっとずつ削り落とされてなだらかになっていくっていうのかな。
被災者やその関係者にしてみれば、精神的な風化だって必要かもしれないな、って思う。
震災は決して忘れられないけど、できれば思い出したくない、というか。
そっとしてほしいというか。

17日深夜の福山雅治のオールナイトニッポン「魂のラジオ」では、阪神淡路大震災で亡くなられた当時中学生だった女の子のために、福山ファンだったという彼女が大好きだった『恋人』を福山が生でアコースティックギターで弾き語りしてくれた。
泣いた。

こうして生き永らえさせていただいていることに心から感謝したい、大切な人を大切にしたい、朝をふつうに迎えられることに感謝したい。

そんなことを思った私の『1.17』でした。

地震だ! (*゜ロ゜)ノミ

2008年12月25日 01時57分24秒 | 新潟県中越大震災・地震
今の揺れ。気持ち悪かった~!!
グラッときたときに旦那と目あわせて
「うわ~~~~」って言っちゃった\( ~∇~)/ 
でっかいのがきそうで缶ビールおさえちゃったよ(笑)

今プレゼント用意したとこだったの
こども起きなくてよかったよ~
イブだもん。いい夢見てておくれ

あ、速報入った。

震度2 小千谷市
だって。

ここらへんだけだったのね・・・。

再会

2008年10月24日 00時49分41秒 | 新潟県中越大震災・地震
新潟県中越大震災から4年。
本町で開催された『結びの灯』という震災復興イベントで思わぬ人に出会いました。





暗闇に浮かぶ人影の中にどこか『あの人』に雰囲気が似ている気がして、首を出して直視しようとしたら向こうも私に気がついたようで。
その瞬間、その人は小刻みに手を振りながら「アーー!!」と満面の笑顔で近づいてきました。
ふたりで向かい合って両手を握りあい、ぶんぶん振って再会をよろこびました。

その人は・・・
チビが地震によるPTSDで苦しんでいたときの保育園の担任の先生。

おたより帳ではチビの様子をことこまかに報告してくださり、園ではチビが落ち着くまでおんぶや抱っこをして、あふれんばかりの母性愛でチビに接してくださった先生です。

再会は卒園式以来ということもあって、話したいことがいっぱい。
地震からちょうど1年できっぱりと心が復興したチビはその後も調子がいいことを報告しました。

「ところで先生・・・(私の)本・・・・読まれましたか?」
「あー!!!読んだ読んだーー!!!卒園式のとこでまた泣けちゃって泣けちゃって~~」
「わーーー・・・・・・・ありがとうございます・・・・・・・。」
「あんなふうに思ってくれてたんだ?と思ったらうれしくてね~。泣いたよ~~~。」

ブログには書いていないけど、卒園式の日にチビは大好きなはずの先生と2ショットで写真を撮ることを泣いて嫌がったんですよね。
で、卒園式が終わってから「どうして先生と写真撮るの嫌だったの?」ってきいたら、チビがぽつりと言ったんです。
「さびしかったから。」
そのことなんですけどね。

話してたらもう~~走馬灯で、気がついたら涙がぼろっぼろ出てきちゃって(笑)

よりにもよってこんな日に!
「ありがとう」を伝えたかった人が突然目の前にあらわれて・・・
またそれを伝えることができて・・・
そして本を通して気持ちが伝わっていたことがうれしくて・・・。


なんだかとてもいい日でした。
先生と再会させてくれたこのイベントに感謝です。
ありがとうございました。




 追記
ほねさんから画像いただきました 
小千谷駅前の灯篭です。



予知夢

2008年09月12日 15時13分14秒 | 新潟県中越大震災・地震
きのう愛知県に住んでいる友だちと話したんだけど、
いま愛知ではどこにいっても「13日に大地震がくるかもしれない」という話題でもちきりなんだって。
以前テレビで地震の予知夢を見るという外人の特番をしていたけど、それと関係あり?

「予知夢 地震」のキーワードでしらべたらやっぱりそうだった。

どうやらブラジル人のジュセリーノという人物が「2008年9月13日に愛知県岡崎市でM8.6の地震が発生し、3万人が被災、600人以上の死者が出る」と予言したらしい。

「でもそれは中国で起きる可能性もある。」

って・・。

うー。なんちゅう曖昧な。
岡崎市民にしてみればたまったもんじゃない。

私「ところでなにか地震の備えをしてる?」
友だち「してないw」

ま、そんなもんだろう( ̄ー ̄;

愛知県内のスーパーでは水や懐中電灯が飛ぶように売れているのだろうか。
私も2000年問題のときには、しこたま乾電池を買ったっけなぁ(笑)

あさってには「うさんくさいと思ってたんだよな~」と笑いとばしたいとこだね。
でもこれを機に職場や家庭でちょっと真剣に防災の話ができたのならよしとする?

愛知県では今週が「防災週間」だね。

うわさでは午前2時ごろがあぶないといわれてるそうだけど、

ダンナさん!
うたたねするならなにも落ちてこないところでね!

中越沖地震から1年

2008年07月17日 11時07分31秒 | 新潟県中越大震災・地震
昨夜午後8時すぎ。
ポスッポスッという音が網戸の向こうで響いた。
柏崎の追悼花火だね。
小千谷でも聞こえたよ。

新潟県中越沖地震から1年。
2004年の新潟県中越大震災から3年も経っていないのに、同じ新潟県中越地方でのまさかの震度6。

1年経って痛感するのは、未曾有といわれるほどの自然災害が多すぎて、過去の自然災害はすぐに風化してしまうんだということ。
新潟県ではローカル新聞でもテレビのローカルニュースでも中越沖のことをとりあげてはいるんだけど、それにしても報道が少ないなぁと感じる。
まだ1年前のことなのに・・・。

これから近い将来起こるであろう自然災害も同様に風化が早くなるだろう。
私たちに降りかかった「新潟県中越大震災」が1-2週間前に巻き起こした「台風21号」「23号」を打ち消してしまったように。

エグい話だけど、センセーショナルだとセンセーショナルなほど義援金は集まる。
しかしここ数年、これだけ自然災害が起こる世界だと、義援金だって「また災害?」というような馴れ合いの風潮が蔓延し集まり

づらくなってくる。
そこで、感動的秘話だとか、注目できる人物(動物)、絵になるものをマスコミは求める。
同じ被災したものとしてはそういうものに対して「ケッ」としらけてしまうんだけど、でもそういうインパクトがないと、哀しいかな、風化は早く、また残された風評被害には悩まされ続ける。

被災地以外の人にしてみれば
「テレビで繰り返し流れていた映像がいちばん印象深」く
「テレビで流れなくなったし被災地ももう落ち着いたんでしょ?」
と思っている人が大半なのだろうなぁ と感じた一日だった。

そんな柏崎にこのあいだ家族で遊びに行った。
おかずを釣りに。
坊主だったから 「むしろマーイ」だったのだけど。




「おいらは獲物ゲットしたぜ。」とばかりに海鳥があたしに見せびらかしにきた。
近くに行っても逃げないんだよ。
キーーッ感じわる~ッ(笑)




そちらは釣れてますかーーっ?
お互い油が高くて大変ですよね~。





釣りのあと、子どもたちが海岸に行きたがったので足だけピチャピチャして帰りました。

う~今度こそ~~ッ!

講演会

2008年06月23日 17時11分53秒 | 新潟県中越大震災・地震
6月21日(土) 
多摩区社会福祉協議会研修室にて講演をさせていただきました。
地震がきたら家族にどんなことがふりかかってくるのか、そのときとった行動、感じたこと、あらためて気づいたこと、などを動画やパワーポイントを用いながら時系列でざっくばらんにお話させていただきました。

2週間前、動画ソフトがうまく起動してくれず「どうしよう~~~~~」と焦っていましたが、外付けのHDにバックアップをとっていた動画データを切り貼りしながらなんとか作品に。
中越を継続的に支援してくださったボランティアさんや、取材していた記者さんは当時のことをいろいろと思い出されたようで、少しお話もいただきました。

また学生時代の友人もきてくれて、こちらは’子どもたちの顔があんたそっくり!’だとか、’○○くん(=旦那が結婚したころと)変わってない~’とか家族の写真が出るたびにクスクスと笑いが漏れておりました。
どうせ遺伝子濃いよ(爆)
地震のときは随分心配かけたけど、実際どんな暮らしを送っていたのかわかってもらえたかな~と思います。
忙しいのに来てくれてありがとね。

会場に着いたら「お花が届いています。」と。
まじでっ??
「誰だれ?」(コーフンしながら)
だいてん。さんからでした。
おお~蘭だよ蘭。
こんなんもらったことないよ~。
ありがとう~~。
ちゃんと小千谷に連れて帰りましたよ。
地下鉄ですれ違う人にもまれながら。
都営大江戸線ってすげー下のほうにあるのね~。
履き慣れないパンプス履いたから靴擦れできちったよ。

講演の時間だけど、「2時間なんてもたないよ、どうしよう・・」と心配だったけど、なにがなにがっ。
気がついたら3時間しゃべりっぱ。(途中質疑応答含めましたが)
最後の挨拶もできないまま、逃げるように会場をあとにしました。
すみませんでした。

講演が終わって名刺交換するときにみなさんがニコニコしてくださっていたのがうれしかったです。
リアクションのいい方ばかりでとってもやりやすかった~。
足元の悪い中、わざわざお越しいただいた方々どうもありがとうございました。

スーツ新調したかったんだけど、買いに行く暇がなくて、
ならば・・・と思って美容院を予約したのですが。。。。

ま・・巻き髪ですか???\( ~∇~)/

鏡の中で自分らしくないキャラに変わっていくのでセット中何度も噴出してしまったよ。
直後に担当者と待ち合わせ。
すれ違ってるのに気づいてくれず(爆)
大きな声で声かけしてやっとわかってくれたw
次の瞬間ふたりで大笑い。
「だめですよ、ふつうの主婦っていう設定なんだから~。」
「いや、まてよ。笑いとれるかも?!」
ふたりでまた爆笑。

案の定飲み会のころには目のまわりがまっくろ。
化粧は疲れるなぁ~。
というわけで、翌日の同窓会にはすっぴんで行きました。

(つづく)

講演会のお知らせ

2008年06月16日 00時53分45秒 | 新潟県中越大震災・地震
こんなタイミングで告知することになるとは思ってもみませんでした・・・。

講演会のお知らせです。
お近くの方はふらっとあそびにきてください。

「まさか、この町に地震が来るなんて!」
~ごくふつうの3児の母が綴る超リアルな被災ドキュメント


もし自分の住んでいる町に大きな地震がくると・・・どんなことが起こるのでしょう。
「まさか、自分の町に限って・・・。」と思っていませんか?
非常持ち出し袋を枕元に置くことだけでなく、地震が来たらどんなことが起こるのかをイメージしてみてください。
大地震はどこに来るかわかりません。
我が家の新潟県中越大震災の体験談があなたの大切な人を守るためのヒントになればうれしいです。
    
【日時】2008年6月21日(土)  午後2時~4時

【場所】多摩区社会福祉協議会 研修室 (多摩区登戸1763 ライフガーデン向ヶ丘2階) 
     ※小田急線 向ヶ丘遊園駅下車 徒歩6分
     会場地図 

【内容】震災翌日にどうしても欲しかったものがあります。
    でもそれは市内では手に入れることはできませんでした。
    消えた信号を曲がるときはおそるおそる徐行しました。
    見たことのない陸上自衛隊に「なんであんなの走ってるの??」という子供。
    マスコミの車にどの道が通れるのかと聞く夫。
    ヘリの音、はじめての救援物資。涙が出るほど嬉しかった温かい炊き出し。
    お世話になった自衛隊のお風呂。
    ボランティアさんに遊んでもらってはしゃぐ子供たち。
    つらかった二次災害・・。
    家族の生々しい会話が入っている動画を14分のムービーにまとめて紹介させていただきます。   

【参加費】不要
 ※終了後に懇親会(OFF会)を予定しております。会場などは調整中です(必須ではありません) 。

【申込み・問合せ先】復興ボランティアタスクフォース(担当:高田さん)
            TEL:090-3八04-9八二4
            E-Mail: info@tfv.skr.jp
            (@は@に変更して、ご連絡ください。)

岩手・宮城で震度6

2008年06月14日 09時41分31秒 | 新潟県中越大震災・地震
朝からひっきりなしに地震メールが鳴っていると思ったら
岩手・宮城で震度6
今メールするのは迷惑かな、と思いながら、宮城に住んでいるおっき~に思わずメール。
「心配しています。返信無理ならいいよ。おだいじにね。」
すぐに返事が戻ってきた。
「うちは全然平気です。体感では震度4くらいだったのでニュース見てびっくりでした。」
ということで、このブログ見てる人でおっき~のこと知ってる人に伝言。
おっき~は大丈夫でした!

とはいえ、あれからもずっと地震メールが鳴っています。
強い余震がずっと続いているようです。
現地の方々不安な日々を過ごされることになると思います。
どうぞお気をつけて。

私たちも今はできるだけ現地へのメールや電話は控えたほうがいいかもしれません。
(震源地の近くではメールや電話がつながりにくく心配メールの返信だけで電池を消耗してしまうので、もっとも大切な当事者の家族の安否確認などの妨げになるのです。)

逃避

2008年05月28日 03時39分30秒 | 新潟県中越大震災・地震
中国・四川省の大地震のニュースをみなさんはどうごらんになっているだろうか。
私はこの地震が起きた日から先週末までの2週間、この話題から逃げていた。

ネットや新聞のトピックは見ていた。
というより目に飛び込んでくる。
テレビでも地震のニュースが流れると足をとめた。
被害がどんどん拡大していることはそれだけでもわかる。

夕飯の支度をする私は夕方6時のニュースをゆっくり見ることはできない。
やれ、ごはんができた。
しかし7時のニュースも見せてもらえない。
子供たちはバラエティー番組を見たがるからだ。

新潟県中越沖地震が発生した昨年7月。
あのとき食い入るようにニュースを見たがる私たち親に対して子供たちはしらけた表情で
「まーた地震のニュース?クイズとかアニメ見せてよ。」という・・
ちょっとふてくされた態度をとっていたことを思い出した。

「私」もここ2週間ほど、あのときの子供たちと同じだったのかな、と振り返る。
身体が精神が・・・更なる被災地で起こってしまったことを受容する器がなくて、ニュースを見聞きすることを避けたがっていたような気がする。

あの『見たいけど見ないふり』の『ヘンな感じ』は【防衛機制】だったんだ。
’逃避’だったんだ。

本当は気になっていた。
だけどあえてブログでは話題にしたくなかった。
ブログに書くとコメントとレスという形で真正面から向き合わなくてはならないから。

週末、中国・四川大地震の特集番組を2つ見た。
ゆっくり見た。
「(中越大震災と)いっしょだ・・」と思うことがいくつもあった。
風景が重なった。

中越大震災のときにも小千谷に支援に来てくださった方々が現地に行っていることをメディアをとおして知った。

今回ばかりは達成感より無念のほうが多いだろう。
その無念の想いをこの人たちはどういうふうに消化するのか。
この人たちはどうやって 『こころのケア』 をしているのか。

そんなことを考えた。

身の丈でいい。
飾らずに。
今、小千谷はこんなですよ、と。
今日はこんな楽しいことうれしいことがありましたよ、と。

小っちゃなことでもいいから
発信する意味があるのかな、と。
そんなことを思ったのでありました。

能登半島で震度5弱の余震

2008年01月26日 14時17分13秒 | 新潟県中越大震災・地震
今朝能登で震度5弱の地震があった。
能登半島地震から10ヶ月。

中越でも本震から10ヶ月経ったときに震度5の余震がきたことを思いだした。
ちょうどおぢや祭りのまっさい中だったんだけど、ものすごく心臓がバクバクして、携帯でブログを更新する手ががたがた震えたことをはっきりおぼえている。
確か小千谷で5弱・小国は5強だった。

あのときはお祭りの熱気で気も紛れたけど、このたびの能登の余震は屋根にたっぷり雪が積もった状況で人々が寝静まっている未明(午前4時33分)に起こった。
また大きな余震がきたらこの寒空で避難するのかと、さぞおそろしかったに違いない。

ネットのニュースなどの情報では大きな被害はないとのことだが、能登の方には不安な気持ちや恐怖感がフラッシュバックしなければいいが、と祈っている。