小千谷から(Ojiya kara)

新潟県中越大震災の、とある被災者からのメッセージ
(リンクはご自由にどうぞ。ただし転載はご遠慮ください。)

阪神・淡路大震災から13年

2008年01月17日 05時41分42秒 | 新潟県中越大震災・地震
これから味噌汁をつくる。
家族はまだ寝てる。
家族が起きるころには部屋があったまるようにいつものようにファンヒーターをつけようかな、と思ってる。
あの日も寒かった。

大きなタンスの横で寝るのはやめた。
飲料水も車にいっぱい積んでいる。
ガソリンもたっぷり入れている。
非常口に大きな物を置くのもやめた。

阪神・淡路大震災から13年。
きのうは中越沖地震から半年。

阪神・淡路大震災の発生した5時46分は手をとめて黙祷をささげたい。

冬の明け方の地震

2007年12月25日 08時20分23秒 | 新潟県中越大震災・地震
今朝の5時30分ごろの地震、久々のたて揺れでびっくりした。
ネットでしらべると
え?あれで震度1?
もっと大きいかと思ったよ。
旦那は起き上がった直後だったので「震度6くらいのやつがくるんじゃねーかと思って一瞬ビビった。」と言ってた。
子どもたちはサンタさんがいつどこから入ってきたんだろう?と布団の中で話してるところだった。

冬の明け方の地震は阪神淡路大震災を思い出してドキッとするよ。

フラッシュバック

2007年11月11日 01時19分09秒 | 新潟県中越大震災・地震
家族で「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を観に行った。

本編前に「マリと子犬の物語」の予告が流れた。
「2004年10月23日午後5時56分」というテロップを見ただけでズキンとするのに、おどろおどろしい効果音とともに揺れる映像、一瞬にして家屋が崩壊していく様子、がれきの下の宇津井健と小さな女の子、くずれたアスファルトの空撮の映像、自衛隊のヘリの映像などがパッパッパッパッとフラッシュで流れた。

映画館は真っ暗。
それにサラウンドなので音響も効果的にからだの芯まで響きわたる。

ブワーーッとあの日の18時11分の地鳴りとシンクした。あのときも真っ暗だった。
心臓をえぐられるような気持ちになった。

隣にいるチビを心配した。
チビに特に変化はなくスクリーンを黙って見ていた(ようだ)。
急に手をつないだり顔を覗き込んだら余計に刺激するかもと思ったのでなにもしないでいた。

本編が始まった。

ネタばれになるので、詳しくは書けないが、
「ALWAYS 続・三丁目の夕日」はラジオからズームアウトしていくシーンからはじまる。
がたがたと揺れる鈴木オート。
薬師丸ひろ子がふろしきをしょってロクちゃんや一平たちを家の外に避難させる。
その後のシーンもCGとはいえ刺激的で、
「なんでこんなシーンばかり立て続けに?」
と正直思った。

流れる映像を前にして、私たちはジェットコースターに乗ったも同然。
目をつぶって観ないという選択もあるが、迫力ある音やあの緊張感から逃れることはできない。

ほのぼの系「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を観に行ってるのに、
しょっぱなからショッキング映像が流れるなんてまったく予想できなかった。

映画館から出るときに旦那が口火をきった。
「最初、○○(次男の名前)だいじょうぶかよ~っておもったよ~。
’マリ’と’三丁目’と立て続けにあったじゃん。あれじゃーなー。ちと生々しかったよな。」

やっぱり、旦那も感じてたんだ。

子どもたちは映画が終わって照明が点き、座席から立ち上がるときに
「おもしろかったね~O(≧▽≦)O 」
といって、印象に残るシーンを口々に笑顔で話していた。

チビの三日月目を見て本当にほっとした。

塩谷秋祭り

2007年11月05日 03時04分49秒 | 新潟県中越大震災・地震
11月3日、塩谷の秋祭りにお邪魔してきました。
浦柄→小栗山→荷頃→塩谷へとカーブを描きながら山をのぼっていくのですが、
上に上にいくにつれて木々がだんだん色濃くなっていくので運転してても気持ちいいんですよね

あ~いい道になりましたね。よかったです。
重機がひしめきあっていた痛々しい2005年の光景などうそのようです。




ふら~と寄らせていただく感覚で行ったのに、集落センターの前の光景を見てひるみました。
そこは千谷の仮設住宅を彷彿とさせるまさに青空宴会場。
日本酒の瓶ごろごろ。
「震央」「絆」「協創恢興」シャツが点在。
ちょ・・ちょっと入りづらいよ~。
それにもうみんな・・・できあがっちゃってませんか?

「こんにちは~」
とおそるおそる(笑)入っていったら
ラッキー
スローライフ小千谷のみなさんが入り口にいて声をかけてくださいました

<( ̄(エ) ̄;))((; ̄(エ) ̄)ゞキョロキョロ
あ~~関さんと星野さんがいっぱいだ~\( ~∇~)/

腰をおろしたらおろしたでごっつぉーに目移り。
そして注がれるままに遠慮なく

隣でお酒をすすめてくださる方は?
「あ~!!」
丸山結香さんのお祝いの席ではじめてお会いした方!
「おならの話がよかったですよ」という書籍「小千谷から」の感想に苦笑でした

普段おかた~いお仕事をされてる方も塩谷にくるとタガが外れるようですよ(爆)
というかタガを外したいから来てたりして?

”サイボーグのような人”の人間くさいとこが見えたりして楽しかったです。
でもここまで人の心をオープンにさせてしまうのが塩谷の魅力なんですよね。
すごい。

堀沢ファミリーの三味線の興行で






(゜◇゜)
塩谷のおかあさんたちが





これ撮りながら
「あ~いいな~」って・・・。
「これ、都会で季節感のない生活をしてる人に見せてあげたいな~」って・・・。
思ったんですよね



宴も酣ですが!(”たけなわ”ってこういう漢字なんですねw)
とりあえず一次会は万歳三唱で〆。





一次会から二次会にうつるあいだにモロコの天麩羅をいただきました。
泳いでるモロコをざるですくい、ぴちぴちはねてるのを








ごめんね、油のプールに( ̄~; ̄)

モロコというのはもともとは琵琶湖の特産種なんだそうですが、縁あって鯉がらみでこちら(中越)に伝えられ養殖することになったのだとか。(※モロコ<ホンモロコ>はコイ目コイ科)
薄衣で揚げると上品で淡白なので、これはまるで”新潟の日本酒のようだ”といわれているそうです。
サクサクでおいしかったですヨ



飲み足りない人が()二次会へ。







天神囃子とはこのあたりでずっと唄い継がれている祝い唄なんだけど、 元々は稲作豊穣を祈願する神事唄なんだそうです。
天神囃子・・・唄うおとうさんたちってすっげかっこいいんだ。
ちょっと鳥肌もんですよ。まじで。
(((゛◇゛)))カタカタカタカタ・・・・。

「塩谷にくると元気になる」
ってほとんどの人が言うけど、
人をそこまでの気持ちにさせるまとまった小集落って・・・ないですよね?

いい酒ばかりいただいてたので、おかげさまでまったく二日酔いにはなりませんでした。
あ、もしかして招かれざる客?σ( ̄∇ ̄;)





みなさん お疲れさまでした。
そして、お世話になりました、特に塩谷のおかあさんたち。
ありがとうございました!
かきのもと(食用菊=おもいのほか)もおいしかったです!

さつまいも

2007年11月01日 15時41分36秒 | 新潟県中越大震災・地震
6月にトミーの畑を間借りして植えたさつまいもを






先日子どもたちといっしょに掘ってきました


私ちっちゃいころイモホリってしたことあったっけ( ̄-  ̄ )
思い出せない。
おそらく幼稚園のイモホリ遠足とかでやったとは思うんだ。
だけど忘れてる。
自分で植えたさつまいもを掘るのは楽しみでちょっとわくわくしてた

なのに・・・。
あいつら、私がウコンの草取り&さつまいものつる切り(処理しやすいように30-50センチに切る)してるあいだにぜーーんぶ3人で掘っちまってる。
・・・・・Σ( ̄⊥ ̄lll)・・・・・
気づいたときには残り2株。
「ママが掘る分は?( ̄△ ̄;)」って低い声でくぎさしといたので
最後の一株だけ残しておいてくれた。
掘っても掘っても小さい芋がついてくる。
「(・0・*)ホ,(゜0゜*)ホ--ッッ!!!
’いもづる式’ってこのことをいうのか~~」

ちょっとぉ~新鮮なぁ感じぃ~柳原可奈子風


実は私、さつまいもあまり好きじゃない。
子どもたちが大好きだから、ってかる~い気持ちで植えさせていただいて、大学芋だったらこいつら喜んで食べるだろ、と大学芋ばかり作っていたんだけど・・・。




きのう、はじめてふかしてみたんだけどさっ
「こんなおいしいさつまいも食べたことない」ってくらい、んまかった\( ~∇~)/
さつまいも食べるときは、のどにひっかかりそうになるからお茶が必要、っていう先入観があったんだけど、このおいもはお茶なんかいらなかった。

なんていうか・・裏ごししたあとに生クリーム混ぜたようななめらかさ?
口を当てるとむにゅって崩れるの。

こ~らごっつぉーだわ。
「(はだしのゲンの弟)しんじに食べさせたいね~。」
といいながら、みんなでほふほふむさぼった

このさつまいもはトミーんちが先祖代々栽培し継いできたおいもらしく、地震で大変だったときも絶やさなかったらしい。

この人ってば、ほんとにいいものばっか食ってんだなーw
(だからそんなに元気なの?w)

小千谷市では中越大震災で仮設住宅に入居していた全世帯がきのう退去を完了。
災害対策本部は解散し、復興推進本部にきりかわった。

仮設住宅はピーク時で17カ所に設けられ、684世帯2328人が入居していた。
小千谷市が災害対策本部解散へ(新潟日報10.30)

小千谷は今、大きな大きな節目を迎えている。
小千谷が地震前よりももっと住みやすい町になるためには、市民ひとりひとりが「こんな町になったらいいなぁ~」という未来図を具体的に思い描くことからはじまると思う。
その思いが寄せ集まれば、じゃーそうなるためにはなにが足りないか、どうすれば実現するのか。
それはしぜんと見えてくる。

なんか突然かたいまとめになっちゃったけど、小千谷の人って山や田畑があるからこそ元気なんだなーと感じてさ。
仮設から出たお年寄りが「山も田んぼも失ってはりあいがなくなった」なんてことにならなければいいなぁ、ってね。

私が思い描く「未来の小千谷」は・・・ってこれは本に書きましたw
みんなはどんな「未来の小千谷」を思い描くのかなぁ。
聞いてみたいなぁ~。

中越復興祈念物産展

2007年10月28日 22時37分18秒 | 新潟県中越大震災・地震
中越大震災・中越沖地震復興祈念物産展に子供を連れて行ってきました。
場所は「えちご川口ホテルサンローラ駐車場特設会場」
なんだー?すごい人だー。
こんなことならもうちょっとはやくくるんだった!
遠くの駐車場に誘導されたため10時からの技大生の「悠久太鼓」見そびれちゃった~。
(音はきこえてたよ~。太鼓のみさちゃーん。かけつけたときには終わってたよ~。)

長岡・小国・三島・出雲崎・山古志・小千谷・川口・栃尾など各地の物産に混じって静岡からも応援ブースが!
どこも大賑わい。
子供たちはFIREロゴの入った消防バイクに試乗させてもらったり、
丸太早切り体験をしたり、楽しい催しものもたくさんありました。
(午後からはよさこい12チームの連続演舞があったようです)


なかでも面白かったのは
野菜釣り。





一回200円で野菜のつめあわせセットを釣り上げます。
川口の秋まつりでは恒例の大盤振舞いイベントのようで長蛇の列ができていました。
中身はほとんど同じ。
キャベツ・りんご・柿3つ・しめじ・えのきのセット。
で、この釣り上げた袋の中にくじが入っていて、あたりが出たらさらになにかもらえるみたいでした。
我が家はこども3人にさせて3人とも残念、はずれ。
くじの中に1万円札とか折りたたんで入ってたらあたしも間違いなくやったんだけどw

話題の(?)中越大震災体験酒「震央」のブースもありました。
立ち止まってじっくりと品定めをしていたら、
「こどもほったらかして何してるのかと思ったらこんなところで・・・w」
と声かけられたーー。
中越復興市民会議のあべさんでした。
試飲してる現場目撃されたんだけど、あれはお酒飲んでたんじゃないからね?
みりんをなめていただけだからね?(汗)
結局この抱き合わせ買っちゃったw
震災のときにお世話になった方へ贈ろうと思ってます。
(店主に後ろ向いてもらってパチリ。このほかにもスタッフが大勢この震央Tシャツを着ていました)

川口町は今、町中黄色いフラッグがはためいています。






震災から3年。
消防署、学校、役場などの公共施設だけでなく、各家庭でも窓や玄関に黄色いフラッグをたらし、
「あのときはありがとう。おかげさまで元気です」などと町をあげて全国に感謝の気持ちをあらわしているのです。


川口でボランティアをされた方。
今、川口はどうなってるの?って気になっている方。
震災の復旧工事に関わってくださった方。
なんらかの形で支援をしてくださった方。



そんな方々に届けばいいな、と
ほんの一部ではありますが、紹介させていただきました。






震災から3年~結びの灯火

2007年10月24日 16時58分23秒 | 新潟県中越大震災・地震
中越大震災から3周年のきのうは5:56をどこで迎えるか家族と相談。
子供が本町のイベント会場に行きたいというので、家族そろって出かけました。
日も短くなり肌寒くなりましたね。
あの日も寒くて星がきれいだったことを思い出します。
小千谷青年会議所が中心となってつくられた市民による手作りの灯篭にやさしいあかりが灯されました。




郵便局前では「中越大震災から3年、あのときありがとう」イベントが催され、あのときは伝えられなかった全国のみなさんや家族・友人・先生・近所の方々に対する感謝のメッセージを小学生→中学生→高校生→というように次々とリレーで伝えました。
取材陣もたくさんきていました。
この思いが多くの方々に届くことを願います。
みなさんあのときは本当にありがとうございました。


写真は多いほうが雰囲気がわかるかな、と似たような写真ですが貼り付けておきます。






実行委員のみなさん、大変おつかれさまです。
そしてこのようなイベントを開催してくださってありがとうございます。
5:56の黙祷ではいろいろなことが走馬灯のように思い出され、しぜんと涙がこぼれおちました。
あたりまえのしあわせをかみしめた一刻でした。





ひとつひとつゆっくりと見たいメッセージカードと灯篭。
灯篭は小千谷駅から市民会館までの商店街をあたたかく飾りました。
旭橋は青いイルミネーションが点灯されたそうです。





自衛隊の方々からは「小千谷に支援に入って感じたことは、この町の人はあたたかい。人と人との絆が大変強く、やさしさにあふれた町だ。」と感想を話されました。
最初は自衛隊のジープにびっくりしていた子供たちですが、迷彩服を着ている隊員に親近感をおぼえることに時間はかかりませんでした。
また我々大人も自衛隊の方が町に滞在してくれているだけで、心から安心できました。
多大なるご支援本当にありがとうございました。

仮設住宅に住んでいた方たちもほとんど出られて、新しい生活がはじまりました。
新しいコミュニティで生活される方が心穏やかに暮らせることを祈っています。




夜、集まれる人が集まって飲みました。
こうして心穏やかに語ることができるようになれたことがうれしかったです。





痛々しかった妙見の土砂崩れ現場も春に県道が復旧。
緑が増えたおかげでいくぶんやさしい感じになりました。

これからも少しずつですが、元気になっていく小千谷を伝えられたら・・・と思っています。。
今後ともよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。

地震直後の情報収集

2007年10月17日 05時13分17秒 | 新潟県中越大震災・地震
大きな揺れで飛び起きて居間へ。
「小千谷でこれだけ揺れたってことは?
どこかで大きい地震があった??」
って心配しながら情報収集のためにPCつけました。

旦那がつけていたテレビは変わりなくバラエティ番組を続けていて、
情報が欲しいこっちとしては「地震速報まだ?」って速報待ち。
その時間が結構長く感じたので
「たいしたことないんだろうな。」と直感。

旦那「震度4?5はあったかな?でもアレ(緊急地震速報)はなかったよ?」
私「見てたの?」
旦那「寝てた・・・」
私「(-~~- ) 」

数分経ったころ、やっとテレビで’ぴろりろりーん’と地震速報が入りました。(遅い!)

【2時3分ごろ甲信越地方で強い地震がありました。】

甲信越??震源どこどこ?

そのころPCが立ち上がりました。
Yahoo!のTOPで
【新潟県中越地方で強い地震がありました。】
と速報が出てました。

中越か・・・。

’メモ帳’を立ち上げ、ブログを書き始めたころ、テレビで

【新潟県中越 震度4】と地震速報がでました。

4か・・・。
震源はどこだー?

ちょっとしてから
【震度4 小千谷市】

と出ました。

小千谷がMAXだったのか・・・。

大きく揺れたのが小千谷だけってことは?
中越地震の余震?
ならばしつこすぎる・・・。

きのう(15日)も「ガリレオ」はじまるときに地震速報が入ったんですよね。

8時59分ごろ地震がありました。
【震度1 柏崎 小千谷】 って。
私はまったく揺れには気づかなかったんですけど。

こういう震度1レベルなら、スーパーは新潟だけに流れるんですか?
それとも全国で?
全国福山ファンのみなさま。
ガリレオ録画しました?
リアルタイムで見てた方でもいいです。
記念すべきガリレオ第一章で「うざい地震速報スーパー」が入ったかどうか教えてくださいませ。
(県外の夢なまこさん ハルちゃん プリーズw)

地震メール(震度4以上の地震があったときに詳細を携帯に知らせてくれるメール))は欲しい情報が収集できたあとに鳴りました。
どうも携帯メールに届く地震情報は遅いですね。
「もう知ってるよ」ってときにくる。

MAX震度4だったから緊急地震速報はなかったんだな、とあとになってわかりましたが。
もしこれが震度6~7クラスの地震だったとしたら!
転寝(うたたね)グセのある旦那はつけっぱなしテレビの緊急地震速報で起きれたのでしょうか。
緊急地震速報のときだけテレビの音量も45とか50とか
旦那を飛び起きさせるくらいの音量に!
って・・それは無理っすよね。

’緊急地震速報が出ててもゴーゴー寝てたから気づかなかった’
っていうのもマヌケな話だよね。

一回こわいおもいすればいいんだわ。
もうあたしゃ面倒みきれんよ。

震度4

2007年10月17日 02時17分05秒 | 新潟県中越大震災・地震
大きな揺れで飛び起きました。
3年前と同じ部屋だったのでバクバクしました。
小千谷市 震度4だそうです。
子どもたちは寝返り打ったくらいで起きませんでした。

旦那は居間でテレビつけっぱなしで転寝(-_-メ;)
「緊急地震速報はなかったと思う。」といってます。

みなさん、大丈夫でしたか?

お母さん

2007年10月10日 23時52分16秒 | 新潟県中越大震災・地震
きょうね、うれしいメールがきたんです。

「おひさしぶりーふ。おぼえてますか?
長岡技大(長岡技術科学大学)のJです。
ママさんの本2冊買いました!
一冊は日々地震にびびっている静岡の実家の母に送ります。
ブログも見てますよ。また飲みましょう。」

Jくーーん。
久しぶり~。
覚えてるよ~覚えてますとも~!
わざわざメールありがとう~。

Jくんに限らず、書籍「小千谷から」を読んでくださった方で
「(遠く離れて暮らしている)母にも読んでもらいたい」とすすめてくださる方がたくさんいらっしゃるんですよね。

これはホントにうれしいです。

なによりも、その方がお母さまを愛していらっしゃる、心配していらっしゃる気持ちが伝わってきて、その愛情のおすそわけをしていただいてるようでね。

ただ今までは、’娘さんからお母様へ’という話はよく伺っていたのですが、このたびは、20代前半の若い男の子がお母さまに私の本を送ってくれた、というのがとてもうれしくて、ブログでとりあげさせていただきました。

きっとすてきなお母さまなんだろうなぁ~。

そして!

どうしたらこういうカワイイ息子に育つんだろう?とw
ちょっと考えてしまったのでしたw

「協創恢興」Tシャツ好評販売中~!

2007年09月14日 15時07分10秒 | 新潟県中越大震災・地震
今週は片貝まつりの話題ばかりで更新がすっかり遅れてしまいましたが・・・。
9月9日、山本山高原菜の花畑で菜の花の種を蒔いてきました~。(NPO法人スローライフ小千谷主催)

去年はカメラは持っていったけどSDカードをパソコンにつきさしたまま忘れてきたんだった~<ソソッカシー
というわけで今年はちゃんと出かける前に確認しましたよ。
カメラにSDカード挿したかどうか。

現地に着くと中越復興市民会議のあべさんと隆太さんたちも駆けつけてました。

「あれ?なに?見慣れないTシャツ着てるねぇ~。
ちょっと見せて。写真撮らせて。」
ってことで
(-p■)q☆パシャッ☆



「こっち(左)が中越で、こっちは中越沖(右)なんですよ。」
「わーほんとだー
山と海になってるーー。かわいい~
中越のほうは、よーく見ると闘牛いるし山笠かぶってるおじちゃんや稲穂かかえてる人が。
中越沖のほうは、漁師さんとかサーフィンしてるにーちゃんとか海女さんやビキニのおねえちゃんも!!

中越と中越沖の人たちが向かい合ってるのがいいね~。

Tシャツの「協創恢興」という四字熟語は’すのぱと隊長’さんがつくった言葉で、「災害を転機として創造的に地域をつくり人を育む」っていう意味らしい。
恢興は戊辰戦争後の復興に尽力した三島億二郎の碑に刻まれている言葉なんだって。
(ムズカシイ~読めネ~歴史ワカンネー)

この「協創恢興」Tシャツ、2000円にて好評販売中で代金のうちの500円が中越沖地震の復興のためにあてられるんだそうですヨ。
購入方法はコチラ中越復興市民会議「協創恢興Tシャツ第2弾」販売してます!」からどうぞ~。

話がそれたので、菜の花の種蒔きのエントリーはまたのちほどゆっくりと~。

うちの町に限って

2007年09月08日 11時27分35秒 | 新潟県中越大震災・地震
きのうの昼。
台風情報見たさにテレビをつけたら、あるタレント二人組が「これから震度7を体験します!」と意気揚々としていた。
10月1日スタートの緊急地震速報にからめてタレントに地震の揺れを擬似体験させようという企画だったんだろうけど、
これから地震体験車だかがある施設に乗り込もうとする前ふりで

タレントAが
「ねぇねぇ、震度7がきたらどうする?」
とタレントBにきいた。
そのタレントBはキッパリ言った。

「こないっ!(笑)」

タレントA 高笑い。

・・・・・・すごくバカにされたような気になった。

防災を’情報エンターテイメント’と称する番組でやってるんだから、いちいちカリカリしてちゃいかんのだろうけど、被災地の人だって見てるんだよ。
大地震がくるかもしれないからやってるんじゃないの?

でもなぁ、「こんなもんかもなぁ」と思ってしまった。

「大地震がうちの町にもくるかもしれない」と思ってる人はこんなふうにおチャラケることなんかできないもんな。
それをそのまま編集して流してしまう感性も疑うし、結局は他人事だからこんな放送しちゃうんだよなぁ。

震度7を擬似体験したタレントBは
「私も備えをするわ。でもすぐにはしないけど。」
と言っていた。

「おまえなんか一生しねーんだろ?」と思ってしまった。

長岡花火

2007年08月04日 11時19分44秒 | 新潟県中越大震災・地震
旦那の’海の思い出’といえば、柏崎の番神
子どものころ、よく連れていってもらっては海水浴を楽しんでいたそうだが、しょっちゅう迷子になっていたらしい。
浜茶屋からうきわつけて「わ~!」っと海に向かって走っていくのはいいが、海から戻るときにどの浜茶屋かわからなくなるという典型的なパターン。
「先々のことをなんにも考えてない」のは昔からのようで、
泣く→迷子放送→親にひきとってもらう
これを毎夏「繰り返して」いたらしい……(-。-)

長岡花火、携帯が通じなくて知り合いと待ち合わせに苦労した人、多くなかったですか?
「小千谷市からお越しの○○さん。お連れさまが○○でお待ちです。」という放送も聞こえてきました。

私もブログを更新しようとしつこくしつこく送信してましたが、会場内ではまったくダメでした。

子ども達にも「もしトイレ行って戻ってくる場所がわからなくなったり迷子になったら、青と白のテントの前の土手めざしてくるんだよ。」とおしえました。

まるで災害時です。
おちあう場所はあらかじめ話し合っておきましょうw

そして、おとといもきのうも暑かったですね。
今年も技大の学生さんたちのお世話になりましたが、
飲み物と食べ物調達係の学生くんを待つあいだは「救援物資」を待ってる気分。

のどかわいてるんだけど、おなかすいてるんだけど、みんな首長くしてぐっと辛抱。
ただただ待つのみ。

そしてー!6時40分でした!
がらがらがらと音をたてて、パンケースとカートがきました~。
思わず「キター」って歓喜の声をあげてしまいましたよ。

だってまわりがみんなビール飲んだりケンタのチキン食べたりしてるんだもん。目に毒だったんっすよ~。

食べ物を運ぶのもバケツリレー
いやぁ~暑いのに、席取り、食料調達お疲れ様でした!
ありがとう~。感謝感謝~。

携帯カメラじゃうつりきらない。
ベスビアス超特大ワイドスターマイン。






(左)長生橋のナイアガラ。
  (私の写真じゃショボイ~~)

(右)正三尺玉。





今年もキレイでしたね!

次は小千谷花火。
そして来月は片貝花火。

まだまだ新潟の花火を楽しみましょう~。

NEWS ZEROで麻央ちゃんが長岡花火をレポ

2007年08月03日 23時31分32秒 | 新潟県中越大震災・地震
きょうのNEWS ZEROのカルチャーのコーナーは
「長岡復興祈願花火生中継  麻央&平原綾香」
だそうです。

番組HPによると23時56分ごろからだって。

麻央ちゃんは小千谷に立ち寄ることはできるのかな。
お仕事だから無理かな。

台風が心配されましたが、降られなくてよかったですね。
う・・・。いまになって風が強くなってきましたよ。

私は今夜は小千谷の自宅の居間から見てました。
小千谷の花火も片貝花火も長岡花火も自宅から見ることができるなんて
いやぁ~ぜいたくですわー。

あ、テレビはじまる!(麻央ちゃん 泣いてた!)
これから見ます~

カウンセリングで気持ちが楽に

2007年07月26日 23時00分56秒 | 新潟県中越大震災・地震
刈羽村にボランティアに行ったとき、阪神高齢者・障害者支援ネットワークのKさんからある女性を紹介された。
刈羽村の職員の方で、ふたりの子どもを持つお母さん。
その方の子どもさんが、震災から様子がおかしいのだという。
普段に増して暴力的でおねえちゃんやお母さんを蹴ったりたたいたり、ものすごく荒れているのだそうだ。

ボランティアに行ったときは、ほんとにちょこっとしかお話ができなかったので、その後の子どもさんとお母さんの様子がずっと気にかかっていた。

忙しいだろうなぁ、とは思いつつ、今日ボランティアセンターに電話をして、とりついでもらった。

明るい声が聞こえてきた。
彼女は、二日ほど前に「こころのケアセンター」で専門家からカウンセリングを受けたのだという。

あれだけの震災があったのだから、子どもに「怒ってはいけない。」と無理をしていた彼女。
でも、カウンセリングで
「お子さんにとって、いつものお母さんでいてあげることが大切なのかもしれませんね。」とアドバイスを受けたんだそうだ。

その後、お子さんとしっかり向き合って
「叩いたら痛いよ。」「叩かれたらお母さん悲しいよ。」と告げたらしい。
また、職場に子どもさんを連れていったこともあったけど、それはやめて
「どうしてもお母さんのそばに居たい、っていうんなら、お母さん仕事やめてずっとあなたのそばにいるから。」
って言ったんだそうだ。
すると、お子さんは「(やめなくて)いいよ。」と納得したらしい。

いつもの、厳しくて優しいお母さんに戻って、子どもさんにもストレートに母親としての「覚悟」を伝えたんですね。

どうせ教科書的なことしかいわれないだろうと思っていた彼女は「ほんとうにカウンセリングを受けてよかったですよ~!私も最近涙もろくなって、わけもなく泣けてきたりしてたので・・・。でも気が楽になりました。まわりのみんなにも’やばいな’と思ったらカウンセリング受けたほうがいいよ!ってすすめてるんですよ~」と。

あーよかった。
うれしくて涙が出た。

「なにかあったら電話してくださいね。」
というと
「ほんとにしちゃいますよ!!」
と言ってもらえたのもうれしかった。

子どもが心配だったから、と、こんなに早い時期にカウンセリングを受けてる前向きな彼女に大拍手!

陰ながらエールを送らせていただきます!