あの日のことはよく覚えている。
ちょうど東のイベント会場で復興シール販売のお手伝いをしていたときだった。
「福岡で震度6クラスの地震だって!!」
胸がざわざわした。
友人の実家は被害がないと知りひと安心したが、胸のざわざわはおさまらなかった。
突き上げられるような衝動にかられた。ほっとけなかった。
卒園式を終え、入学準備もそこそこ、私は福岡にとんだ。
カタガキもなにもない「しがない主婦」が福岡県庁に行ったところで何が変わるといわれた。
でも行かないよりはいいでしょ、と思った。
面会のアポをとり、中越の仮設住宅の資料と小千谷市民から福岡の方々への御見舞いメッセージをビデオテープにダビングしたものを九電記念体育館の責任者の方と福岡県庁へ届けてきた。
福岡の仮設住宅はちょうど建設にとりかかろうとしていたところだったので、中越の教訓を生かしてもらうには「時すでに遅し」だったが、小千谷の人たちが福岡の方がたのことを気にかけてますよ、ということは直接伝えたかった。
私たちが阪神淡路や台風で被害に遭った先輩たちに気にかけてもらえたことが本当に心からうれしく頼もしかったから。
玄界島の方々は中越のような切羽詰まった感じがなく、笑顔で避難生活を送っていたのでびっくりした。コミュニティがまとまって避難生活を送っていることに意味があるのだと思った。
中越では体育館に人があふれかえっておりペットは当然締め出し状態だったが、玄界島の方が避難していた体育館には隅っこにペットがいたのもびっくりした。
島民の方がたとひなたぼっこをしながら和気藹々とお話させてもらった。
あれは震災からちょうど一週間経った頃で、体育館に畳が敷かれる日だった。(これまたびっくり)
まだそれほど個人と個人のあいだで格差もなく、みんな同じに被災しているという状況だったように記憶する。
福岡では今も219世帯580人が仮設住宅で暮らしている。
島に帰りたいと願う人たちが全員帰島するにはあと2年はかかりそうだというが、それでも島に公営住宅と一戸建て用地を設ける計画だというから「ふるさとに戻れる」ということに関してはとりあえずはよかったと思った。
島で地震
山で地震。
同じようで全然違う。
去年の春、
福岡のもつ鍋専門店「楽天地」さんからもつ鍋の御見舞いを頂いた。
新潟のほうが地震の被害はひどかっただろう、新潟の方は元気を取り戻されたのだろうか、と「いてもたってもいられず何かお役に立ちたかった」とのこと。
手書きで一枚一枚(内容もそれぞれ違う)お手紙も添えられていてジンとした。
今まで食べたもつ鍋の中でいちばん美味しかった。(このお手紙はずっと大切に保存しておきます。)
被災地リレーじゃないけど、こうして被災地同士が繋がっていたいなと思う。
そしてブログ人口がこの先どんどん増えていったらもっともっと簡単に情報交換や励ましあいができるようになる。
たかがネット。
されどネット。
温かい気持ちはずっとつなげてこれからもどんどんふくらませていけたらなぁと思う。