小千谷から(Ojiya kara)

新潟県中越大震災の、とある被災者からのメッセージ
(リンクはご自由にどうぞ。ただし転載はご遠慮ください。)

妙見土砂崩れ現場の災害復旧工事進行状況~2007年1月

2007年01月06日 02時55分52秒 | 新潟県中越大震災・地震
昨日も気持ちいい一日でした。






例年だと、山も畑も真っ白です。
「本当に1月5日なの?」っていうくらい・・。
普通に写真だけ見てたら
”4月?”
”雪解け?”
って錯覚しちゃいそうです。

妙見の土砂崩れ現場です。






まだまだでっかい岩がゴロゴロしていてぶらさがったガードレールや崩れ落ちたアスファルトは”2004.10.23”のまま。
痛々しさは残っていますが、小雪のため上の方はだいぶ工事もすすんだようですね。
雪で隠れるので「がんばっています!早期開通!」(2006.12.11撮影)の看板は外されていました。



地震 新年一発目!

2007年01月02日 22時54分33秒 | 新潟県中越大震災・地震
ついさっき。
子供の寝息をききながら
ちょっと背中がビブラート。
「あれ?おかしいゾ?」
って思ったらやっぱり地震でした。

ガタガタガタ!!
って
震度1くらいかな。

新年早々から見舞われましたが今のも中越地震の余震なのかなぁ。

Yahoo! 地震情報

震度2 十日町市
震度1 南魚沼市 小千谷市 川口町

だそうです。

三度目の冬

2006年12月08日 00時58分17秒 | 新潟県中越大震災・地震
スーパーで買い物をしていたら知ってる人に会った。
「お~!」と軽く挨拶。
仮設住宅へ住んでたその方。
「おかげさまで災害復興住宅へ引っ越すことになりました。」
と。
ほんの立ち話なので詳しくはきけなかったけど、年内には引っ越してきれいなところでお正月を迎えるのかなぁ。

授業参観などで小学校へ行くたびにグランドの仮設住宅が気にかかる。
あの方はもう引っ越されたのだろうか?
玄関をちらっとのぞく。
除雪につかう大きなスコップが出ていた。
「あ、まだいらっしゃるんだなァ。」
慌しいので家路を急ぐが
(もう山には戻らない(戻れない)んだろうなぁ。)
(あの方も復興住宅へ引っ越されるんだろうか。)
と思ったりする。
「こんにちは~」と ふらっと寄ってみようと思うのに足が重い。
すでにそういうことが3-4回あった。
声をかけてみたい気持ちと「いや距離を置いたほうがいいのかな。」という気持ちが交錯する。

震災直後にボランティアで被災者と心を通わせた若者が就職のために中越を離れた。
彼が言う。
「気になる人って好きな人とか友達とか家族だと思うんだけど、僕は中越に気になる人がたくさんいる。
吉谷のあの○○さんは元気だろうか?」って。

四六時中笑顔ではいられないかもしれないけど、こうして気にかけてもらえるということが”張り合い”につながるんではないかな。
あの急性期(2004年10月23日~2005年前半)のことは全国から応援に駆けつけてくれた人たちの心にずっと残ってるんじゃないかな。

先日いっしょに”宅呑み(外じゃなく家で呑むこと)”した知人は仮設から仮設へ引越しをした。
最初に入っていた仮設が撤収することになったので近場の仮設へうつったのだといっていた。
仮設で3度目の冬を迎える。
ただ彼は来年、平場に新居を構えることが決まっている。
まだ30代。若いから。
そんな彼が言う。
「地震は僕にとってはもう思い出したくない 語りたくない ことだ。」と。

こうして被災地もだんだんとデリケートになっていく。
風化させてはいけないけど、「もうそんな話は忘れたい」と思う人もいるのだ。

それぞれの冬。
みんなが心穏やかに過ごせたらいいなぁと思う。

千島沖地震

2006年11月16日 16時21分44秒 | 新潟県中越大震災・地震
昨夜千島列島沖で起きたM8.1の地震に伴う津波は大事に至らなくてよかったですね。
午後9時ごろからずっとテレビにかじりついていましたが、落ち着いているっぽいので10時には「14才の母」にチャンネルを変えましたw 何かあると速報が出るだろうと。
途中「ポーンポーン」と速報が入ったので「津波?」と思ったら和歌山知事逮捕のニュースでした
なーんだ、びっくりするじゃんよ。

神戸や中越みたいに突然きた大地震とは違い、全国の人たちが今張り詰めた思いで北海道の海岸の映像を見つめているのか、と思うとなんだか異様な感じがしました。

警報が出て避難した住民のみなさん。一度こういうことがあると不安になりますよね。それは中越で続いた余震の恐怖に似ているかもしれません。
寒空での避難、大変お疲れさまでした。
今夜はゆっくりお休みになれますように。

いつまで続く?

2006年10月31日 08時15分12秒 | 新潟県中越大震災・地震
明け方に地震があった。
いつもなら熟睡中の子供が「地震?」とすぐに反応するほどだった。
調べてみると

震度2 新潟県 新潟県中越 小千谷市 小千谷市城内 小千谷市土川
震度1 新潟県 長岡市 魚沼市 長岡市千手 長岡市小国町法坂 魚沼市今泉

このあたりでしか揺れてない。これも中越地震の余震なのだろうか。
背中全体に揺れが伝わるので3くらいに思えた。
眠れなかった日々を思い出した。
小さなストレスもたまりたまると疲れるね。
中越地震、本当にしつこいよ。

体験と教訓を発信~小千谷総合病院看護部長さん

2006年10月27日 04時35分26秒 | 新潟県中越大震災・地震
震災から2年が経ちました。
1年目2年目は生活することだけでいっぱいいっぱいだったけれど、3年目に差し掛かった今、私たちはこの体験を新たなる被災地のために役立ててもらうべく、震災記録をまとめたり語ったりする、そういう時期なのかもしれません。

今朝(27日)の朝日新聞(新潟版)の朝刊に小千谷総合病院の看護部長さんの記事が掲載されています。
震災時、小千谷総合病院の看護師さんたちが素晴らしい対応で患者さんを一階ホールに避難させたことは地元では有名な話です。
また小千谷病院の看護部のすごいところは震災から1ヶ月半後の大変なときに看護師ひとりひとりにアンケートをとったり「語る会」を開いて家庭と仕事・地域の狭間で揺れるつらかった気持ちをはきだす場をつくる、など、ケアをする側(看護師)のこころのケアもちゃんとしていること。アンケートも一度のみならず3ヵ月後、7ヶ月後、1年後と定期的にとっており、これは今後も継続して行うそうです。

看護部長さんには日本災害看護学会でご一緒したときに「こんなに素敵な女性が小千谷にいたのか!」と感動すらおぼえました。
休日返上の講演もいとうことなく何十本とこなされ、空いた日にはボランティアまでされています。
震災のおかげでまた一人素晴らしい方に出会ってしまいました。
今度はプライベートでゆっくりとお話したいです。

この記事は全国版では23日の夕刊に掲載されました。
地震が起こったときに病院で何が起こったのか、どんなふうに患者さんの命を守ったのか、震災前に知っておけばよかったと思うことは何だったのか、看護師の苦悩など。
日本全国の医療従事者や人の命を預かる仕事についている方に見ていただきたい記事です。

逆なで

2006年10月27日 02時18分56秒 | 新潟県中越大震災・地震
「新潟県中越地震から2年」というテーマで、この一週間各テレビ局や新聞社が特集を組んだ。
山古志、小千谷市塩谷、川口の中山間地の現状と妙見の土砂崩れ現場で救出された男の子の成長ぶりや、復興防災イベント、合同慰霊祭に焦点をあてているメディアが大半だった。
報道している内容はどのメディアも大差はなかったが、2点、非常に不快だと思ったことがあったので触れておく。

■目を覆いたくなる映像

23日夕方(午後5時56分前)の放送にて。(民放)
全村避難の山古志住民が2004年11月に一時帰村したときのVTR。
はじめて家に戻る住民を背後からテレビカメラが追っかける。
いっしょに連れて逃げられなかったペットが気にかかっている住民。
犬小屋の向こうをそっとのぞきながら飼い犬の名前を呼ぶ。
そこにあったのは変わり果てた愛犬の姿。
ごめんね・・・と顔を覆い、泣き崩れる住民。

のぞくシーンと泣き崩れるシーンだけで充分ではないか。
犬小屋の向こうまでうつす必要はあったのか。
たとえうっかりうつりこんだにしてもよくもその残酷なシーンを編集して流す気になったもんだ。
取材に協力してもらっている被災者の気持ちになれば、そんなデリカシーのないことなどできるはずがない。
私はそのシーンを見た瞬間に「うわっ」と目を覆いたくなり、不快な感情でいっぱいになった。

■おまえに何がわかる?

今朝(26日)の某情報番組(ワイドショー?)にて。
山古志の取材は一年ぶりだというリポーター。
仮設住宅から山へ帰った住民にインタビュー。
「なにもないけどやっぱり山がいい。」と小さな庭で家庭菜園をしているおばあさんの笑顔の映像のあとで、国道291号線の橋の絵にデーンとかぶせたのは画面からはみでそうなほどの「700億」というテロップ!
そこでコメンテーターがひとこと。
「あの・・これ・・国や県はほんとに山古志に帰りましょうっていってるんですか?700億なんてつかって無駄なことするよりそのお金を被災者に公平に配分するなり、(被災者を)まとめて平場に移転させるべきだと思いますけどねぇ。」

情けなくなって静かな怒りがこみあげてきた。
でも都会の人間はこういう合理的な考えの人がいるのも事実。
官僚の中にもこういう考えの人は多い。
薄っぺらい取材が露呈したことに本人たちは気づいてないのだろうが、あまりにもお粗末すぎて一日中もやもやした気持ちが残った。

また秋田生まれで豪雪を知ってるO倉さんが反論・解説してくれなかったのも悲しかった。

中越の中山間地の人たちが今朝の番組を見ていないことを祈る。

夢咲きほこれ(~つながれみんな~)

2006年10月23日 13時18分29秒 | 新潟県中越大震災・地震
小千谷市総合体育館で行われたイベント
夢咲きほこれ(~つながれみんな~)in小千谷
に行ってきました。

会場に着くとすごい行列。
この日はBSNラジオ公開生放送もあり、前川清がゲストで訪れていました。
イベント会場でもその模様は流され、福山雅治作詞作曲の名曲「ひまわり」も聴けました♪
大満足。


実行委員長からの挨拶。
「地震はつらく悲しいことだったけれど、悪いことばかりではなく、大切なことに気づかせてくれたりたくさんの出会いをもたらしてくれました。
人と人とのつながりを拡げ、小千谷にいい風を吹かせましょう。」とお話されました。



アルミ缶が車椅子にリサイクルできるというのでスーパーの袋2つ分持っていきました。
(すべてのどごし生ちょっと恥ずかしかったw)
こどもたちは環境クイズに答えたり廃油石鹸をつくったりしながらスタンプラリーを楽しみ、抽選会では小千谷産の銘菓詰め合わせセットやそばなどをゲットしてきました。


スタッフのおねえさん(爆)です。
楽しいイベントを企画してくれてありがとう~





フリーマーケットも大盛況でした。
早めに行ったので可愛い子供服をたくさん買いだめすることができました。(ほとんどが100円新品は200円ウレシー)
写真はあかつきボランティアネットワークのボランティアさんによるブース。
絆Tシャツが目立つので塩谷を支援しているボランティアさんたちや中越復興関係者などもちょこちょこ立ち寄っていました。
昨夜は塩谷の古民家・芒種庵で楽しい宴が繰り広げられたようですね。
おやじさん。お誘いいただきありがとうございました。
(家族サービスのため私は不参加。残念です

地元のこどもたちによるよさこい、ヒップホップダンスで元気をもらい、南ぬ風人まーちゃんバンド&ブドゥリ太鼓のライブでは心温まる唄が身体に染み入るようでした。




ヒップホップグループもまーちゃんのライブに乱入
ほのぼのしてて楽しかったです
写真左端の男の子。
ゴリラになりきってますね



会場のおっぢゃんしょもいっしょに歌い踊りました。






ふるさとを愛する気持ちを再確認できたとても素敵なライブだったと思います。
スタッフの方々。本当にお疲れさまでした



中越大震災から2年~あの日の小千谷の写真

2006年10月21日 09時45分45秒 | 新潟県中越大震災・地震
震災から2年。
それぞれの思いがあります。
10月の23日前後の土曜の午後5時56分。
10月23日の同じ時間よりもより印象的です。

これは2年前の錦鯉の品評会の看板です。
小千谷でこの看板をみかけるようになったら「あぁ10月になったなぁ・・・」と感じます。
品評会は毎年10月の最終週末に行われます。
地震にあったのは10月23日。あと一週間で錦鯉が世界中に出荷されるはずでした。




2年前の写真を見ていたら車中泊をしていたときの写真が紛れていました。
狭い車に5人。長い長い夜でした。
10月23日21時55分撮影。





朝が来たのが本当に嬉しかった。
(左)10月24日7時24分撮影
(右)10月24日7時23分撮影






(左)10月24日8時28分撮影
近所の人に見せてもらってむさぼるように読んだ新聞
(右)10月24日8時21分撮影
アルビ牛乳。冷たくない冷蔵庫から引っ張り出して子供に与えました。
夏だったら腐ってたとおもいます(^_^;)


(左)10月24日6時35分撮影
真っ暗な玄関で「どれでもいいから履いて出なさい!」と履かせた長靴。
トレーナーは親のものです。
(右)10月24日7時13分撮影
地震に遭ったときにごはんは炊けていました。
炊飯器ごと車に持ち込み、車の中でおにぎりをつくりました。




(左)ジャスコ小千谷店 11月6日撮影
(右)原信西小千谷店 10月24日15時00分撮影






(左)はじめてもらった救援物資は子供のいる家庭優先で食パン一斤。(翌日午前11時ごろ)
午後4時ごろにはおにぎりとお茶が届きました。
(右)11月2日朝の救援物資






10月24日16時28分撮影
(問題の福山雅治よりやきそばの証拠写真)







(左)10月25日8時28分撮影(桜町)
(右)10月24日15時03分撮影(本町)







(左)11月4日に原信西小千谷店舗前でもらった水。
(右)この日原信店内のトイレがつかえて感動しました。






他県から警察・救急車・自衛隊・災害復旧の車両が応援にかけつけてくれました。
これらの車両が一斉にいなくなった12月22日。失恋したときのようにさびしかったことを思い出します。






十日町の方言

2006年08月31日 11時11分29秒 | 新潟県中越大震災・地震
大地の芸術祭に行く途中十日町を通ったら、ちょうど本町でお祭りをしていました。
運転しながら撮影したのでブレておりますw



おもしろい!と思ったのは
こんな感じで十日町の方言がのぼりになってた。

「ごーぎ」はわかるど。学習したど。
「なきったれ」はなんとなく「泣き虫」っぽいなぁ。


まぐれるって何






あったらん






「かしがる」はわかる。
「はちゃね」は「またね」の意味でしょうか。
魚沼は「はちゃま!」っていうらしい。



全部撮影したかったけど、なんせ運転してたもんでw
これが限界ですたw

大崩の好美ちゃんが大倉修吾のラジオに出演します!

2006年08月29日 16時57分41秒 | 新潟県中越大震災・地震
明日8月30日午前9時から
BSNラジオ(AM1062hz)
大倉修吾の「ミュージックポスト」に
大崩の清水好美さんが電話インタビューで生出演されまーーす。

9:35(時間変更になりましたので訂正します)からの中越地震のコーナーで、地震のときに何をしていたか、現在どうなったかなどをインタビューされるようですよ。

震災後の小千谷。
東山や平場はちょくちょく報道されますが、南部の中山間地ってどうなってるんだろう・・と私も気になっていました。
特に大崩は養鯉業も盛んだし、田麦山の裏側なので被害も相当大きかったことと思います。(雪もハンパじゃない降ります。)

好美ちゃんとは震災を通じて知り合いました。
震災復興イベントでも何度もお会いしましたが明るくてカワイらしい彼女に私は会うたび癒されています。

彼女は10月22日に行われる震災2周年のイベント「風人の祭りinおぢや2006」(沖縄出身・まーちゃんバンドによる震災復興無料コンサートと有志による歌・踊りなど)の実行委員としてもがんばっておられる様子。

がんばれ好美ちゃん。
応援してるよーんヽ(^◇^*)/

総合火力演習見学 バタバタエピソード

2006年08月29日 12時02分27秒 | 新潟県中越大震災・地震
最近ゆっくりブログをアップする時間がもてません。
コメントのレスもメールもたまっていますが気にせず(笑)富士総合火力演習見学の裏話をちょっと。

子供は一週間前からすっかりバス遠足気分。
おやつの心配ばかりしていました。
私ひとりで高田まで子供3人を連れていくのは初めてだったので(しかも深夜)、地図を調べたりガソリンの給油のことや何時に子供を車に乗せるかなどの段取りで頭はいっぱい。

日傘は演習前だったらさしてもいいだろうか。
いや、非常識だよな。
なら日焼け止めクリームも買わなくちゃ!
天気を調べてみると・・・何?曇りのち雨、ところによっては雷?
大変だ~~!!日傘じゃなくてレインコート(&レインズボン)も人数分そろえなくちゃ~っ!
ってことで急遽前日の夜100均に。
日焼け対策&雨対策の両方をしていたら、自分の準備なんてすっかり忘れていました。

まるで地震のときのよう。
小さな車に車中泊。
んで、高田に着いたころね、左目がなんか痛くなったんです。
そういえば、今日コンタクト使用期限ギリギリ日だったなぁ、と振り返る。(←遅い)
でも保存液もケースも忘れちった。(めがねもナ)
一度外して水道でさーーっと洗う(無茶)。
外しても目イタイw
あ~このまま一日がんばるしかないんだよなぁ~w
(目がみえなくなったら小千谷まで運転して帰れなくなる~)

左目イタタタ状態のまま演習を見ました。
まぁ、なんとかがんばれた。
でも、帰りのパーキングエリアで、もうどうしようもない状態に。
片レンズ外しました(しょうがない)(涙)
ガチャ目のまま上越から小千谷まで運転w
無事小千谷に着いたときは「はーっ」ホッとしたわん(なんとかなるもんだねw)

総合火力演習でのアナウンス。
これがかなり面白かった。
「トヨタ ブルーバードでお越しの・・・。ライトが点いています。」
↑おねーさん。これはねらったの?
「ブルーバードは日産だよ!!」とあちこちでツッコミツッコミw
会場3万人を一瞬のうちにどよめかせたおねーさんにちょっと嫉妬(笑)

そしてこのおねーさんまだまだやってくれる。
「演習中はかなり大きな音がいたします。あらかじめティッシュなどを耳に詰めるか耳栓をするなどして
・・・・。」
ええ~?\( ~∇~)/
ティッシュですか?(゜▽゜=)ノ彡☆
3万人が耳からティッシュはみ出しの図を妄想し、私も子供たちもバカウケヾ(≧▽≦)ノ

でもバカにして悪かったw
本当に鼓膜がどうにかなりそうでした。
ごめんなさい。すんません。
今度から言うこと聞きますw(ツギハ ネーヨ!)

一般の人ももちろんたくさん来ていたのだけど、
ここにいる何人の人たちが中越に支援に来てくれていたんだろう?なんて思いながら迷彩服を見ていました。

後ろのおじさんたちは「あと10年早く生まれてたら俺らも命はなかったな。」なんていいながらしみじみ見ていました。
戦闘機にも詳しいようで「次のやつは大きな音がするよ。耳おさえたほうがいいよ。」なんてアドバイスしてくれました。
親戚が集まったときにじーさんがする戦争の話は嫌だけど(押し付けがましいしおもろないw)迷彩シートの上できく知らないおじさん同士の雑談はリアリティがあって素直に聞く気になれるのはなぜなんだw

「撃ち方やめ!」っていうのはちょっと間抜けw
戦車は射撃したあとめちゃめちゃ逃げ足が速いのにもびっくりww
「援護射撃」とか「強行突破」という言葉はよくつかうけど
「このことなのかぁ・・」と思いながら身体をビクビク、目をキョロキョロさせながら見ていました。
なんか映画を見ているみたい。
自衛隊がプラモデルの人形に見える。
(トイストーリーにでてくるよね。あんな感じ)

どの戦車がいつ撃つのかよくわからなくて(マニアにはわかるのだろうけど)大きな音がしてしゃっくりが急にきたみたいになりww
ピクピクピクピクしながら、興奮した子供たちが立ち上がりそうになるのを「座りなさい!」と何度も制し、チビが大丈夫か表情をうかがうw
んなことしてるうちに演習はあっというまに終わってしまいました( ̄▽ ̄;)!!
(うわーん。もっとじっくり見たかったよぉ)

今日の昼食は乾パン演習が終わった途端、見学にきていたある自衛隊さん御一行が昼食をとりはじめました。
メニューはアレです。救援物資でお馴染みのパックのご飯や乾パン!
普段からこんなの食べてるんですねぇ。
ついつい撮影してしまいましたw

帰りのバスで中越大震災時に復旧工事に携わってくださったという東北電力の方と知り合い、いっしょに飲みました(350缶2本w)
楽しかった
またお会いしてお話したいです~。

平成18年度富士総合火力演習

2006年08月28日 09時55分24秒 | 新潟県中越大震災・地震
中越大震災つながりで陸上自衛隊高田駐屯地の連隊長さんと交流が生まれ、8月26日平成18年度富士総合火力演習にお招きいただきました。
なんか大人気のイベントだそうですね
お誘いいただいたときに小さな子供を3人も連れていくのはキツイかなと思ったのですが、一生に一度行けるかどうかだというので思い切って連れていっていただくことにしました。
高田を深夜3時に出発。
なので小千谷を夜中に出発。
子供3人がそれぞれリュックしょって夜、母親の車でこっそりでかける。
もろに「実家に帰らせていただきます!」状態でしたwww

7時に御殿場に着きました。
スタンド席はすでにこの状態。(バスの中から撮影。)
とお~~くの駐車場に案内されて会場まで歩きます。
(チビの歩幅にあわせて歩くのでこの時点で高田自衛隊のスタッフとはぐれましたw)
毎年3万人が集まるといいます。
抽選に当たるのもここまで来るのも大変な道のりなんですね。

この自衛隊さんたちの前のほうを陣取っていただきました。
携帯の電話番号登録しててよかったw




どんどん埋まっていきます。
カンカン照りだと子供たちが具合悪くなりそうでかなり心配だったけど(日傘さしたら怒鳴られるw)天気は曇りでホッ。
でもパラシュート降下が中止になったのは残念でした。


ビデオを撮ってたので写真はほとんどありませんw
演習内容や迫力ある写真はコチラのサイトからどうぞ。(F4がF2になったりとちょっと変更があったりしますがほとんど同じだと思います。)
トップページからは動画も見られます。
「2年前の中越大震災のときにはこうして重機を運搬しました。」というアナウンスが入りました。
ジーン
実弾がこっちとんでこないとわかってるから
w(゜o゜)w オオー!とかいってられるけど、マジビビったw
近すぎるよ。シート席。
ビデオを万歳の形で(ちょっとだけケツ浮かせ気味でw)なんとか撮るも、持つ手がビクン!ってなったり、思わず声が入ってしまったw
爆音や爆風も想像以上。
上の子たちは興奮気味でしたが、チビはクライマックスは私のひざにうつぶせてしまいましたw
こわいというよりは音のでかさとか風圧にビックリさせられっぱなしだったみたい。

貴重な体験をさせていただき心から感謝しております。
ありがとうございました。





売店で売られていたお土産。






私が買ったのは戦茶とレトルトカレー。
キューピーさんは匍匐前進(ほふくぜんしん)や直立のレアなやつがあったみたいだけど売り切れていて、マニアがため息をついていました。