小千谷から(Ojiya kara)

新潟県中越大震災の、とある被災者からのメッセージ
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体験と教訓を発信~小千谷総合病院看護部長さん

2006年10月27日 04時35分26秒 | 新潟県中越大震災・地震
震災から2年が経ちました。
1年目2年目は生活することだけでいっぱいいっぱいだったけれど、3年目に差し掛かった今、私たちはこの体験を新たなる被災地のために役立ててもらうべく、震災記録をまとめたり語ったりする、そういう時期なのかもしれません。

今朝(27日)の朝日新聞(新潟版)の朝刊に小千谷総合病院の看護部長さんの記事が掲載されています。
震災時、小千谷総合病院の看護師さんたちが素晴らしい対応で患者さんを一階ホールに避難させたことは地元では有名な話です。
また小千谷病院の看護部のすごいところは震災から1ヶ月半後の大変なときに看護師ひとりひとりにアンケートをとったり「語る会」を開いて家庭と仕事・地域の狭間で揺れるつらかった気持ちをはきだす場をつくる、など、ケアをする側(看護師)のこころのケアもちゃんとしていること。アンケートも一度のみならず3ヵ月後、7ヶ月後、1年後と定期的にとっており、これは今後も継続して行うそうです。

看護部長さんには日本災害看護学会でご一緒したときに「こんなに素敵な女性が小千谷にいたのか!」と感動すらおぼえました。
休日返上の講演もいとうことなく何十本とこなされ、空いた日にはボランティアまでされています。
震災のおかげでまた一人素晴らしい方に出会ってしまいました。
今度はプライベートでゆっくりとお話したいです。

この記事は全国版では23日の夕刊に掲載されました。
地震が起こったときに病院で何が起こったのか、どんなふうに患者さんの命を守ったのか、震災前に知っておけばよかったと思うことは何だったのか、看護師の苦悩など。
日本全国の医療従事者や人の命を預かる仕事についている方に見ていただきたい記事です。

逆なで

2006年10月27日 02時18分56秒 | 新潟県中越大震災・地震
「新潟県中越地震から2年」というテーマで、この一週間各テレビ局や新聞社が特集を組んだ。
山古志、小千谷市塩谷、川口の中山間地の現状と妙見の土砂崩れ現場で救出された男の子の成長ぶりや、復興防災イベント、合同慰霊祭に焦点をあてているメディアが大半だった。
報道している内容はどのメディアも大差はなかったが、2点、非常に不快だと思ったことがあったので触れておく。

■目を覆いたくなる映像

23日夕方(午後5時56分前)の放送にて。(民放)
全村避難の山古志住民が2004年11月に一時帰村したときのVTR。
はじめて家に戻る住民を背後からテレビカメラが追っかける。
いっしょに連れて逃げられなかったペットが気にかかっている住民。
犬小屋の向こうをそっとのぞきながら飼い犬の名前を呼ぶ。
そこにあったのは変わり果てた愛犬の姿。
ごめんね・・・と顔を覆い、泣き崩れる住民。

のぞくシーンと泣き崩れるシーンだけで充分ではないか。
犬小屋の向こうまでうつす必要はあったのか。
たとえうっかりうつりこんだにしてもよくもその残酷なシーンを編集して流す気になったもんだ。
取材に協力してもらっている被災者の気持ちになれば、そんなデリカシーのないことなどできるはずがない。
私はそのシーンを見た瞬間に「うわっ」と目を覆いたくなり、不快な感情でいっぱいになった。

■おまえに何がわかる?

今朝(26日)の某情報番組(ワイドショー?)にて。
山古志の取材は一年ぶりだというリポーター。
仮設住宅から山へ帰った住民にインタビュー。
「なにもないけどやっぱり山がいい。」と小さな庭で家庭菜園をしているおばあさんの笑顔の映像のあとで、国道291号線の橋の絵にデーンとかぶせたのは画面からはみでそうなほどの「700億」というテロップ!
そこでコメンテーターがひとこと。
「あの・・これ・・国や県はほんとに山古志に帰りましょうっていってるんですか?700億なんてつかって無駄なことするよりそのお金を被災者に公平に配分するなり、(被災者を)まとめて平場に移転させるべきだと思いますけどねぇ。」

情けなくなって静かな怒りがこみあげてきた。
でも都会の人間はこういう合理的な考えの人がいるのも事実。
官僚の中にもこういう考えの人は多い。
薄っぺらい取材が露呈したことに本人たちは気づいてないのだろうが、あまりにもお粗末すぎて一日中もやもやした気持ちが残った。

また秋田生まれで豪雪を知ってるO倉さんが反論・解説してくれなかったのも悲しかった。

中越の中山間地の人たちが今朝の番組を見ていないことを祈る。