震災から2年。
それぞれの思いがあります。
10月の23日前後の土曜の午後5時56分。
10月23日の同じ時間よりもより印象的です。
これは2年前の錦鯉の品評会の看板です。
小千谷でこの看板をみかけるようになったら「あぁ10月になったなぁ・・・」と感じます。
品評会は毎年10月の最終週末に行われます。
地震にあったのは10月23日。あと一週間で錦鯉が世界中に出荷されるはずでした。
2年前の写真を見ていたら車中泊をしていたときの写真が紛れていました。
狭い車に5人。長い長い夜でした。
10月23日21時55分撮影。
朝が来たのが本当に嬉しかった。
(左)10月24日7時24分撮影
(右)10月24日7時23分撮影
(左)10月24日8時28分撮影
近所の人に見せてもらってむさぼるように読んだ新聞
(右)10月24日8時21分撮影
アルビ牛乳。冷たくない冷蔵庫から引っ張り出して子供に与えました。
夏だったら腐ってたとおもいます(^_^;)
(左)10月24日6時35分撮影
真っ暗な玄関で「どれでもいいから履いて出なさい!」と履かせた長靴。
トレーナーは親のものです。
(右)10月24日7時13分撮影
地震に遭ったときにごはんは炊けていました。
炊飯器ごと車に持ち込み、車の中でおにぎりをつくりました。
(左)ジャスコ小千谷店 11月6日撮影
(右)原信西小千谷店 10月24日15時00分撮影
(左)はじめてもらった救援物資は子供のいる家庭優先で食パン一斤。(翌日午前11時ごろ)
午後4時ごろにはおにぎりとお茶が届きました。
(右)11月2日朝の救援物資
10月24日16時28分撮影
(問題の福山雅治よりやきそばの証拠写真)
(左)10月25日8時28分撮影(桜町)
(右)10月24日15時03分撮影(本町)
(左)11月4日に原信西小千谷店舗前でもらった水。
(右)この日原信店内のトイレがつかえて感動しました。
他県から警察・救急車・自衛隊・災害復旧の車両が応援にかけつけてくれました。
これらの車両が一斉にいなくなった12月22日。失恋したときのようにさびしかったことを思い出します。
それぞれの思いがあります。
10月の23日前後の土曜の午後5時56分。
10月23日の同じ時間よりもより印象的です。
これは2年前の錦鯉の品評会の看板です。
小千谷でこの看板をみかけるようになったら「あぁ10月になったなぁ・・・」と感じます。
品評会は毎年10月の最終週末に行われます。
地震にあったのは10月23日。あと一週間で錦鯉が世界中に出荷されるはずでした。
2年前の写真を見ていたら車中泊をしていたときの写真が紛れていました。
狭い車に5人。長い長い夜でした。
10月23日21時55分撮影。
朝が来たのが本当に嬉しかった。
(左)10月24日7時24分撮影
(右)10月24日7時23分撮影
(左)10月24日8時28分撮影
近所の人に見せてもらってむさぼるように読んだ新聞
(右)10月24日8時21分撮影
アルビ牛乳。冷たくない冷蔵庫から引っ張り出して子供に与えました。
夏だったら腐ってたとおもいます(^_^;)
(左)10月24日6時35分撮影
真っ暗な玄関で「どれでもいいから履いて出なさい!」と履かせた長靴。
トレーナーは親のものです。
(右)10月24日7時13分撮影
地震に遭ったときにごはんは炊けていました。
炊飯器ごと車に持ち込み、車の中でおにぎりをつくりました。
(左)ジャスコ小千谷店 11月6日撮影
(右)原信西小千谷店 10月24日15時00分撮影
(左)はじめてもらった救援物資は子供のいる家庭優先で食パン一斤。(翌日午前11時ごろ)
午後4時ごろにはおにぎりとお茶が届きました。
(右)11月2日朝の救援物資
10月24日16時28分撮影
(問題の福山雅治よりやきそばの証拠写真)
(左)10月25日8時28分撮影(桜町)
(右)10月24日15時03分撮影(本町)
(左)11月4日に原信西小千谷店舗前でもらった水。
(右)この日原信店内のトイレがつかえて感動しました。
他県から警察・救急車・自衛隊・災害復旧の車両が応援にかけつけてくれました。
これらの車両が一斉にいなくなった12月22日。失恋したときのようにさびしかったことを思い出します。
あの夜は真っ暗な空にヘリの音だけが響いていましたね。
家から脱出するときに手近にあったお菓子をつかんで子供に食べさせて寝かせたんだ。
救援物資、地震のの翌日、災害ボランティアの黄色いジャンバーを着た方が2人バイクでサンタみたいな大きな袋にパンをいっぱいつめて運んできてくれたなぁ。
あのとき、嗚呼私たち「被災者」になったんだ…と妙に実感しましたっけ。
最初に水を運んでくれたのは水戸市の給水車でした。
実家に避難するとき、いつ帰って来られるのか全くめどがたたず、違う物体になっていることが恐ろしくて、冷蔵庫の中身は液体を全てトイレに流し(浄化槽さんゴメンナサイ)食べられそうな物はご近所さんに配り、あとは袋に放り込んで実家まで持って行き結局ゴミに出しました。
そんなことをつらつらと思い出すと今でも涙がでそうです。
でもおぢさん、今日のように晴れ上がった青空を見上げてある歌が脳裏に浮かんだっけ。
「こよなく晴れた青空を 悲しと思う切なさよ」
随分古い歌だけどね。
さて、きょうは義弟の結婚式。
自宅取り壊し、車庫での仮住まいを支えてくれた彼女をみんなで温かく迎えましょうか。
でも
がっちり飲むゾ!!!w
あの夜は流れ星が数分おきに見られましたね。
はやく夜が明けて欲しいと祈ってました。
私も避難するときは同じ行動をw
冷凍庫の中のものは近所の人に配り(←半額シールのついた肉と鮭など)、冷蔵庫の中のやばそうな野菜などは全部ごみ袋につめてベランダに出してから逃げました。片付けたときのことも思い出しますw
炊き出しがあったかいお汁とかうどんの日はうれしかったなぁ。
■ほねさん
わかるなぁ。
10月の空が青いとつい「あの地震の翌日も・・」って思い出したりするよね。
おとうとさん、よかったね!おめでとうございます!
ファミリーが増えるのはうれしいね!
天神囃子歌った?