小千谷から(Ojiya kara)

新潟県中越大震災の、とある被災者からのメッセージ
(リンクはご自由にどうぞ。ただし転載はご遠慮ください。)

1.17

2009年01月19日 01時51分25秒 | 新潟県中越大震災・地震
おとといは『1.17』だった。
あの大きな地震から14年。
家族でテレビのニュースを見ていたら当時の映像が流れた。
みんな黙って見ていた。
親が説明するわけでもなく、子どもたちがなにか質問するわけでもなく・・・。
ちょっと独特の空気が流れたように感じた。

神戸のメモリアルパークで黙祷を捧げる方が涙をぬぐいながらテレビの取材に応じて言う。
「忘れてはいけない。」と。
そのコメントに合わせるようにドンとテロップが出る。
「忘れてはいけない。」

なんだか妙な違和感を感じてしまうのはなぜなんだろう。

おとといはネットのトピックでも阪神淡路大震災の特集が組まれ、動画が公開されていた。
当時は多忙でテレビなどあまり見られなかったので、ついついクリックして見てしまった。
でも・・。
あまりの生々しさに2-3本見たところでつらくなり、右上の「×」印を押してサイト自体を閉じてしまった。

新潟県中越大震災から4年と数ヶ月が経つ。
ちょっとしたことで泣いたり怒ったりといった感情の起伏が激しかった時期は過ぎ、精神的にも安定してきた。

あれだけのことがあったんだもの。
大震災を体験した人はそのときのことを忘れることなんてできない。
だから。
「忘れてはいけない。」っていういいまわしに違和感を感じるんだと思った。

ささくれだったものがちょっとずつ削り落とされてなだらかになっていくっていうのかな。
被災者やその関係者にしてみれば、精神的な風化だって必要かもしれないな、って思う。
震災は決して忘れられないけど、できれば思い出したくない、というか。
そっとしてほしいというか。

17日深夜の福山雅治のオールナイトニッポン「魂のラジオ」では、阪神淡路大震災で亡くなられた当時中学生だった女の子のために、福山ファンだったという彼女が大好きだった『恋人』を福山が生でアコースティックギターで弾き語りしてくれた。
泣いた。

こうして生き永らえさせていただいていることに心から感謝したい、大切な人を大切にしたい、朝をふつうに迎えられることに感謝したい。

そんなことを思った私の『1.17』でした。


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2 コメント

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お久しぶりです (いなかのおじさん)
2009-01-23 08:30:01
おはようござます、地震の事は いやなことは忘れて
皆で協力して 楽しかった事だけ 覚えて子供たちが
大きくなって忘れた頃 また話しをして見ませんか、
もっとも 私は一人でのん気な いなかのおじさん
ですから、あと何年地震の話しが出来るかわかりません。
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デリケートなこころ (おぢやのおやぢママ)
2009-01-26 17:15:37
■いなかのおじさんさん
地震のことを「話すこと」、「伝えること」って本当にむずかしいことだなぁ、とつくづく感じています。
つねに相手の気持ちにたって考えることが大切なのでしょうね。
子供たちが地震の話題から目を背けるのはきっとストレスをしぜんに回避しているからだろうと思っています。
子供たちだけではなく、ここで暮らしている大人たちにもいえることですよね。
こころのストレスと上手に向き合いながら、みんなで支え合っていきたいものですね。
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