童画家kanan 《小さな勇気を届けたい🌸》

世界中の誰かに勇気が届けばいいな🌸国も言葉も肌の色も家族も宗教も超えて、《自分を好きになる勇気》を子供にも大人にも届け♫

自分の人生を生きるって、ただ心のあり方な感じがするんです。

2013年02月26日 | 日記

 

     「わたし」・・・なんだか「わたし」な感じなんです

「自分の人生を生きる」って、何か大きな事を起こすとか、我慢していた想いを弾けさせて行動するとか、人から見て「我が道を行ってるなあ」と思われるような大きな事をしなければならないのではなく、ただ、人生の流れに身をゆだねて、日常を生きるって事じゃないかなって感じるんです。

 人に何かを言われて、深く落ち込んだり、その人に対して恨み言を思ったり、第三者に愚痴を話したりする事ってあると思います。

 それが、人生経験の浅い多感な時期の中学生、高校生ならなおさらあるのではないでしょうか。

 大人でも多くの方が生きる上であると思います。


 そんな状況の人に会ったり、相談されたりしたときに、どう返してあげるか。

 ちょっと厳しいかもしれませんが、他の人からの言葉や態度に酷く落ち込んだり心が傷つけられたとかんじたり、、相手を恨んだりしてしまう状況は、当人の生き方から言うと、自分の人生を生きれてない状況とも言えるように感じるのです。

  他人の人生に振り回されている感じです。

でも渦中の当人に伝えても、ただ自分を責める方向に向かうだけで、伝わらないかもしれません。

 ただ、言ってあげられることは、

「どんな言葉を言われたとしても、どんな態度を取られたとしても、あなた自身が自分の良心に恥ずかしくない生き方をしているなら、堂々としていれば良い」

と言うことだと思います。

 

 「自分の人生を生きる」=「人生の流れに身を委ねる」=「自分の人生を信じる」=「良心に反しない行動をし、その結果でおこる出来事は自分に必要と受け取め、受け止めた上で次に何ができるのかを良心で考え、行動する」

 そして、自分の魂を成長させるための人生とするならば、自分には必要なことしか来ない。だから、他人から自分に宛てての態度や言葉は、決して落ち込む材料ではなく、より自分を素敵に輝かせてくれる材料なのだと受け止める事で、その先の人生はあっという間に好転していく方向に向かうと感じます。

 

 自分が傷つくような言葉には、隠れているものが必ずあるのではないかと感じるのです。

 

 傷つくということは、自分が気にしている、または気にしすぎている事?だけど、改善させようと自分が動いてこなかったことなのかも。これは、「動け!」ではなく、「自分のそのことへの固執」を気づかせてくれているということだと感じます。

 動かないけど、こうでなくてはならない。と感じているものがあるのかも。

 もしそうなら、「改善させるように動く」もしくは、「改善させる気がないのだと自覚して、頭から離す」をすればいい。

 

 もし、自分の中に「そのことへの固執はない」と感じるなら、他人がくれた言葉は、自分の人生からの贈り物かも。

 「そこを気にかけてごらん。そうすれば、一つステップが上がるよ。」みたいな。

 

 そんな感じに全てを受け止められるようになれば、きっと落ち込むことも、傷つくこともなく、しっかり足を踏みしめて生きられる。そんな気がするんです

 そして、翼を羽ばたかせるように、自分の人生を生きられるようになる筈です。だって、自分の人生が必要な時に必要な気づきができるように、色々な方法で贈り物をしてくれますから、何も心配しなくて大丈夫だから

 

 少しづつ少しづつ日々の出来事の感じ方を変えていけたら、必ず素敵に輝けるようになります

 もちろん、私たちは生きてる人間だから、感じ方に波もあります。私も

 けれど、大きな波が少しづつ穏やかな波に変わっていくんです

 

 だから、生きるって面白い

 

 今日も夫も子供たちも私も猫たちも生きてます

 生かして頂いて、本当にありがとうございます

 



 



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