なかなかブログの更新をしていなくて、すみません
自分の中で、色々感じた一週間でした
これから少し童画をしっかり描いていこうと思うので、ブログの更新が週一くらいになるかもしれません。もしよろしければ、日曜にでも見てみてください
見えない存在・・・人間の目には見えないけれど、私たちを見守ってくれている存在や、助けてくれている存在や、その反対に、害を与えるような存在など、昔から話に出てくるはっきり見ることのできない存在。
そんな「見えない存在」をみなさんはどう感じますか?
私は、宗教団体などには入っていませんが、私自身は『神』の存在や『守護霊』の存在、『先祖霊』の存在を“有るもの”と感じています。害を与える存在に関しては、私の中ではまだよくわかりません。
私は、それら「見えない存在」のことを、決して、頼る存在でもなければ、願いを叶えてくれる存在でもなく、ただ『感謝する』存在と感じています。
私の感覚で言えば、
『神様』は、私たち命有る物の魂を宇宙の存在として生み、この現世に魂を成長させようと望み生まれでてきて、その人生の中で私たち自身の魂がどう成長するのかを見守ってくれる、とてつもない大きな愛の存在であるように感じています。だから、決して楽に生きることを良しとしていないとも感じます。
とてつもない大きな愛の存在とは、私たちが現世に生まれるずっとずっと前から、死んでこの世を去ったあとも、一人ひとりの魂の成長を見守ってくれている存在。の感じです。
そしてまた、私達自身が自分の魂を成長させようと望んで生まれて来たこの世を、私達の良心として一緒に生きてくれる存在。とも感じています。
その人が自分の内に目を向け、良心で選択していくことで生きている幸せに感謝し、自分のためではなく、誰かの為に動くことで幸せになっていけることへの気づきに導くような存在。と感じているんです。
だから、私たちは、人がどう思うだろうから。とか、人が見ていないからとか、不安だからとかで、自分自身の良心が許さない、もしくは、納得しないようなことを繰り返してしまうと、良心は隠れてしまい、いざ見つけようとしても、良心がどう感じているのか、正しい行いは何なのか、が、わからなくなってしまうんです。
人生の中で良心が一度隠れてしまうと、なかなか出てきてもらうまで時間がかかると私自身、実感しました。
これが以前私の魂を見ようとした時に感じた、魂に「自分や他人への不信感により世間体や人の評価に怯える自分」や「未来が見えない恐怖故に、目先のことしか見ようとしなかった自分」・「認めてもらいたい。何かしてもらいたい。と与えてもらうことばかり考えていた自分」などなどの、紙がベタベタ張り付いていた状態です。
それを剥がして自分の良心を心に出すことには、かなり時間がかかりました。
今では、本当に色々な方々との日常での縁のおかげで、自分の魂と良心がほとんど姿を現してくれたと感じますでも、まだ、薄皮は周りにあります
そして、『御先祖様』も誰にでももちろんいて、安心した状態の御先祖様が私達の『生きる』を助けてくれる『守護霊』としていて下さっていると感じています。
だけど、自分の沢山の御先祖様の中には、この世の何かに執着を持ち成仏出来ない御先祖様もいて、その御先祖様の為、生きてる私達一人一人が自分で先祖供養をしなければならない。と感じています。
私が今までの人生の中で、色々自分なりに『生きる』を研究をしてきて、自分なりに『良心と生きる。』を見つけた、そんな時、ふと出会った本から、先祖供養や細々したことを学び、「多分~だろう」を「~だ」に変えることができてきています。
他の宗教関連の本とは違う、とても内容が納得いく本なんです。(「森羅万象1~7 伊勢白山道著)
私は、『見えない存在』は見えないし、『聞こえない存在』の声も聞こえないので、今感じてる『神様』や『御先祖様』『守護霊様』は、私の良心が“有るもの“と言ってる感覚です。
そして、『生きる』とは、『何があっても、自分の魂の成長に必要なもの。と受け止め、生きてることに感謝し、良心と共に、笑顔で生ききること』と今の私は感じています。
以前は、『見えないもの』に頼ったり祈ったりして依存する私だったので、その危うさを自分自身の感覚で感じ、その違和感から、『生きる』を研究してきました。
社会の中で何が正しいのか、何が悪いのか。は、時代によって移り変わっていくことも多いと思います。
だから、それを自分で判断する方法は、みんなが持っている『良心』だけだと私は確信しています。
良心を感じて生きるよう努力を始めて、私は今、本当に幸せです
まだまだ、夢は叶っていないけれど、笑顔でチャレンジできます
私の大切な人たちを生かして頂いて、ありがとうございます