童画家kanan 《小さな勇気を届けたい🌸》

世界中の誰かに勇気が届けばいいな🌸国も言葉も肌の色も家族も宗教も超えて、《自分を好きになる勇気》を子供にも大人にも届け♫

自分の周りへの心配をする自分をどう捉えるかについて考えてみました。

2013年01月16日 | 日記

日常において、誰かを心配するってあると思います。
子供や夫、親や兄弟など、家族に関わる心配もあると思いますが、それとは違う心配もあると思います。


例えば、◯◯さんは、どうしてこんな風にするんだろう。とか、こうするからいけないんだと思う。とか、こうすればいいのに。みたいな、深く関わらないけれど、雑談の中に出てくる周りの方や子供への「心配」や時によっては「批評」になってしまう事。

テレビや雑誌で流れる内容を元に、日本という国や社会の人間関係、若者への心配や批評をされる言葉もよく聞きます。

それについて考えてみました。

 

色々な大人の会話を聞いて、かつて、私は子供心に、でも何もしないんだ~と思っていたのを思い出します。



そして、いま、ついつい自分が世間話の中でそんな「心配」や「批評」話をしていると感じます。

仕事の関係や友達関係、親子関係、地域の関係、やはり社会にたいしてもあります。

でも、話をしても、すっきりしないんです。何だか、相手の悪口を言ってるみたいで(>_<)

なんだか、自分の良心はそれを「良し」としていない感じがして(>=<)



で、考えてみました。

話に出るのは自分や相手が気にかけていることで、何とか助けてあげたい。や、自分でも何かできる行動があると感じているんじゃないかな。と

 

だったら、話の流れを、ただ「心配」や「批評」で終わらせるのではなく、言うだけにせず、自分に出来ることを模索し、導き出す方向に持って行けば良いのではないかと。

模索や導き出すっていうと、堅苦しい感がありますが、要するに、会話にでるそれは自分にも何かできるってことだから、自分なりの何かを考え、行動するって事。


そうすれば、その人に対して自分にできる事も見つけられるし、何より気持ちが爽やかになれると感じます


何かを行動してもすぐには変わらないと思います。

でも、必ず、その思いやりの気持ちを持ち行動した変化はあります

何もしなかったときとは違い、それにより波紋のように必ず変化が起きます


自分にできる事をして、それでどう変化していくかを静観し、また出来ることが見つかれば動けばいい。
「相手を助けてあげる」気持ちよりも、「私が出来ることを見つけた。」の気持ちだと、例え相手から感謝されなくても、相手に気持ちが伝わらなくても、自分自身が良心が感じる行動ができたことで、きっと気持ちがすっきりして爽やかだと感じます

相手を心配してるのか、批評しているのかわからないときよりも、必ず自分自身の人生の糧になります

そして、周りにむける自分の笑顔も変わり、周りもかわってきます

 

眉間のシワが、笑いシワになるかも♪♪

 

何も見つからなかったときは、相手も頑張って生きているのだから。と誉めて終わればいいのかも♪♪
自分なりに必ずみんな一生懸命生きていますもんね

 

国や社会、地域や学校に対しても同じだと思います。

自分の出来ることを模索し、行動する。それしかできないし、それが一番大切な感じがします

ゴミ拾いや道路脇や自宅の花壇でも、見る方のため、花を植えてる方を見て、本当に素晴らしいと感じます

次は、その方達に感謝を言葉で伝えてみます

 

皆さんの「心配」が、「思いやりの行動」に変われば、国だけではなく世界中が必ず変わっていきますね

言葉だけよりも、行動が大切昔からよく聞いていたな~

行動が自分の良心に沿っていれば、絶対間違えはないと私は確信しているんです

その根底には、相手や自分の人生を「信頼する」という気持ちが隠れています。

素敵ですね

わたしも、今から変えて行きますね

 

今日も生かして頂いてありがとうございます



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