童画家kanan 《小さな勇気を届けたい🌸》

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『良心』と『両親』。同じ響きの二つのつながりになんとなく気づいたことがあります。

2013年01月20日 | 日記

 昨日、大切な私の友達が私のブログを読んでくれているというメールをくれました。

 その時、なんとなく『良心』と『両親』のつながりに、なんとなくですが、気づけたように感じました。

 

 『良心』と『両親』。

 2つとも、この人生を生きる上では、なくてはならないものです。

 その2つの響きが同じということは、「言魂」としても何か繋がりがあるのではないか。とずっと思っていました。

 

 『良心』は、私達がこの人生を生きていく中で、ずっと指針を示してくれる存在。

 そして、『両親』は、私達の魂をこの世に送り出してくれ、この人生を生きる上で、かなり大きく人生に影響を与える存在です。

 もちろん、『良心』でも『両親』でも、人それぞれ人生に影響する度合いは違うと思いますが、誰でもみんな、必ず何かしらの影響は受けていると感じます。

 

 人生において、私は、自分の『良心』を育てることがとても大切な事だと感じているのですが、その『良心」』を育てる上で、一番重要な存在となるのが、『両親』なのではないかと、今日、なんとなく感じたのです。

 『両親』とは、私たちの人生において、実は最大のハードルになるのではないかと思うのです。

 

 人生で起こるハードルが高ければ、その分、そのハードルを超えたとき、必ず良心は大きく成長すると感じるのですが、ハードルの超え方はそれぞれ違うと感じます。

 ハードルは多種多様で、小さいものから大きなものまであるでしょうし、技術力を磨いて超える超え方も、身長が伸びるという超え方も、地位や名誉での超え方もあると思います。

 でも、私の感じる『良心』が成長する『両親』の超え方は、

両親一人ひとりの「弱さ」も「不安な中、私たちを抱えてもがいて、何とかっ!っと生きてきた親の人生」も「生きてることを辛いと感じてた姿」も「歳をとった姿」も「愛するがゆえだったであろう姿」も、同じ人間として、全て受け入れることなのではないかと感じたのです。

 小さいころ感じていた両親は、英雄だった。

 私たちが成長したら、普通の人だった

  今の私と同じだった。

 親も同じ、「生きる」を悩む一人の人間だった。

 のように、受け入れるということです。

 

 中には、虐待などの消したい記憶の方もいるかもしれませんし、どうしても親が許せないという人もいるかもしれません。

 それは、無理に許そうと自分を苦しめなくてもいいと思います。

 ただ、そんな親も自分と同じように、もしくは自分以上に、「生きる」ことが不安で押しつぶされそうになっていた一人の人間だったと受け入れるだけでいいと思います。

 それだけで、いろんな意味での、「親の呪縛」から解き放たれ、思いやりを持って、自分の人生を生きられるようになる。そんな気がします。

 

 だから、『両親』一人一人を、同じ人間として受け入れられたら、その時私たちの『良心』は他の事の何倍も成長出来るのかもしれないと思うのです

 

 『良心』の成長には、『両親』の存在にしかできない役割がある。

 それが、私の今日の小さな気づきでした

 「良心」が「自分の心で育つ神様」だとしたら、良心が成長するにつれ、自分が何をどう生きて行けばいいのかも自然と分かってくると感じます

 それだけ『良心』を成長させることは大切だと感じるのです。 

 

 今日もゆったりと休日を過ごせました

 家族みんなに感謝

 そして、今日も家族みんなを生かしてくれて、ありがとうございました

 

 



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