先日、ある方の講演を聞きに行きました。
以前から予定していたことだったのですが、朝すっかり忘れていて、携帯のスケジュールを偶然見て思い出し、「今からでは、途中で入ることになるな~・・・」と一瞬行こうかどうしようか考えたのですが、「考えるよりもさっさと体を動かして出かけるのが一番早く着く!もし今回は聞かなくてもいい内容だったら、聞けない方向に向かうだろう」と思い、身支度をして出かけました。
会場に入ったのは、開始時刻から10分位経っていたのですが、どうやら開会の挨拶をされてた方が通常よりも長くお話されていたので、まだ講演をする方のお話は始まっていませんでした。
ホッと一安心(今考えると、その開会の挨拶をされてた方の話を、今の自分は聞かないで講演を聞いたほうがしっかり心に響くってことだったのかも?なんて、遅れたことを正当化してたりします挨拶をしてくださった方、ごめんなさい(><))
その後講演を聞くことができたおかげで、今まで自分の中にあった立場の違いでいつの間にかできていた人との心の壁が「スっ」と消えたように感じました。
そして、自分ができるんじゃないか?と思えることも見えました。
その翌日には、友達を手伝いに行ったのですが、
「あ、今日は手伝うよりも、彼女の話を聞くほうが大切だな」と感じ、二人でお話をしました。
なんだか表情が暗かった友達が、楽になって行くのを確認して、今日は仕事に迎えました
心の中のモヤモヤを人に話すことで、自分自身の頭がすっきりする。すっきりすると目の前のやるべきことが見えてくる。そんな感じがしました。
そして、その翌日には、二日前に講演をされた方と他の重要な方々と仕事上で話をする会があったのですが、今までは仕事だから仕方ないのかな・・・と思いも話せなかったものが、その方の講演を聞いたおかげで相手を信頼でき、仕事での思いを話し、検討することができました。
そうすると、色々お互いに誤解をしていたことも分かりました
上手くまとまらないのだけど、今頭にあることは、
「コミュニケーションの大切さ」とその先にある「相手を信頼して、良心で話す大切さ」かな。
相手がどんな方かわからなければ、話一つにも相手の想いを必要以上に考慮して、本当に伝えたい内容がオブラートに包まれたようにしか伝えられない。
けれど、挨拶や顔をあわせた時に他愛もない会話であってもすることで、相手にとっても自分にとっても、心の壁が薄くなり、信頼して仕事も生活もできるようになる。
この効果は、凄く大きいのではないかな~と感じるんです。
毎日顔を合わせる子供や夫、ペットとも、何かしらの声を掛け合わないと、だんだん何を考えているのかわからなくなるんですよね。きっとお互いにそう感じると思うんです。
一緒に住んでいる家族でさえそうだから、他人ならなおさら♫
あ~だから、思いの罠に私ははまってしまったんだな~
他愛もない会話の大切さをつくづく感じました
今日も生かして頂いてありがとうございます