私がよく自分自身を客観視するときに観察するのが、自分の周りの環境なんです。
この頃、なんだか嫌なことがよくあるな~と感じれば、「あ、私最近人や物事に対して不満や批判をしている~」と気づけたり、なんだか運のいいことばかりに恵まれているな~と感じたら、「そういえば、私最近、物事や周りのことを受け止められてる気がする」と安心できたり。
これがよく言う「類が友を呼ぶ」「全て自分次第」なんだと感じます。
自分の心の状態が自分の周りの環境を決めてる。呼んでる。んだなって感じます。
いつも心の状態が明るい方の周りは、やはり明るくなるような良い事がたくさんある。だから、さらにその人は環境に感謝でき、さらに素敵なことが起こる。
いつも不満ばかり感じていたり、誰かの責任にしているような心の状態の人の周りは、同じように不満をいうような人たちが集まり、良いことがなかなかやって来なく感じる。
なんとなくわかりますか?
でもこうも同時に感じるんです。本当は、同じことが起こっても、それを「ラッキー」と受け取れる自分なのか、「最悪~」と受け取る自分なのか。それによって、その感じた先の状態が変わってくるんだということを。
私も先日その罠?にはまっていました今脱出を試みているところで、まだ完全には脱出できていませんでも自分の言葉や態度次第なのはわかっています
この前までの自分はこんな反応はしなかったな~それなのにどうして今日はイライラしてしまうんだろう・・・と同じ自分の心なのに、不思議になることがあります。
よく、「あなたは人運がいいね。私は人に恵まれていない。」という方もいますが、私はそれも自分次第だと感じるんです。
同じ人の「良い面」「優しい面」とお付き合い出来る方と、「悪い面」「意地悪な面」と付き合わなければならない方がいるということです。
それを決めるのは、普段の自分の心で何を思い、何を言葉にし、どう行動しているか。なのだと感じます。「自分の良心」に沿っているのかどうかということです。
私の知人にとても思いやりのある優しい方なのに、ついつい人の批判や非難、周りを傷つけてしまう言葉を出してしまう方がいます。
よくよくその方を知ると、自分を周りに認めてもらいたい心が非常に強いのだということがわかります。だから、せっかくとても思いやりがあって人のために尽くす方なのに、同時に非難や批判も口にしてしまうので、慕う方と激しく反発し合う方の両方がその方の周りにはいます。
勿体無いな~と感じることがよくあります。
人を非難したり、批判したり、誰かを傷つけるような言葉や行動をしてしまうこと。は、人の縁さえも簡単に切ってしまいます。幸せは、縁ある人が運んでくれるもの。縁は絶対切るものではなくて、つないでいくものなのだと強く感じます。
楽しい人生にしたいと思えば、それは実は本当に簡単で、
「自分の人生には自分の成長に必要なことしか来ない。そして自分にはそれをクリアする力が絶対ある。」と、常に心に思い、普通なら悩むようなことが来ても、「よし、やってみよう!」とチャレンジ精神で臨むこと。
なのではないかと思うのです
「類は友を呼ぶ」とは、昔の人はよく言ったものだな~と改めて感心し感謝します
今日は合気道をいつもとは違う道場でいつもと違う面々とすることができました。
楽しかった
今日も生かして頂いてありがとうございます