時々、
自分は人に恵まれてない。
私の周りの人は意地の悪い人ばかり。
誰も私を受け入れてくれない。
と言ってる方がいます。
その一方で、
私は人に恵まれている。
私の周りの人は素敵な方ばかり。
あの人は頑張ってる。だから、私も頑張る。
と言ってる方もいます。
同じ時代、同じ日本、同じ言葉の人だけど、感じていることは正反対。
ホントにこうも違う環境なのかなぁ?
と考えてみたらちょっと思ったんです。
もしかして、例えそれぞれ環境が変わったとしてもやはり口に出していることは、それぞれ同じなんじゃない?と。
その人の周りが変わるから幸せになるとか、不幸になる、とかではないんじゃないかなぁ。と。
今自分に起きてる物事をどう受け入れるかという、ただ本人の心の状態の問題なんじゃないかなぁ。と。
同じ人の良い部分とお付き合いできる人と、嫌な部分とお付き合いしないとならない人がいると聞いたことがあります。
だから、意地悪な人と思っても全部ではなく一部なのかも。もしかすると、ただ、気持ちのすれ違いがあるだけなのかも。
同じ人に何かをちょっときつく言われたとしても、良い部分とお付き合いできる人は、「あ~そう言う考え方もあるんだ。」や、「今は機嫌が悪かったのかな。話すのはまたにしよう」と『嫌なこと』として受け取らないのかも。
でも、悪い部分とお付き合いしてしまう人は、「嫌なことを言われた」とそこで思考が止まってしまうのかも。
そう考えると、何でも、自分の感情を入れずに自分の人生における出来事としてそのまま受けとれば、本当の相手の言葉の意味がわかるかも。
そしたら、自分の態度も変わるから、相手との関係も悪くならない可能性があるかも。
今日は「かも」が多いなぁ(((^_^;)
でも、これが、私が好きな宮沢賢治さんの『雨にも負けず』の「あらゆることを自分を勘定に入れずに よく見聞きし分かり そして忘れず」の部分に当てはまると思うんです。
感情と勘定はとても繋がっているように感じます。
それはまた次回書かせて頂きます。
今日も生かして頂いて、ありがとうございます(*^^*)
自分は人に恵まれてない。
私の周りの人は意地の悪い人ばかり。
誰も私を受け入れてくれない。
と言ってる方がいます。
その一方で、
私は人に恵まれている。
私の周りの人は素敵な方ばかり。
あの人は頑張ってる。だから、私も頑張る。
と言ってる方もいます。
同じ時代、同じ日本、同じ言葉の人だけど、感じていることは正反対。
ホントにこうも違う環境なのかなぁ?
と考えてみたらちょっと思ったんです。
もしかして、例えそれぞれ環境が変わったとしてもやはり口に出していることは、それぞれ同じなんじゃない?と。
その人の周りが変わるから幸せになるとか、不幸になる、とかではないんじゃないかなぁ。と。
今自分に起きてる物事をどう受け入れるかという、ただ本人の心の状態の問題なんじゃないかなぁ。と。
同じ人の良い部分とお付き合いできる人と、嫌な部分とお付き合いしないとならない人がいると聞いたことがあります。
だから、意地悪な人と思っても全部ではなく一部なのかも。もしかすると、ただ、気持ちのすれ違いがあるだけなのかも。
同じ人に何かをちょっときつく言われたとしても、良い部分とお付き合いできる人は、「あ~そう言う考え方もあるんだ。」や、「今は機嫌が悪かったのかな。話すのはまたにしよう」と『嫌なこと』として受け取らないのかも。
でも、悪い部分とお付き合いしてしまう人は、「嫌なことを言われた」とそこで思考が止まってしまうのかも。
そう考えると、何でも、自分の感情を入れずに自分の人生における出来事としてそのまま受けとれば、本当の相手の言葉の意味がわかるかも。
そしたら、自分の態度も変わるから、相手との関係も悪くならない可能性があるかも。
今日は「かも」が多いなぁ(((^_^;)
でも、これが、私が好きな宮沢賢治さんの『雨にも負けず』の「あらゆることを自分を勘定に入れずに よく見聞きし分かり そして忘れず」の部分に当てはまると思うんです。
感情と勘定はとても繋がっているように感じます。
それはまた次回書かせて頂きます。
今日も生かして頂いて、ありがとうございます(*^^*)