文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

生きることの幸せを謳いあげた『お母さんの歌』

2017-11-20 23:08:26 | 第1章

若木書房では、二冊目となる『お母さんの歌』(若木書房、58年11月25日発行)は、出生の秘密を知り、呻吟する少女とその家族の絆を抒情性溢れる筆致で描き、生きることの幸せを謳いあげた人生の賛美譚。

家族同士の深い結び付きを通し、人間心理の機微や人生の喜怒哀楽を濃密な実感を込めて綴ったこのドラマの最大の山場は、それまで優しかった筈の兄が、不良仲間との交流を重ね、次第に非行へ走ってゆく中、主人公であるみすずが、自分が血の繋がった本当の家族ではないことを告げられるシーンだ。

ショックを受けたみすずは、家族と離れ、自らの意思で本当の両親がいるとされる新潟へ一人旅立つが、その決意を耐え難き感傷から沸き立つ家族への反発ではなく、自らの悲痛な感情の置き場を探し求めた、内なる自分との必死な闘いに準えて描いているところに、この作品の美質とも言うべき重さがある。

やがて、ドラマはみすずとその家族が本当の絆を取り戻す大団円を迎える。

楳図かずお作品に象徴される幻想的なミステリーや怪奇ホラーが全盛になりつつあった少女向け貸本漫画において、家族の絆をしっとりと描いた本作は、オーソドキシーにして、些か地味なドラマトゥルギーに終始した感も否めないが、その根底からは、後々の韓流ドラマの世界観にも通底する人間愛の発露が重く捉えられ、そうした話材選びに適した良質のテーマの選択からも、赤塚の作品に向けた直向きな誠実さがヒシヒシと伝わってくる。

また、この頃になると、漫画と映画、そして文学との連動性から発想を紡いだストーリーテリングの様式美のみならず、画力アップも目覚ましく際立ち、後の方向性を思わせるユーモラスな場面展開を実験的に取り入れるなど、短期間のうちに、作風がこれほど変貌上達したことに、正直驚かされる。

しかし、そうしたレベルアップを図りながらも、赤塚のオリジナル執筆は、次第に控え目な状態となってゆく。

新たな発表舞台となった「りぼん」では、生き別れた母と娘の再会を抑制の利いた演出でしっとりと描いた『ユリ子のしあわせ』(58年1月号)、一人の内向的な少女が再び生きる希望を取り戻すまでの意識と心理の流れをきめ細やかな情感をもって綴った『ひまわりと少女』(58年8月号)といった作品を執筆。いずれも、ヒューマニズムを基盤とした少女漫画であり、舞台となる田園風景における描出の繊細さが、少女の心象風景と重なり合い、センチメンタルな作品世界を一層際立たせるなど、描写の奥深さが散見出来る安定感を纏った短編を発表したが、描き下ろしの単行本は、前述の『お母さんの歌』のみで、その後、雑誌の読み切りは、断続的に数本描かれるのみに留まった。


『白い天使』 心に染み入るヒューマンな感傷

2017-11-20 17:03:00 | 第1章

続く『白い天使』(若木書房、57年7月25日発行)は、前作とは打って変わり、仔犬とのハートフルな交流を軸に描いた二人の姉妹の成長物語である。

犬が大好きな心優しい女の子、ミチ子には、ノリ子という気立ての良いお姉さんがいた。

二人は東京・下町の工場地帯の一角にある小さな家に、母親と三人、仲睦まじく暮らしていた。

ある日、仔犬が近所の悪童達に虐められているところに遭遇したノリ子は、仔犬を助け、逃がそうとするが、犬好きのミチ子に促され、気乗りしないまま、家へ連れて帰る。

大の犬嫌いである母親の許しなど得られるわけがないと、ノリ子は思っていたのだ。

だが、母親は、仔犬を座敷に入れないことを条件に、飼うことを許してくれる。

ノリ子は仔犬にゴッドと名付けた。

人懐っこいゴッドは、やがて母親にも家族として受け入れられるようになった。

ゴッドが家族の一員となって幾日か経ったある日、ノリ子とミチ子がゴッドを連れ、公園で遊んでいると、ノリ子が追い払った悪童が、兄貴を引き連れ仕返しにやって来た。

恐れ戦くノリ子とミチ子。だがその時、颯爽と現れ、彼女達を救ってくれた少年がいた。

少年の名はよしはる。

やがてノリ子は、逞しくて凛々しいよしはる少年に、恋心に近い憧れの感情を秘かに抱くようになるが……。

『心の花園』同様、最後に悲しい結末へと収束される薄幸の少女物のフォロワーだが、格闘シーン等、時折挿入される劇画的演出の妙が、適宜にして効果的であり、作品世界に絶妙な間合いを持たせたそのディテールも含め、決して軽視出来ない一作だ。

このように、初期の赤塚少女漫画には、一作ごとに新たな意匠を凝らし、作風の幅を広げるなど、試行錯誤を重ねた跡が確実に見て取れ、そんな赤塚の若きセンシビリティの躍動は、汲めども尽きせぬ興趣がある。

哀話でありながらも、陰惨さは決してなく、健気さ、美しさといった人間本来の美徳が、優しい温もりに包んで描かれており、心に染み入るヒューマンな感傷を全編に渡って滲ませた、得難き名編へと仕上がった。